ポエムとは何でしょうか。
書籍で、SNSで、広告で。日常のなかで何気なく目にする表現なのに、その正体はどこかつかみにくいものです。
ポエムにはルールがないのに、多くの人がなんとなくポエムだと感じ取ります。
その感覚は、書き手の心と読み手の受け取り方が重なるところに生まれるのかもしれません。
ここでは、そんな曖昧で自由な「ポエム」という言葉を見つめ直していきます。
ポエムには、決まった形式がありません。
ふと胸に浮かんだ感情や、うまく言葉にならない思いを、そのまま書く。それでポエムになります。
長くても短くてもいい。整っていても、ばらばらでもいい。
だからこそ、ポエムの姿は様々です。
ポエムと詩は、本来は同じ「詩(poem)」を指す言葉です。しかし現代の日本語では、ふたつは少し距離のある概念として扱われています。
詩は文学表現の一つであり、言葉の響きやリズム、構造への意識が強い作品です。詩人・谷川俊太郎さんはこう語っています:
詩は「書くことがなくても」書ける。
言葉が世界のなかに漂っていて、それを拾うように書くものだ。
意味ではなく、音や色、イメージで読むもの。余白や多義性を含み、読み手の解釈の余地を大きく残すのが詩の特徴です。
一方、SNSを中心に広がる「ポエム」は、より素朴で、個人の感情に寄り添う表現です。
詩が「言葉そのものを探る表現」だとすれば、ポエムは「心の動きをそのまま言葉にした表現」。
詩とポエムの違いは、アートとスケッチの違いに似ています。
では、どこからがポエムなのでしょうか?
ポエムには形式がありません。だから、その文章がポエムかどうかは、言葉そのものではなく、その言葉との向き合い方で決まります。
書いた本人や読んだ人が「これはポエムだ」と思えばポエムです。
それくらいポエムは自由でひらかれた表現なのです。
特別な立場や技術に縛られず、誰でも書けて、誰でも受け取れるのです。
では、どのような文章がポエムとして読まれやすいのでしょうか?
情緒に関する要素(エモさ)があると、読み手はポエムとして受け取りやすくなるようです。
ポエムとは、特定の内容や技法を指す言葉ではありません。
想いが言葉になり、誰かがポエムを感じる。
ポエムは、読み手の心に生まれる、言葉との関係性のことなのです。
いろいろな人が書いたポエムを眺めると、この自由さがよりよくわかります。
実際の投稿作品をのぞいてみてください。