あさぎ・2024-03-18
君の隣
君と六等星の心
「君が隣にいる」
「君の隣にいる」
果たしてどちらなのだろう、と
ほんの時折思い、
それから
「君と共にいられるなら」
と、雑念を振り払う。
私の独りよがりでもいい、
君と一緒に歩いていられるならそれでいい。
そうは言いつつ、
独りよがりはどうにも寂しいから。
「君が隣にいてくれる」
「君が好きでいてくれる人間」であるように、
私が胸を張って隣にいられるように、
少しづつでも、歩んでいけますように。
酸素はだいじです
あまねく地球上の生き物には
水と酸素と太陽が必要です。
苦しい時は、必要なものが足りてない時
休息だったり
時間だったり
愛情だったり
もしかしたら、酸素が足りてないのかもしれない。
苦しいなってときは
ちょっと深呼吸をしてみて、
すこし落ち着いたら、
足りないものを拾いにいけばよいのです。
だいじょうぶ、
きっと拾いにいけるはず。
届かない想いというのは、当然あるものです。
それは夜空に浮かぶ星の如く、数え切れないほどに、
或いは強い光の下では見えなくなってしまうように、
目につかないほど溢れかえっている。
だから、私のこの想いが君に届かないのも
世界中にありふれた、ただの少し悲しい出来事に過ぎない。
それでも構わない。
ありふれていていい、平凡でいい、
ただひとつ、
君にはどうにか幸せでいてほしい。
私の言葉は、偽善的に聞こえるのかもしれない。
自分嫌いな君には、届きようもない言葉なのかもしれない。
今はまだ届かなくても、
君が目を凝らしてくれる余裕を持てた時に、
或いは空気の澄んだ冬空の下で、
君が、六等星程度のありふれた言葉に気付き
受け入れてくれるなら──────
私はその時まで、ずっと隣で
君の幸せを探してる。
君に贈る、六等星の心
泣かない強さが、泣けない弱さになる前に
誰かの手を、
「あわよくば私の手を」
掴んでくれませんか。
否定する言葉はどうにも大きく響きすぎてしまうから
そんなスピーカーはあまり近くに置かないで
認めてくれる人の隣で微睡む時間も大切。
二人旅
電車に揺られて眠たそうな君が
悪夢に魘されることも、
寝苦しそうに顔をしかめることも無く
ゆっくりと眠りに落ちて、
私にもたれかかってきた時
君を起こさないように、握った手は離さないように
その眠りが穏やかであること、
そして君が私の傍で心を休めてくれることに安堵して、
窓の外を見ると、夕日が綺麗で。
“月も綺麗でしょうか”
“この夕日は、もうすぐ沈んでしまうのでしょうか”
どうか、このままでずっと。
はじまりは「足りないものを埋めようとした」だけでも
いま、君とわたしが一緒にいることを悪く言う理由にはならないよね。