あたりまえポエムとは、日常の当たり前の事実を、ポエムのような文体や見た目で表現するジョークです。
読んだときにおかしさが生まれるのは、内容と形式にズレがあるからです。
言葉はただの事実なのに、外側はポエムの形をしている。
その差が読み手のなかに「面白さ」をつくります。
ここでは、この表現がどのように成立しているのかを見ていきます。
あたり前ポエムで語られるのは、
誰でも知っている日常のことです。
雨が降れば濡れる
朝になれば起きる
お腹がすけばご飯を食べる
こうした事実が、
柔らかい文体や余白のあるフォントで語られ、
夕暮れ、青空、街角の写真が添えられます。
外側はポエムのようなのに、内容は説明に近い日常。
この組み合わせが読み手の期待と実際の間にズレをつくり、そこにおかしさが生まれます。
作品側はポエムの形式を強く押し出しています。
整ったレイアウト、写真の雰囲気、言葉の配置。
どれも「これはポエムです」と語りかけてくるようです。
しかし、語られているのは単純な事実です。
その違いが読み手に意外性を生みます。
ポエムかどうかは読み手が決めるという前提(「ポエムとは何か」の記事で説明しています)が、ここでは逆向きに働いているわけです。
当たり前ポエムは、氏田雄介氏の発案から始まりました。
ネット上で広く共有され、多くの派生が生まれ、ひとつの文化として受け取られるまでに広がりました。
その後、書籍化、写真集、テレビでの紹介、企業とのコラボレーションなど、さまざまな展開が行われています。
氏田氏は株式会社考え中(Thinking Inc.)を立ち上げ、現在は同社で企画や制作の仕事を行っています。
当たりまえポエムは、内容そのものより、読み手の期待とのずれによって成り立つ表現です。
こうした要素がそろうと、読み手はポエムを読む姿勢になります。
その状態で日常の事実が置かれることで、独特の受け取り方が生まれます。
あたりまえポエムは、
言葉そのものだけでなく、
見せ方や状況がポエムらしさをつくることを示す例といえます。