「掌上の雪 ‐沖田総司残照‐」
6章 千 穂(2)
夢を見ていた。
子どもの頃の、たわいない夢だ。
土方と二人、泥だらけになって遊びほうけて家に帰ると、なぜか姉のお光がいる。
お光は、あたたかい笑顔で二人を迎えてくれる――。
――姉さん……。
淡い夢がさめた時、逆光の中に微笑む姉の面影をみとめて、総司はまだ夢の続きを見ているのかと思った。
「お気がつかれましたか?」
額の手拭を冷やしてくれているのは、姉ではない。
「あ、ああ……すみません、すっかりご迷惑をかけてしまって」
総司は、女の顔を初めて間近で見て、その意外な美しさに頬を赤らめた。
「ご気分は、いかがです?」
口調は控えめだが、真摯な温かみがこもっている。人柄がそのまま伝わってくるような、やわらかい声だ。
「ええ。おかげでずいぶん楽になりました」
「まあ、それは――」
よかった、と 微笑んだ横顔が、なぜかとても懐かしいものに思える。
(姉さんに、似ている……)
そう気づいたとき、これまで漠然と千穂に対して抱いていた敵意が、ふわりと薄れていくような気がした。
――歳三さんは、この人を抱いたんだろうか?
ふと、頭の隅をかすめたつまらぬ疑問に、総司はひとり苦笑した。
その額に手拭をのせ、千穂は、姉によく似たくちもとで微笑んだ。
「こんなあばら家ですが、土方さまが所用をすませてお戻りになるまで、どうぞごゆっくりお休みくださいませ」
声の響きまでが、姉のお光を思い起こさせる。総司は、思わず眸を閉じて、懐かしい響きをかみしめた。
「あなたが千穂どのですね? わたしは……」
「沖田総司さま。土方さまからいつも伺っております」
(土方さんは、俺のことをどんなふうに話しているんだろう?)
そんなことが、やたらと気にかかる。
土方が惚れたという女と、もっといろいろなことを話してみたい。
だが千穂は、病人を疲れさせてはと思ったのか、それ以上はあまり言葉もかけず、台所で立ち働いているようだった。
やがて、行燈に灯をともす頃になって、土方が一丁の駕篭を連れて戻ってきた。
「総司、どうだ? 立てるか?」
「ええ、もう大丈夫ですから。歩いて帰れますよ」
見え坊の総司はしきりに嫌がったが、土方が押し込むようにして駕篭に乗せた。
「突然押しかけてすまなかった。沖田が世話になりました。いずれ、また――」
「はい。また、お越しくださいまし」
軽く会釈して顔をあげた千穂の、切れ長の眸が印象的だ。女は、土方だけを見つめている。
思いがけなく、土方の想い人である千穂を知ることになった総司だったが、五条坂の女の家を出てから、ずっと心にかかっている一事があった。
千穂の声音の中に、かすかに秘められたような訛りである。
上方のものではない。大垣といえば名古屋に近いから、そのあたりの訛りだろうか。
(いや、どこかで――? 誰かに似ているような?)
屯所に戻って夜具にもぐりこんでから、総司は突然、その誰かが、江戸にいた頃何度か面識のあった、神田お玉ケ池千葉道場の塾頭、桂小五郎だということに気づいた。
桂は今、この京のどこかに潜伏しているという。新選組や見廻組が血眼になって捜している、長州の倒幕推進派の巨魁である。
(長州の訛り? あの人が……。いや、まさか?)
――偶然か。あるいは?
土方は、気づいていないのだろうか。
それとも、気づこうとしないのか。
❄️