きょうは、成人の日だよね。
じつは、
あたしは成人式出てない。
役所のイベントなんか出たくないのは
もとからなんだけど
それ以上に
20歳頃は人生がとても荒れていて、
それどころではなかった。
その当時、
さいたま住みだったか神奈川在住だったかさえも、よく覚えていないくらいだ。
それに、
成人したのを祝いたい、という感覚がまったくなくて。
というか、そもそも、
成人した、という感覚が希薄。
まーこれはあまり深入りしたくない
きわどい話題なんだけど、、、、、、、、
前世の記憶が
あまりにも鮮明に残りすぎていたあたしは、
子どものころ、
自分が子どもであることが
そもそも耐え難い苦痛だった。
身勝手で愚かな、どっかの夫婦が
自分の両親であり
『保護者』であるなど
ひどい悪夢以外の何物でもなかった。
虐待とか精神的外傷(トラウマ)とかアダルトチルドレンとかの本を読むと、親子関係で異常な緊張を強いられて、子ども時代を子どもとして(子どもらしく)生きられないのはかなり危険らしいが。
そりゃそうと、
子ども、などという、
基本的人権も法律上の権限も何もない、お金もない、肩書きもない、収入源もない身分に
いきなり落とされて。
『保護者』に媚びる以外、生きる術がないという
どこからどー見ても異常な状況。
保護者、とか気軽に言うけど、
実態は独裁者であり絶対権力者だからね。
しかも両親というのは
男女一組でふたりいるから、
双方の権力闘争にも巻き込まれる、、、、
もしも
うんと愛してくれて甘やかしてくれる両親のもとに
生まれていたら、
何の疑問もなく、
子どもらしい子ども時代を送っていた
のかもしれないけどね。
実際には
ひどい毒親のもとに生まれてしまったあたしは、
『親に愛されていない』というテーマには
(前世の記憶のおかげで)
まったく目を向けず、
厳しい、理不尽な上司に仕えるサラリーマンの心境で過ごした。空気を読むのはムチャクチャ得意。媚びるのも上手いし、おだてるのも上手。
ただし、それをする理由は
『それが仕事だから』
なのであり、
つまり、
親としての愛情がどうの、という話には興味を持たないかわりに、カネだけはきっちり確保した。
正面から交渉したこともあれば、
勝手に財布から持ち出したこともある━━━━。
いずれにせよ、
理不尽な上下関係に
強制的に組み込まれてしまっている以上は
報酬(お金)だけはかならずいただく、
という方針を
幼少期からごく最近(縁を切る)まで、
結局、一度も変えたことは、なかった。
そうして、
昨年の6月に
会社のお金で
引っ越しをして
保証人も社長になってもらって。
親が連帯保証人から外れたのを機に
なんのためらいもなく絶縁を実行。
なぜ、こんなことができるのかって
わかりやすく言えば
『会社を辞めたら、会社の人とはもう無関係』
という理屈だからなのだ。
こういう見方は
とても冷酷に思えるかもしれないが。
肉親、ではなく
しょせん『会社の人』なのだと
本心から思っているのだから
どうしようもない。
でも、そのおかげで、
愚かで身勝手でしかも宗教に洗脳されている
そこらの凡人夫婦に
『親としての愛情を求めて』
不毛な葛藤をしないで済んだのだ、
━━━━とも言える。
子ども時代のあたしは。
結局、
どう転んでも
子どもとしての自分自身をイメージできず、
ほんとうはオトナであるはずの自分が
なぜか子どもの身体に変化させられ、
法律上の権利もなければ、
一人前の人間とも見なしてもらえない。
そんな異常な境遇を
ギリギリ生き抜いてきたので、
あるとき、成人式の日を迎え、
(今生の肉体年齢が)20歳になりました、成人しました、などと言われても、何をいまさら。ふざけんな。
という心境にしかなれず。
華やかな式典になど
行く気には、
まったく、
なれませんでした、、、、、、
最初の予定では
18歳で働いて稼いでいるはずだったのにね。
20歳を迎えたときのあたしは、
実際には不毛な修行生活を送っており。
宗教の修行をしてるか、寝てるか、外泊してるか。
引きこもりと家出を組み合わせたような奇妙な生活。
うーん。
あとから考えてみると、
実家のその宗教を
心から『信じていた』ことなど一度もないのに
それにしても熱心に修行してたな💦
仏教系の団体だったので、
棄教した今でも
あたしは本物の僧侶(尼僧)の声で読経できるし、
副産物として、
カラオケに行くと
中島みゆきだけは、やたら上手い。
(お経と中島みゆき、発声が似てたんだね)
子どものときから
肉体としての実年齢とは、まったく異なる自意識しか持たなかったわたしは、今後、加齢が進むと、どうなるんだろうね??
もう30代だから、とか
もう40代だから、とかの見方は
絶対しない気がする。
そもそも、その、前世の記憶というのが、、、、
時期としてあまりにも近い、昭和時代のものなので。
まー証拠はないし、科学的根拠もないが、
あたしにとっては、
それはれっきとした事実で。
べつに毎日思い出してるわけではないものの、
やはりそれを踏まえた上での自己認識を持っている。
正確な誕生日がわかれば、
自分でホロスコープを読めるのだが。
大雑把に言って、
昭和7ー8年くらいの生まれの男性だった。
だから、いま80代の人は、前世のあたしと同世代だったことになり、多くの場合、初対面でもなんか気が合いますね。(職場で実際に会います)
逆にいまの70代は、終戦後生まれで、
わたしからすれば、彼等がほんとに気に食わない。
前世の当時から、戦後生まれに対して、そんな複雑な心境を(わたしたちの世代ぜんぶが)抱いていたことが、思い出されます、、、、、、
近くに区民センターとかの、
成人式の会場がきっとあったんだと思う。
きょうの仕事中、工事現場のまえを通過していく、
たくさんの振袖姿の少女たち。
(いや成人したんだから少女ではなく女性か)
それにしても、
心なしか、みんな、背が高いなー
なんて思いながら。
きょうは自分の成人式の頃、というか
子ども時代、というか
過去生のことなどを、
思い出しながら、過ごしました。
意外と機嫌は良かったですね。
あーあたしが昭和史にやたら詳しいのも、そのためかー。
昭和史を生まれつき憶えていた、わけでは、さすがになく。その都度自分で勉強したんですが。すぐに頭に入るし、やけに、呑み込みが良かったような。
それにしても
あたしも振袖、着とけば良かった💦