私は小さい時に
おばあちゃんを亡くし、
小学生の頃に
友人ひとりを亡くしました。
おばあちゃんはガンで亡くなりました。
私の記憶の中では、
ベッドに横たわってる姿しかありません。
毎週土曜日か日曜日に
おばあちゃんちに行って
いとこと遊んでいました。
いとこはほかの県の住んでいるので
夏休みとか長い休みになると
こっちに戻ってきてたんです。
おばあちゃんが寝ていた部屋に
アルバムがあったので
おばあちゃんの隣でその写真を眺めては
キャッキャとはしゃいでいました。
当時の私はすごく幼かったので
おばあちゃんの病気のことは
よく分かっていませんでした。
でも、おばあちゃんは
私たちにとても優しくて
温かかったです。
そんなおばあちゃんの最期は、
冷たい頬に
派手なメイクがされていて
おばあちゃんらしさがなかったです。
真っ赤な口紅で青白さを誤魔化しているのか
濃いチークで生きているよう錯覚させたのか
今でもメイクの意味がわかりません。
でも、最期まで美しいおばあちゃんでしたね。
今でもおばあちゃんの家にはいとことおじいちゃんがいます。
去年からいとこたちは
ここに住むことになりました。
まだ残っているベッドをイス代わりにして
私たちは今でも遊んでいます。
次に友人について。
友人といっても彼女の方が年上で
姉のようにしたっていました。
彼女はアルツハイマーという病気で亡くなりました。
彼女は明るくて
ボジティブで
病気のことをみじんも考えさせない人でした。
ただ、どんなに明るくても
時が経つにつれて病気はどんどん進行していきました。
初めは物忘れから。
あれどこに置いたっけ、
あの人の名前なんだっけ。
最初はただの物忘れだって思ってました。
当時の私は病気のことをよく知らなかった。
だから普通に接していました。
でも、それがだんだん
同じ話をするようになったり
忘れっぽいって言葉じゃ
済まされないなってくらいになりました。
最終的には私の名前も忘れてて
昨日話したことも忘れてて
どんどん酷くなっていきました。
「えっと、ごめん
名前なんだっけ、」
「忘れないでよ、もうー」
そんな会話を何十回もしました。
冗談のように笑っていたけど
毎回続くもんですから
私も辛かったです。
でも、それ以上に心配の方が大きかったです。
ある日、
彼女は手術をするために
アメリカに行きました。
それから日本に戻ってきて、
でも病気は一向に良くなっていませんでした。
彼女の明るさはもうなくて
毎日彼女は泣くようになりました。
急にどこかへ行ってしまったりして、
かと思えばずっと座り込んでしまったり。
少し経って、
ついには歩くことさえ出来なくなりました。
足に力が入らない。
すぐに転んでしまう。
それが、もう
歩けなくなってしまったんです。
そこから車椅子生活でした。
その頃にはもう
彼女の心は枯れていました。
声も出さなくなって、
気づいたころには廃人になっていました。
病気が見つかってから
死を迎えるまでは
あっという間でした。
最初はどうってことないと思ってたのに
最後は何も出来なくなっていたんです。
彼女は他にも病気を患っていたので
そのせいかもしれませんが
まさか死んでしまうなんて
私は考えてすらいなかったです。
今でも納得出来ていない部分があります。
それでも現実見ろって大人たちに言われてる気がして、
なんだか嫌な気分です。