【傲倨な背中。】
「父さんに見せるの?」
高校一年の春。
高校のテストは、
人生を大きく左右させる。
「見せなかったとしても、
どうせ聞かれるだろ。」
「母さんが何とかしてあげるよ。」
「大丈夫。
じゃ、行ってくる。」
その時の俺の背中は
とても弱そうだったと母は言う。
「母さん。俺、頑張れたかな。」
「十分、頑張れましたよ。」
「ありがとう。」
時には妻や子にも手を上げるような
クソ親父。
昔から勉強だけには厳しい。
自分の部屋に戻って
父さんが帰ってくるのを待つ。
得意科目は九十七点と、
学年トップだった。
「ただいま。」
威厳に満ち溢れた声。
俺はこの声が大嫌いだ。
「父さん、おかえり。」
「ただいま、利在翔(りいと)。」
「おう。」
「テストは、どうだったんだ。」
「…はい。」
真剣な眼差しの父に、
テストの成績表を見せる。
「国語八十点?
こんな点でよくも堂々と
俺に見せられたな。」
「別に堂々と見せてねーよ。」
「数学は九十七点か。
3点も何を間違えたんだ?」
何なんだよコイツ。
いっつもそうだ。
コイツの普通は常に満点。
それ以外は論外なんだ。
「三問、分からない問題があった。、
完全に俺の勉強不足です。
ごめんなさい。」
と、訳もわからず謝った。
「そうだろうな、
お前はいつも努力が足りないんだよ。」
「はい、すいませんでした。」
別に、褒めてもらいたい訳じゃない。
「頑張ったな。」
「利在翔は凄いな。」
そんな甘い言葉、
貰わなくていい。
ただ、コイツの言葉は
いちいち突き刺さる。
目の前に見える、
結果しか信じない。
「分かったら、
ボーッと突っ立ってないで
勉強しろ。
何してるんだ?」
「ごめんなさい。」
細い針が何本も。
萎れてクタクタの風船を
破るような。
そんな気持ちだった。
「利在翔。」
優しくて、暖かい声。母さんだ。
「なに?母さん。」
「父さん、どうだったの?」
「大丈夫だったよ。
父さん、ちゃんと褒めてくれた。
ありがとう、母さん」
「そう!良かったわ!」
きっと、俺自身、
大丈夫じゃないんだろうな。
容姿とは正反対の豆腐メンタルだし、
本当のことを言えない内気な性格。
辛くない辛くないって、
言い聞かせて、
多分明日も、その次の日も、
この世界を生きるんだろう。
気持ちを切り替えようと、
テレビをつける。
「来週の父の日に向けて、
様々な店舗で新商品が
発売されています。」
よく見るアナウンサーが
安定の笑顔で話す。
父の日か…。
そんなことを考えながら
淡々とテレビを眺める。
「ゆうきくん、
パパには何をプレゼントするの?」
さっきのアナウンサーが、
見た感じ五歳くらいの
男の子に話しかけている。
「僕は、お手紙と、お花を、
プレゼント、します。」
小さい子特有の喋り方で言う。
それも満面と笑みを浮かべて。
その笑顔に、俺までも
ホッコリした。
「俺も父さんに何かしなきゃな。」
そう小さく呟いた。
ハンカチ?
ネクタイ?
あんまりお金は使いたくないな。
バイト代なんて、
ほとんど学費に使っちゃってるし。
通学代のことを考えたら、
趣味に使えるお金なんて
これっぽっちも無いだろう。
「僕は、お手紙と、お花を、
プレゼント、します。」
ふと、あの男の子の言葉が頭に浮かぶ。
手紙と花なんて、柄じゃないよな。
父さん、「なんだコイツ」って
思うかな。
どんな顔、
するのかな。
あんなに「クソ親父、クソ親父」
言ってるけど、
実際大切に思っているのは事実だ。
そこがちょっと、悔しかった。
机の引き出しの奥から、
何年も使っていない便箋と封筒を出す。
何を書こうか、なんて思う暇なく
スラスラと書き始める。
父さんには、勉強のことしか
話していないせいか、
言いたいことがたくさんある。
「トントン。」
手紙を書いていたら、
ノックの音がした。
「いーですかぁ。」
小さくて、幼い声。
「どーぞ。」
「ガチャ。」
ゆっくりと、ドアが開かれる。
そこに立って居たのは
妹の結利乃(ゆりの)だ。
「どうした?」
「利在翔兄。ここ教えて。」
右手には、キャラクターの
シャーペンを持ち、
左手には…これは中二のだろうか。
何やら難しそうな問題集を持っていた。
小五だっていうのに、
こんな問題を?
目を疑う程だった。
「ここは…。」
ほんの少し前に復習した
記憶がある難易度の高い問題を
結利乃は直ぐに理解した。
コイツが高校生になったら、
きっと父さんにも…。
その先は考えないことにした。
その後、結利乃は
「ありがとう。」と言って
去って行った。
もう一度、手紙を書き始めた。
何でだろうか。
どうしてだろうか。
涙が出た。
余程、愛されたかったのだろう。
昔から、羨ましいとは感じていた。
当たり前に、
褒めてもらえるあの子。
当たり前に、
笑いかけてもらえるあの子。
「どうして俺は?」
なんて、腐るほど思ってきた。
そんなことを思い始めてから、
手紙の内容は、どんどん
感情的になってきた。
出来た。
ごちゃごちゃな思いを
全部詰め込んだ
俺なりの不器用な一通。
封筒の開け口には
小さい頃、父さんに貰った
一枚の合格シールを貼った。
ドキドキしながら、
父の日を迎えた。
父さんの職業は、
警察官だ。
だから毎日忙しくて、
朝早くから家を出てしまう。
俺が急いで階段を降りた時には
もう父さんは玄関に立っていた。
「父さん!」
思わず叫んだ。
父さんはびっくりしたような顔で
俺の言葉を待っているようだった。
「こ、これ。
今日、父の日。
いつも、ありがとう。」
暫くして、父さんは口を開けた。
「こんなもの、
書いている暇があったら
勉強しろよ。
将来が見えなくなるぞ。」
と、俺の書いた手紙を持ち、
玄関の扉を強く閉め、出ていった。
悲しい?
そんなものでは表せなかった。
少しでも期待したのが
悪かったのかな。
なんで、父さんは俺が嫌いなんだ。
俺ってそんなに悪い子かな。
「なんでだよ…。」
涙が出て、咄嗟に死にたくなった。
「辛いんだ。」そう、
初めて自覚した。
学校に行く気力もない。
十分くらいだろうか。
ずっと、玄関に立ち止まっていた。
「利在翔?
どうしたの?」
優しくて、暖かい声。
母さんだ。
「ううん。なんでもないよ。」
「ふふっ。なんか、
喋り方が、父さんに似てきたわね。」
…は?
俺があんな、怖い喋りた方の父さんに?
どこがだよ。
その日もいつ通り父さんは
夜遅くに帰ってきた。
そんな夜に見た夢は
何故か記憶にはっきりと残っている。
「母さん、どうして、
父さんが好きなの?」
「頑固で、生意気で、
嫌だなと思うこともあるけど、
ああ見えて子供たちを
一番愛しているって
知ってるからかな。」
いい夢にも程がある。
正夢だったらいいのに。
そんな夢を
また見たんだ。
小さい頃は、
父さんの笑顔見てたっけ、
当たり前に。
ひらがなが書けるようになったら、
褒めて貰えてたっけ、
当たり前に。
なのに今じゃ、
真面に話も聞いて貰えない。
「悲しみ乗り越えたら、
楽しいことが沢山待ってるからな。」
どこかで聞いたことがある言葉が
頭の中を駆け巡る。
「そんなの綺麗事だろ。」
そう、口を尖らせていたら
目が覚めた。
階段を降りて、
玄関を覗くと、
父さんの靴はもう無かった。
あの日、
あの父の日から、
一度も話していない。
リビングに向かい、
テレビを付ける。
ニュース番組の字幕には
赤い文字で
「横浜市 立て篭り事件 LIVE」
と、大きく書いてあった。
視線をテレビだけに集中させ、
じっくり見るとそこには
警備服を着た父さんの姿があった。
数人の警察官に混じって、
何やら真剣に話をしている。
「カッコイイなぁ。」
思わず声が出てしまった。
目から涙が零れた。
大嫌いだ。
あんな父親。
散々辛くさせて、
ギタギタに傷つけた。
あんな父親、
要らなかった。
優しくて、
何もかも認めてくれる
父親が欲しかった。
それなのに、
それなのに。
俺に限ってあんな、あんな…。
「うぅ…。」
何回泣けばこの涙、
使い切れるだろう。
何回傷つけば、
認めてもらえるのだろう。
何回どんなことされても、
俺は父さんが大好きなのに。
暫くして、
番組は朝の子供向きアニメに変わった。
赤く腫れた目。
恐らく俺のであろう、冷めた味噌汁。
結利乃の飲みかけの
オレンジジュース。
俺は何がしたいんだろう。
何になりたい?
「将来が、見えなくなるぞ。」
父さんの言葉が、
また突き刺さる。
すると、つけっぱなし
テレビから
緊急速報の警報の音がした。
音につられて
テレビに視線が行く。
「横浜市 立て篭り事件
容疑者が発砲 警察官一名死亡」
という字幕。
「…は?」
頭が追いつかなかった。
考えるよりずっと
速く体が動いていたから。
電車に乗りながら、
スマホで詳しく場所を調べる。
汗でパジャマ代わりにしていた
ジャージがびっしょり濡れていた。
神様、
どうか。
どうかお願いします。
父さんを、父さんを救ってください。
電車を降りると、
大きなサイレンの音。
血を流した警察官。
遠くから見ても分かった。
あれは俺のお父さん。
銃で撃たれて死んだ、俺のお父さん。
死に方までカッコイイ、俺のお父さん。
優しくて完璧な、俺のお父さん。
俺の憧れで
俺の目標で。
俺がめざしてきた背中。
大好きな、俺のお父さん。
道路には父さんの血が滲んでいた。
俺のガラスの心には
「憎しみ」も「辛さ」も無く、
ただただ父さんへの「感謝」で
満たされていた。
後日、父さんの遺品が、
署から送られてきた。
事件当日に着ていたと思われる
警備服の胸ポケットには
手紙が二通、入っていた。
一つは、俺が父さんに渡した手紙。
もう一つの手紙の宛先は
「佐倉利在翔。」
俺だった。
封筒の開け口には
ピカピカの合格シール。
気になって封筒を開け、
便箋を取り出し、
夢中で読み始めた。
「拝啓
佐倉 利在翔
利在翔。
今まで本当にすまなかった。
数学、よく頑張ったな。
父さんは、お前が夜遅くまで
目を擦りながら、
勉強していたのをちゃんと見ているよ。
厳しくさせてすまなかった。
利在翔には立派に育って欲しかった。
そう言ったら、
言い訳になるかもしれない。
でも父さんは、
利在翔のことを愛している。
それだけ、知ってもらえればいい。
父の日、冷たく当たって
ごめんな。
父さんは、お前と違って
馬鹿野郎だよ。
お前より、考え方が幼いよ。
あの日は、本当にごめんな。
ところで利在翔。
お前の名前はな、
父さんがつけたんだぞ。
人の役に立つという意味の「利」
いつまで経っても、
お前は父さんと母さんの
大切な存在であるという意味の「在」
夢へ翔いてほしいという意味の「翔」
三文字一つ一つに意味がある。
お前がいることに意味がある。
辛いことがあったら、
思いっきり叫べ。
「悲しみ乗り越えたら、
楽しいことが沢山待ってるからな。」
死にたいと思ったら、
家族のことを考えろ。
それでも死にたいなら
死ね。
自分は天国に相応しい人生を
送れた自信を持ってから
堂々と死んでくれ。
人の可能性は無限大だ。
空を飛べる飛行機を作れたのなら、
月面着陸が出来たのなら、
お前は何だって出来る。
自分の可能性を、
一パーセントでも信じてみろ。
人の素晴らしさを知ってから
天国に行け。
六月二十三日
佐倉 武久」
父さんは、人生を教えてくれた。
俺が見てきた傲倨な背中は
最初から父さんだった。
なりたかったものは、
最初からすごく近くにあった。
「慰緒(いお)。
行くぞー。」
「父さん待ってー。」
「早くしろ。」
父さん、今もそこで
見ていますか。
俺は、良い父さんに
なれていますか。
「父さんってカッコイイよなぁ。
僕も将来、警察官になりたい!」
「きっとなれる。
人の可能性は無限大だから。」
「あはは。
何言ってんだよ、父さん!
気持ちわる!」
俺は、父さんが父さんで良かったと、
父さんに思うように。
そう思われる父さんになりたい。
それが、警察官という夢を叶えた
俺の新しい目標です。
目標を達成する度に、
父さんに近づけた気がして
幸せが増えるのは
親子だけの秘密にしましょう。
天国で再会できたその時には
俺に三枚目の合格シールをください。