あたしが 死˙ん だ とき
いわゆる“お迎え”に来るのは
まちがいなくあなただろうね
このへんの裏事情なら知っているからね
“お迎え”は死を迎えた本人を
安心させるのが最大の目的
実体はどっかの天使が化けたニセモノだとしても
あたしを“お迎え”に来てくれる存在は
まちがいなく貴女の姿をしているだろう
なぜなら
わたしが心から気を許せた存在は
この世であなたしかいないのだから
わたしの生まれ落ちた境遇はかなり悲惨で
肉親全員、だれひとり
わたしに安心感などもたらさない
そうして
“お迎え”のコンセプトは
安心感を与えることなのだから、、、
たとえまだ貴女が存命中でも
臨終したわたしを迎えられるのは
あなただけ────────。
─────って、
いますぐ死ぬ予定はないから
安心してね。
でもさ、
毎晩毎晩欠かすことなく
『夢のなかでは』
貴女といっしょにいるっていうのは
あたしにとっては本当のことなのよね。
これは
この世の外に一歩でも出たら、
誰にとってもまったく難しくはない、
不思議でも何でもないことなのです。
この世だけが異常な場所で
何もかもが時間と空間に阻まれる
この世以外の
ほとんど全ての場所は
時間と空間じゃなく
思考と感情によって
構成されているから
あなたとの思考と感情の結びつきを
すでに強く持っているあたしは
今夜もこれから眠りに就けば
貴女の元へ戻れる
それがあるから
死を選ぶくらいなら
睡眠を選べば事足りる
そんなわけで
あたしは貴女に
『生命を救われている』
『生命を護られている』と
文字どおりに言える状況なのだけれど。
あなたは
眠りに就いたからといって
あたしに会えるわけではなく
あたしと愛し合えるわけでもなく
それどころか不眠に悩まされ眠れないのだとしたら??
あたしひとり
惰眠を貪り、
しあわせを貪っていて良いものなのだろうか??