私の彼氏は小説家だ。高校時代から本格的に書きはじめたという彼は、俗に言う天才という部類に当てはまる人だった。
小説家特有の難解な文字の羅列ではなく、読みやすいのに上品な物言いをする。故に読む人を惹き付ける文章をスラスラと書き綴るのだ。
この才能を潰してはいけないと無知ながらに感じた私は、彼の邪魔にならないよう、付かず離れずの距離感を保ち続けることにした。
授業中は勿論、休み時間になってもノートに文字を書き殴っている彼の背中をみて、今日も頑張ってるなぁと思いながら黒板の文字をノートに書き写す日々は、いま思い返してみてもとても充実していたと思う。
そんな彼と私が付き合いはじめたのは、高校卒業を間近に控えた日の朝だった。
まだ誰もいない教室で、彼が小説を書いている。私は彼の前の席に座ると、鉛筆の動きをじっと眺めていた。
もうすぐ毎日会えなくなる。私は普通に大学に行き、彼は小説家を目指すんだ。
彼が本を出せばすぐに売れるだろう。書店に足を運べば私にだって、新作を手にすることができるだろう。
だけど私は彼が書いている姿をみていたいんだと思う。
だから言った。付き合おうって。
彼はこちらに見向きもせずに、いいよと言った。
それが彼と私のはじまり。
付き合うことになってから、連絡先を交換した。返信なんかこなかった。当たり前だ。彼は執筆で忙しいのだから。
私は隙間時間をみつけては彼の家に向かっていた。合鍵を渡されていたので、一報だけして会いに行く。
いままでノートに書いていたのが、パソコンに変わっていた。キーボードを叩く音を聞きながら、彼の背中をみつめている。幸せだ。私、本当に彼と付き合って良かったと思う。
「ねぇ、ご飯食べに行かない?」
「もうちょっと……」
彼のもうちょっとは、一時間のことだった。
大丈夫、気にしない。だって私はそんな彼の傍にいたいと思ったんだから。
ようやく食事をしにファミレスへ向かうと、メニューをみることなくスマホを手にする彼。私がなに食べるか聞いても目も合わせずに、なんでもいいと言う。
本当に、お腹の中に入ればなんだっていいんだな。
そんな日を幾日も繰り返し、繰り返し、繰り返していったある日の午後。彼は遂に小説家となったのだ。
小説家になった彼の本は話題になった。彼がデビューするその瞬間まで見届けることができたのを、私はとても光栄に思う。
私はもう、限界だった。
彼の彼女でいることが苦しかった。彼女という肩書きだけで、手を繋ぐことも、唇をくっつけることも、なにひとつなかったんだ。
本当にただ傍にいるだけ。いてもいなくても変わらない存在。それが私。
彼のその真剣な眼差しが好きだった。趣味に没頭する背中が好きだった。誰よりも先に彼のつくる本に触れられて嬉しかった。本当だよ。だから。
「おめでとう」
それだけ言って、私は彼にさようならをした。