[不思議の国の恋物語]
後編
いつも通り、都さんの家に行く。
やっぱり鍵は空いている。
「お疲れ様です」
薄い紅色のカーディガンを羽織った、
ポケットに手を入れたままの都さんが、
今日は来なかった。
いつも出迎えてくれるのに。
「都さん」
靴を脱いで、ゆっくり歩く。
リビングのドアを開けると、
机にだらりと、都さんは眠っていた。
それは初めての事だった。
近寄って、都さんを見つめる。
薄い、ピンクの唇。
好きだ、と思った。
その時、スマホが光った。
都さんのスマホだった。
〉夜、羽田につくよ
知らない人からのLINE。
普通のLINE。
ドキッ、とした。
嫌な予感がした。
別に、友達からかもしれない。
いや、きっと違う。
そうじゃない気がした。
都さんはまだ起きない。
勝手に既読をつける訳にもいかず、
スマホはそのうち黒く落ちた。
頭はどこかボーっとしていた。
それで、俺は都さんを起こさないように、
そっと都さんのカーディガンのポケットを探る。
本当は、分かっていたことだった。
ずっと前から、気づいてた。
模様替えしたかと勘違いした時。
今、気づく。
それは、写真が無くなっていたこと。
都さんが、
一度も俺の名前を呼んでくれなかったこと。
こんな広い家に、
たった一人で暮らしていたこと。
知らない人からのLINE。
そして、
都さんのポケットにあった、
銀色の結婚指輪。
そもそも、何で最初に気づかなかったのだろう。
彼女は今、
湖城じゃなくて“西野”なのだと。
気づきたくなかった。
認めたくなかった。
でも、どうしようもなく事実だということ。
「ん? あ、来てたんだ」
「都さん……」
その時、また都さんのスマホが光った。
「あ……」
慌てて都さんはスマホをとる。
しかし、滑ったのかスマホは音を出して落ちた。
この部屋に、滅多にならない大きな音。
〉お土産楽しみに待ってて
くだらなすぎるLINEは
二人の間に沈黙を作る。
「都さん」
都さんは答えなかった。
その表情は、なかなかに読み取れないものだった。
なんだろう。
喜んでいるのかな。
そういう風にも見える。
ねえねえ。
不思議の国の都さん。
貴方は、何を思っているのですか。
「都さん」
「あ、」
「帰りますね」
「そっか」
「ありがとうございました」
「うん。またね」
またね、か。
きっともう、また、は来ない。
きっともう、貴方には会えない。
リビングを出る。
家を出る。
「さようなら。
……西野さん」
家に帰ると、
もう何年も流れていない涙が零れた。
女々しくて嫌になる。
俺は、こんな奴じゃなかった。
でも、どうしようもなく、
好きだった。
湖城 都さん。
》俺の事、好きでいてくれましたか|
送れないLINE。
だってまだ、きっと貴方は
旦那さんが好きなのでしょう?
貴方を想ってきたから分かる。
これからは、ポケットに隠さず
手に指輪を輝かせていくんだろう。
今はきっと、指輪を付けて、
部屋に二人の写真を飾ってる。
》大好きでした。|
また送らないまま、
スマホの中から、都さんを消した。
記憶の中から消すことなんて
出来やしないのに。
END