死ぬことが悪いことになったのは
……いつの出来事だろう?
生きることが正義になったのは
……いつの出来事だろう?
私も私の周りも死にたいと思っていた時期があった。
相談されたときもあった。
私は本気で死にたかったし消えたかったから
他人に相談はしなかったけど。
これは私個人の意見だし
これに感化されて欲しくないけど
私は今生きてたって死んでたって同じだと思う。
同じく辛いし、怖いと思う。
『死にたい』と他人に言うのも人生だし
何も言わずに死ぬのも生きるのも人生。
『死にたい』って言って死ねなくて
苦しみながら生きるのも人生だから
『結局死にたくないんでしょ?』は、ずれている気がする。
相談しに来てくれる人は少なくとも助けを必要としていて
話を聞いてもらって肯定してもらったり
力のあるところなら助けてもらうことで
少しは軽くなっていくと思う。
ここ最近なのか分からないけど
『死にたい』って言葉が軽くなっているとよく聞く。
でもそれは、別に悪いことじゃない。
だって生死が同じ土俵にいるって事だから。
何回も死にかけてる人間から言えるけど
生死ってかけ離れた別物じゃなくて
本当紙一重もなく繋がってるものだから
今生きているのも突然前触れもなく死ぬこともあるし
早かれ遅かれ消え失せる。
その事実を知っているはずなのに
生きることをまるで正義で偉い事って思っている。
生きたい人が生きられなかった今と
死にたい人が死ねずに苦しむ今って
……同じ価値だと思うんだよね。
でも世間一般には
『生きたい人が生きられなかった今』って
なんだか凄く価値あるように聞こえるらしい。
その今を生きている人間はどんなに苦しくても
『死にたい』って言ってはいけないらしい。
……そういう新手のいじめか何か?って思う。
これはあくまで個人の意見。
やっぱり自分の代わりって居ないから。
死んだら誰かが身代わりになんて機能ないから
そういう意味での責任はきちんとある。
だから殺人とかって刑罰が下るわけであって
人の人生を変えるのはしてはいけないこと。
……こういうことを考えている高校生だけど
クラスで空気として生きてるから
まだきっと生きていける。