ままへ
6人家族で次女の私
明るいお姉ちゃんとは違って
私がASDと言われた時、
お母さんはどんな気持ちでしたか?
何も知らなかった私は
毎日生きる事で精一杯で
人に感謝する余裕なんて
全くありませんでした。
脳の発達が遅い私は
人より気がつくことが遅くて
人を傷つけたあとに
自分の愚かさを知る毎日で
生きている理由を
ただ毎日探していました。
他の人より不登校になる時期が早くて
小学3年生で学校に行かなくなった私は
今でも掛け算が出来ないレベルです。
暴力を振るって、
暴言を吐いて、
すぐ物を壊して、
小学6年生の最後に少し行けるようになっても
2ヶ月で4個筆箱を壊して
私の部屋は穴だらけで
友達を傷つけることもあって
悪いことだと分かっていても
あの頃の私には治すことが出来ませんでした。
中学生になって
また不登校になって
毎日が戦争で
小学校に比べて力の強くなった私は
また荒れることも多くなって、
精神科病棟に入院することを勧められた時は
正直辛かったです。
でも入ってみたら
仲間だと思える人ができて
幸せだと思うことも見えてきて、
それと同時に
自分の弱さに気が付きました。
始めて自分が、
どれだけ弱くて
どれだけ人を傷つけてきて
迷惑をかけてきたかを知りました。
飲んでいる薬が、
いくら自分に合う薬でも
越えられない壁があることを
知りました。
普通の人が当たり前に出来ている事が
私にはすごく難しいことで
それがどれだけ辛いことかを
努力してから知りました。
お母さんは
いくら私が酷いことを言っても
私が死にたいと言っても
殴っても、蹴っても
私の手を離したことがなかったね。
私が辛いときは
私よりも辛い顔をして
震えた手で私の暴れる手を握り締めていたね。
外出のときは仕事で疲れていても、
お誕生日会のようなご馳走を
作ってくれるね。
不登校になってから6年が経って
私は今年受験生です。
掛け算もできないし、
小学4年生の漢字も解けないし、
単位もないから
通信制に通うと思うけど
馬鹿なりに頑張るから、
まだまだ何も分かってないけど
友達100人作るために頑張るから
恋人ができたら紹介するから
まま、
いつもありがとう。
世界で一人の私のまま、
世界で一番優しい私のまま、
愛してるよ。
大好きだよ。
言葉で言うのは得意じゃないから
文章にまとめてみたよ。
頑張る私を
見ていてほしいな。