丸い蓋を外してグリス(※1)を指にとり、
継ぎ目のコルク(※1)に塗っていく。
リング(※2)を握り、飛び出ているキー(※3)たちを
避けて掴み、ゆっくりとパーツ(※4)を繋いでいった。
「これでいいのかな…」
吹奏楽部に入部して2週間。やっと楽器が決まり、この通り組み立て方も大分覚えてきたところだ。音はやっと出るくらいだけど。
突然、ガラリとドアの開く音がしたので見ると、一人の先輩が教室に入って来た。
羽足先輩だ。
「こんにちは!」
あまりの嬉しさに明るく挨拶しすぎたかもしれない。
いやでも、吹奏楽部では明るい挨拶と返事が大切と教わったばかりなのでたぶん大丈夫。
そう、私は羽足先輩に恋をしている。小学生の時、音楽室に2人きりでピアノを弾いたあの日以来ずっと。
先輩が小学校を卒業してからは何事もなく時間は流れていって、あと少しの時間があったら私は恋心を忘れていたかもしれない。
そんな機会に吹奏楽部に入って、まさか先輩もここに、そしてクラリネットパートにいるなんて夢にも思っていなかった。
「…こんにちは」
私の斜め後ろの床に置いたカバンを探りながら、先輩は挨拶を返す。その無愛想な低い声にも胸が高鳴る。
先輩が楽譜などを取り出し終えると突然、私が机の上に置いた奥のクラリネットを凝視し出した。
「…置き方違う」
「えっ」
確認しようと振り向こうとしたその時、体がベル(※4)にぶつかり、クラリネットは転がっていった!
「危ない!!!」
咄嗟に先輩が走って滑り込む。見事にベルと樽(※4)の部分を宙で掴んだ。
そして、ありとあらゆるキーを押して壊れていないか確認をしている。
「大丈夫だ、よかった…」
胸がドキリと鳴った。とても優しい声だった。楽器に向けたその眼差しは、誰を見るよりも温かい気がした。
初めて出会った頃から先輩は、どこか憂いのある雰囲気を漂わせていた。その雰囲気に私は惹かれたんだっけ。
正式にパートが決まって初めて対面した時、先輩は何も言わず、まるで新入部員の私なんて興味がないような態度だった。きっと先輩は会えなかった間に何かがあった。私のことは忘れてしまってるんじゃないかと思うくらい冷たくなっていた。
それをぼんやりと思い出していた私を先輩が見上げる。
「曲がったキーを直すのにいくらかかると思っている?」
「えっ、」
いつものようなまた無愛想で冷たい声だ。頭が真っ白になる。
やっぱり相当かかるの?1万以上とか?
「箇所や個数によるとは思うがバカにならないからな、しかも部費からだぞ…」
そう言って額に手を当てる。あの頃よりもさらに骨ばって、どこか繊細なすらりとした長い指に見惚れそうになった。
「それにそうやって転げ落ちるのが一番ダメージを受けるキーが多いんだって…勘弁してくれよ」
先輩の苦い表情が私のほうに向き、初めて気付いた。
私はとんでもないことをやらかしてしまった。ひとりで楽器を出すべきじゃなかったんだ。
なぜかこんな時に頭の中で「クラリネットをこわしちゃった」が流れてきた。『どーしよ♪どーしよ♪』なんて言っている場合じゃないよ。しんどい。
「…すみませんでした」
頭を下げる。声が震えているのがわかった。
先輩はしばらく何も言わなかった。
「…でも俺が早く来なかったのが悪いよな、こちらこそごめん、強く言いすぎた」
少し驚いた。先輩まで謝ると思っていなかった。
「他の先輩方は…」
「金山は風邪で、花本は委員会だよ」
「俺一人で教えるなんてしんどいし正直帰りたかったんだけど、ここまで来たらちゃんと教えるしかないよな」
「座って」
そもそもこんな端っこに置くものじゃない、と言いながらあらためて楽器を置いて、傍にあった椅子を引いた。
失礼します、とまるで面接みたいにその椅子にゆっくりと腰を下ろす。
先輩も通路を挟んだ反対側の席に座った。
「突然だけど、クラリネットを選んだ理由を聞きたい」
本当に面接だった。
「温かい音色がいいなぁと思って」
「それだけ?」
「他にあれば言って、くだらん理由でも別に怒らない」
「…コンパクトで持ち運びが楽そうなので」
これも本当。非力な私が、重くてでかい自分の楽器を4階の音楽室から様々な場所へ運ぶと考えただけでも恐ろしかった。
クラリネットの先輩たちがパート教室へ移動する時に身につけていた、ショルダーバッグのような楽器ケースに憧れたのもここだけの話。
「…ははは」
先輩の不機嫌そうだった口元がゆるりと綻んだ。
ぱあっとした気持ちで胸が満たされる。
「その分片付けは大変だけど」
それはすぐに苦笑いに変わった。
「片付けのせいで下校時間はギリギリ、でも水分を残すと楽器が割れる原因になる、下校時間に遅れたら部停、理不尽だよな」
「…はぁ」
つられて苦笑いをしながらこくりと頷いた。
「そのリード(※5)だってそう」
そう言って、机に置かれた楽器の先端に付いている木の棒を指さした。やっぱり指が白くて綺麗だった。
「個体差がすごいから一箱によく吹けるやつが1本入っていたらいいほう」
「俺が吹いているバスクラ(※6)は一箱につきベークラの半分しか入っていないからもっと大変、出費もかさむ、ははっ」
「…きびしいですね」
花本先輩たちから「良いリードないんだけど!」という言葉を耳にしたことはあったけど、そこまでとは。
「そして忘れてはいけないのはリードミス」
「少し息の入れ方を間違うだけで、素人が聴いても『明らかにそれ違うだろ』って思うくらい目立った高い音が鳴る」
「リードミスをする度に周りの視線は痛い、特に顧問」
「えぇ……」
「そんな楽器なんだけどどうする?やめる?」
悪戯そうにふっと笑う先輩。そんな表情もするんだ。
今日だけで、知らなかった羽足先輩の一面、いや何面も知ることができて嬉しかった。
「いや、ここまで来たらやめません」
まっすぐと先輩を見つめた。これは他でもない、本心だ。それに、せっかくまた先輩に会えたのにやめるなんて。
「…だよな」
「やめられたら困る、一年はあんたしかいないから」
クラリネットパートに三年生はいない。さらに一年生も私しかいない。ベークラの先輩は二人だ。どちらの先輩もしっかりしていて、始めは三年生と見分けかつかなかった。
「だからこそ知ってほしかったんだよ」
「そういう弱点も受け入れた上で、クラリネットを好きになってほしいからさ」
そう言ってまっすぐ私を見つめ返した。
黒曜石のように真っ黒な瞳に、私の心もろとも吸い込まれそうになった。
先輩の心の奥底では楽器、そして音楽への愛が確かに燃えている。それがはっきりとわかった。
あの頃、私にピアノの練習権を譲ってくれた時に放った「旅立ちの日になんて簡単すぎてつまんねぇよ」
という言葉も、きっと愛があったから出た言葉だったんだ。
そうでなければ、卒業式本番の先輩のピアノが、会場全体を過ぎ去った日々の懐かしさや切なさ、そしてこれから来る春の温かさときらめきでふんわりと包み込むこともなかっただろう。
あれは、ただの伴奏ではなかった。
「…がんばります!」
先輩が私のことを忘れていたとしても構わない。この人と一緒に音楽ができる。この最高の機会を逃してはいけない思った。そのためならどんなに苦しいことだって乗り越えてやる。
先輩は私を見て、ああ、と頷いた。
「俺たちも指導を頑張らないとって話だな、間違ったことは教えられない」
「あ、こんなことを言ったって二人に知られたら、
新入生を脅すんじゃねぇって怒られそう」
肩をすくめて笑う先輩も愛おしかった。
注
※1グリス
楽器の管を繋げるための潤滑剤。
管の繋ぎ目のコルクに塗る。
フェイスクリームのような丸い容器に入っているタイプとリップクリームのようなタイプがある。
前者のほうが少し容量が多くお得。
(ソース:楽器屋さん)
※2リング(リング・キー)
音孔(楽器に空いている、音を出すための穴)
の周りにある銀色の輪。
出す音の高さを変えるのに重要。
※3キー
音孔をふさぐ銀色の金属。
出す音の高さを変えるのに重要。
※4パーツ
上から、マウスピース、樽、上管、下管、ベル。
マウスピース→息を入れる部分。
樽→別名「バレル」。
名前通り樽のような形になっている。
主にこの部分の抜き差し具合で、
音の微妙な高さを調整する。
(他の繋ぎ目も抜き差しする場合もある。)
上管、下管→音孔とキーはここにある。
ベル→音の出口。
円錐型をしていて、下に穴が空いている。
よくここから水滴が出る。
(音孔から出るほうが厄介。)
※5リード
マウスピースに装着する薄い木の棒。
息を入れることによってこれが振動し、音が出る。
音質の良し悪しは主にこれで決まる。奏者の命。
扱い方によってはすぐに割れて使えなくなる。
いわゆる消耗品。1枚およそ300~400円。
バスクラはその倍。
※6バスクラ
バスクラリネットの略。
運指は普通のクラリネット(ベークラ)と同じで、
1オクターブ低く響く。しかし楽譜はト音記号。
管体はベークラの約2倍の長さ。ベルが金属。
やっべ!!!改めて説明するのすごい難しい!!経験者なのに!!!主観が込み込み()
初心忘るべからずということでこのお話を書きました
実はこの設定は、私が小学生の頃から
すでに出来上がっていたものです
高3の自粛期間中になって改めて見返して、
これもっと深く掘り出せる話じゃない?!(深夜テンション)
と思い書いてみました、
男の子も女の子もちゃんと名前があります
これは大ブランク!小説って難しすぎる!!!!
もともと上手くないって?そうでしたすみません、
これから上手くなるからゆるして(´>ω∂`)
なかなか抜け出せない英文和訳感
中学生にしては言ってることや心情に
なんか若々しさが無くない…?そんなことない…?
私が中学生だった当時は
きっと何も思わないんだろうけど、
こうやってだんだんと歳を重ねて
そこから離れていくと、
当時どんなことを思っていたっけ???って
わからなくなりますね、
思い出した全てが
色あせたフィルター越しみたいになっています
私もクラリネットを始めた当時は
よく置き方のことで先輩に注意されていました…
キーが複雑でどっちが下かわからなくなるもんね、
曲げなくてよかったね()
しかし自分の楽器とスタンドを買ってから、
一度ぶっ倒してキーを曲げたことがあります、
お父さんお母さんごめんなさい
「クラリネットをこわしちゃった」は
楽器が壊れているんじゃなくて、
練習をしていなくて鳴らなくなったという説が
あったと思います、練習って大事ですね
私も今吹いたらその状態かもしれない、どーしよ!怖くて吹けない!でも吹きたい!オーパッキャマラド!!まず調整に出すべきだ!!
早くバイトをして自分のお金で自分のことを
始末できるようになりたい、まず卒業しなきゃ、
でもここだけの話、接客業はこわい
でも人生は経験だから
知らずに避けたら駄目なのかなぁ、
ちなみに中学時代の男子部員は
当たりのリードよりも希少すぎました、
部内恋愛なんてありえないです
(高校では多かったのでありえました、しかし
厄介すぎて「恋は罪悪ですね…」って
某高二で習う小説みたいに思う時期もありました
懐かしい)
こんな恋愛してみたかったなぁ
私3「何言ってるの、あなたまだ若いでしょこれからよ!!!」(別垢ネタ)
だといいけどねぇ
本編がもともと長いのに、
こんなに駄弁ってしまってすみません、
最後まで読んでくださりありがとうございました!