◈◈◈絢◈◈◈・2022-09-21
昼夜に浮くヒツジ_絢
短編小説
僕は奥様に失礼のないように慎重に挨拶をした。
奥様は「気楽なお茶の時間だからゆっくりしてね」と席を勧めてくれた。
それから「博士の子供の頃にそっくりね。主人もきっと同じように思うわ」と言い、僕をからかわれた。奥様はあまり冗談はお得意ではないようだ。
懐かしそうに「主人は《小さな博士》と呼んでいたわ」と話す奥様。
「その頃から博士は博士だったんですね」と言うと。奥様はアーモンドのような目を細めて、僕の空いたティーカップに紅茶を注いだ。
「昔話にお付き合いくださる?」
僕は「もちろんです」とスコーンを割りながらうなずいた。
by絢
助手として一日の仕事の終わりは博士が集めた夢に栞を挟む作業で終える。
大概が混沌とした夢なので細かく栞を挟む。この栞もクセがあり、扱いが難しい。なにせヒツジだから。修正にバクも使うけど、こっちはおっとりしているから楽だ。食いしん坊がたまに傷だけどね。
「やぁ助手君、ご苦労様。一緒に夕食に行こうか」
「博士、お疲れ様です。僕、寿司が食べたいです」
「ふむ、だんだんと要求が高くなっている気がするね」
「奥様を誘ってさっさと行きましょう。店が混みます」
僕をダシに使うんだから当たり前じゃないですか。
by 絢
黙々と資料を読み込んでいる助手君を見ていると昔の自分を思い出す。両親との関係は不仲ではないけれど、感情をあまり表に出さない父と母の事は苦手だった、というよりわからなかった。だから愛情深く接してくれた先生と奥さまには深く感謝している。
淡白な両親の代わりに季節を教えてくれたのも先生たちだった。春には花を愛で、夏には川に行き、秋にはピクニック、冬は屋敷に招待してくれた。そして研究だけではなく、茶会での様々な話し。楽しかった。私もこんな大人になり時間を楽しめたならと思った。
そうして始めたのが助手君と奥さまと私の茶会だった。
「明日はどんな話をしよう」
今から楽しみだ。
by絢
嵐の夜は中庭からヒツジたちを僕の寝室に移動させる。バクは博士の担当だ。
手のひらサイズのヒツジでも、ベッドは狭いからすぐ満杯になる。
真っ白なモコモコの毛に埋もれた僕は手短な朗読会を開く。
夢に挟まれてばかりいるヒツジたちにもリフレッシュは必要だからね。
中庭を挟んだ博士の部屋から悲鳴が。
窓に目をやると、ブラインドの影が慌てている。本棚に鍵をかけ忘れてまた愛読書を食べられているのだろう。
明日は本屋にお使いかな。と思いながらページをめくる嵐の夜であった。
by絢
「博士!調査報告書ちゃんとチェックしてくださいね」
私は睡魔に閉じるまぶたをはがし、マグカップの冷めた紅茶をすする。
「朝食も手つかずじゃないですか!」
私の手元にある皿を見て呆れる助手君。
息子くらいの少年にせっつかれながら私の一日が始まる。
彼の瞳には常に好奇心が輝いている。
私の若い頃にそっくりだ、と言ったら真顔になられて少し傷ついた。
しかし、彼なら私の研究を継げるだろう。
ここは人が睡眠中に見る夢の世界を探究し分析する科学研究所《深海部門》私の仕事場だ。
by 絢
主人からは新しい友人を紹介するよ。と言われて初めて主人に小さな博士君と呼ばれる少年と出会った。私はこの時25歳で彼は12才だった。あれから時は流れて主人は居なくなり。彼とも疎遠になったこともあったが、彼は大人になって本物の博士になり、彼も少年の助手を迎えた。
そして三人でお茶をする機会が増えた。季節も何度かめぐり私も主人の居ない寂しさがまぎらわされた。しかし、時折ふと彼の笑みに主人を重ねてしまう。似ても似つかないのに。どうしたことかしらと思う。
明日は茶会の日。今からとても楽しみだ。三人の時間が長く続けばと思う。
by絢
熱いシャワーを浴びて冷えた体を温める。ついでにバクたちをシャンプーする。わらわらと動くためなかなか大変な作業だ。ヒツジは助手君の担当。私はバクの担当だ。泡がモコモコになる。わぷわぷ言いながらシャワーで流す。
「さぁ、あとはお前だけだぞ」
一匹なかなかシャワーに当たろうとしない奴がいる。バタバタと忙しなく狭い浴室を駆け回る。ようやくすべてのバクのシャンプーを流し終え、浴室から出る。ここからは大変なブロウだ。一匹一匹丁寧にブロウする。つやつやほかほかだ。
博士も最後にブロウして着替えれば完了だ。バスケットにバクを入れて部屋へ戻る。ふかふかほかほかしたバクの出来上がりだ。
「ふうスッキリしたな」
by絢
先生とはどんな人だったのか。それがおぼろげにわかってきた。気さくでお茶目で柔和で優しく気遣いができる人。奥さまの愛している人で、博士の恋敵。しかし、博士もその先生を心から尊敬し愛している人。それが先生。凄い人だ。
なんだか博士に勝ち目は無いように思う。奥さまは博士をどう思っているのだろうか?助手ながら心配に思ってしまう。なんせ博士だから。
「おーい助手君、今夜は寿司にしよう」
「え?なんかのお祝いですか?」
「たまにはぜい沢も良いじゃないかと思ってね」
のんきに寿司なんか食べてる場合じゃないよ博士。とは言わずにおいた助手君である。
by絢
研究室のドアを開きっぱなしにして掃除をする。何日分もの埃が舞う。バクやヒツジは中庭に避難し、助手は博士の手伝いをする。
「やぁ、今日は掃除で終わってしまうな」
これを機に研究東を全部キレイにする勢いだった。
「あ、これは」
助手が見つけたのは先代の研究資料、先生のである。「懐かしいね。それを参考に研究を進めたものだよ」パラパラとめくるとお茶目な落書きが顔を覗かす。
「僕が助手君の頃に描いた落書きだ。しこたま怒られたよ」と博士は笑って言った。
「僕はこんなことしませんけどね」助手はしれっと言うとふたたび手を動かした。
by絢
夢の解析に行き詰まった夜はジャムを煮る。
助手君の好きな果物が常備してある。熟れたそれを少し失敬して、砂糖と一緒に鍋へ。ぼわんと照らされた台所。甘い香りを吸い込み心がゆるむ。
そうだ。このジャムを彼女への手みやげにしよう。いや、お茶に誘おう!
博士、奥様も忙しいんですからね!
即座に助手君の声が脳裏に響く。
むむむ、としながらも慣れた動作で瓶詰めにする。
博士、それが終わったら作業再開ですよ!
脳内の助手君にさえも頭が上がらない博士であった。
「明日の朝食は、私が用意しようかな」
by 絢
「見て。懐かしい写真が出てきたのよ」
先生の愛読書から一枚の写真が出てきたのだ。先生と奥さま、子供の頃の博士だった。
「ちょうど私が先生の助手になって一年過ぎた頃かな」
「博士、幼い!」
「まだ13才だからね」
「私も若いわぁ26歳よ」
と奥さま。博士は奥さまとは13歳差だと言っていた。子供の頃から知り合いで年上の女性に恋をする感情はどんな感じなのだろうか?と僕は思ったりする。和気あいあいと語る奥さまと博士は僕にとって大事な人達だから、これからもずっと幸せな関係でいてほしい。
「次からはここに助手君も加わるんだね。今度写真を撮ろうか」
笑顔のふたりにつられて笑顔になる助手であった。
by絢
先生は珈琲や紅茶も好きだったが、ホットチョコレートが好きだった。とくに真夜中に飲むチョコレートが。
「さあさ、助手君。出来たよホットチョコレート」
小さなグラスにたっぷりのホットチョコレート。ふんわり芳しい香り。
「夜のぜい沢ですね」
「そうだろうとも」
研究作業の終わりに飲むチョコレートは格別だった。
「博士も夜にこうして先生と飲むのが楽しみだったのですか?」
「そうだよ。特別な夜になった」
「そうだったんですか」
「あぁ、だからいつか助手君ともこの楽しみを共有したくてね」
と博士は笑った。
by絢
懐かしい香りが鼻をくすぐる。
「紅茶のシフォンケーキ、私大好きなのよ。よく主人と一緒に食べていたわ」
それはお茶会のケーキだった。それは先生秘伝のレシピで作られたもの。助手である僕と博士で手作りしたのだ。
「うまくいって良かった」
博士は顔をほころばせて言った。
「本当に美味しいわ。ふたりで作ったなんて、懐かしい味をありがとう」
生クリームをたっぷり落としてシフォンケーキを飾るそれに先生との思い出話に花が咲いた。
by絢
俺の夢は先生の研究を引き継ぐことだ。そしてあの人を守ること。先生とあの人の幸せな茶会を続けること。だから早く俺は博士号を取得しなければならない。
先生が亡くなってからは久しくあの人に会っていない。
あぁ会いたいなぁ。あのあたたかい空間で過ごすのだ。未亡人になってしまったあの人をひとりにするわけにはいかないのだ。俺はあの人に恋をしている。先生の奥さまに。許されない恋かもしれない。だけど一緒に居たいのだ。俺とあの人ふたりの茶会も良いが少しばかり寂しい。そうだ、俺も助手を雇えばいい。それなら寂しくはない。三人だけの小さな茶会を。それを実現しよう。
「今日からよろしくお願いいたします」そうして来たのが天才少年の助手君だった。
by絢
紙飛行機を折ってその上にヒツジをのせる。ちょこんと手のひらサイズのヒツジにはピッタリだ。夜間飛行で着いたのは博士の部屋。バクたちがスヤスヤ眠っている。博士はまだ研究室。僕は博士の部屋から廊下へ出てキッチンへ向かう。手にはヒツジをのせた紙飛行機。ヒツジやバクは立ち入り禁止エリアだ。普段なら。今夜は特別。ぐるりと一周してキッチンから廊下、僕の部屋で終着。ヒツジたちもベッドの中へ。
紙飛行機を開いてのばす。それは書き損じたメモ用紙だった。
「さて、僕も寝よう」
くしゃりと丸めてゴミ箱へ。助手のちょっとした遊び心を満たしたヒツジたちはすでに夢の中。
博士には内緒の夜間飛行。明日のフライトは未定。
by絢