※残酷描写あり
※読まずに好きをつけるのは控えて下さい
※誤字脱字あれば教えていただけると助かります
長編小説
『白詰草』
* * *
本棚には、味のちがう魅力がたくさん詰まっている。これが読みたいと思ったとき、その本の魅力に出会える。自分にとっての理想の魅力と違うことはよくあるが、そんな出会いも面白い。
例えば、ショートケーキだと思って食べたら、中にチョコボールが入っていた。と同じような事だ。
想像していた味と異なるのはもちろん困るが、その味を楽しむのもいい。
そんな、まさに本の魅力を食べ始めようとしている人達が、その場所にいた。
「紘斗(ひろと)、借りたい本は決まった?」
言って、彼氏の隣に立つ。紘斗はまだ借りる本を探しているのか、険しい顔で本棚を眺めていた。
紘斗の手元にはもう三冊くらいの本があるのに、これ以上、何を借りるつもりなのかな。貸し出し期間はほんの二週間だから、そんなに読めないと思うけど。
返事さえしてくれない彼氏を横に、そんな思いを抱いていたら
「なぁ、杏花(きょうか)。この本棚のここだけ、面白いことになってるぞ」
と急に話しかけてきた。仕方なく、紘斗が指で示す場所を見てみる。
そこには『季節の隙間で咲く』という背表紙の小説があった。それだけでは紘斗の言いたいことは分からないけれど、その小説の左右を見て、分かった。左には『きみが遺した春の欠片。』、右には『冬色の明日へ』と書かれた背表紙が見えた。
つまり、『季節の隙間で咲く』という小説は別の小説に挟まれて、本当に季節の隙間で咲いていたのだった。私の彼氏はそのことを言いたいのだと分かった。
どれも違う人が書いた小説のはずなのに、五十音順で並べるだけでこんな並び方になるんだ。
「面白いね。普通に並べるだけでもこんな風になるなんて」
私は小さな幸せを見つけた気分になったけど、図書館に来ている他の人の迷惑にならないよう、小さな声で言った。
「そうだろ。たまたま見つけたんだけど、これ凄いよな。春と夏の隙間じゃなくて、春と冬の隙間っていうのがまた面白い。普通に春夏秋冬で考えたら、二つとも始まりと終わりになるもんな」
言われてみると確かにそうだ。紘斗は面白いことに気付くんだな、なんか感心する。
彼が険しい顔で眺めていた理由が分かった。この並び方を見て、ビックリしてたからだ。確かに、私も紘斗もいろんな図書館に行ったことがあるし、もちろんこの図書館にも何回も来ている。だけど、こんな面白いものに気付いたことがなかった。
なんか、モヤモヤしてた気持ちが吹っ飛んだ気がする。
この並び方は前からあった訳じゃなくて、最近こうなったのかな。それこそ、本と本の間にある別の本を誰かが借りているのかも。
「それで、この季節の隙間にある小説を借りていくの?」
聞いてみたけど、紘斗は悩む間もなく、首を横に振った。
「いや、借りないよ。もちろん春も冬も借りない。これは残しておかなきゃ、花を摘むなんてなんか花に悪いし」
紘斗は上手く言葉に出来なかったみたいだけど、きっと花を命と同等に見てるんだ。私の問いかけも無視して優しくないって思ったけど、本当は優しくて、その優しさに周りが気付いてないだけなんだな。
自分の手元にある小説を抱え直して、切り替えてから、また同じ問いかけをする。
「じゃあ、借りる本はそれだけ?」
「あぁ、そうだな。杏花も決まった?」
「うん。お気に入りの作家さんも、気になってた本もあったから」
「よし、カウンター行こうぜ」
二人で本を抱えて、カウンターで貸出をしてから図書館を後にした。そして、高台から街並みを見下ろすように建てられている図書館から、平地の駅へと向かって歩き出す。その駅を超えれば、私たちが同棲している家がある。
緩やかな坂を下っていく途中で、私はいつもの気になる質問をしてみた。
「紘斗の友達から元カノが一人だけ居るって聞いたんだけど、元カノさんはどんな人なの?」
正確に言うなら、元カノの話を聞いたのは二ヶ月前になる。それからずっと紘斗に聞いているけど、答えてくれる気配もなく誤魔化されていた。
知り合いに「お似合いのカップルだね」とは言われるが、こんなふうに誤魔化されて、本当にお似合いのカップルなんだろうか。私に対して、何か隠し事がある気がしてならない。
そんな紘斗は今回も私の言葉をスルーして、さっき借りた本を読んでいる。
「紘斗、聞いてる?」
とまた話しかけても、何食わぬ顔をしていた。その日の空は晴れているのに、妙に暗い気がした。
「え?遊園地に行くの?」
翌日の朝。リビングで手作りのカフェラテを飲んでいると、起きてきた紘斗がいきなり「遊園地に行こうよ」と言い出した。昨日から休みが続いているから、行けないことも無い。
本人によると、棚の中から無料チケットが出てきたらしいけど、かなり急だ。それに、休みとは言っても今日は日曜日。家族連れやカップルで賑わっているような気がする。
「うん、遊園地。嫌じゃないでしょ?」
「でも、さすがに急すぎる。それに、今日は世間的にも休みだからきっと混んでるよ」
思っていたことをそのまま言葉にした。それでも、紘斗は強請ってきた。
「俺は杏花と行きたいんです!この無料チケットも、もう少しで期限切れなんだよ。行ける時に行かないと」
少しだけ迷ってから、私は頷いた。
「分かった。遊園地デートね」
本当は昨日、図書館で借りた小説を読もうと思ってただけで、他に用事がある訳でもない。紘斗の言う通り、行ける時に行こう。それに、この遊園地デートで、紘斗との距離を縮めることができるのなら行こう。
楽しい時間になるだろうから、元カノさんの話は聞いて重い空気にはさせない。その代わり、彼氏とのデートをうんと楽しもう。
紘斗は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、出かける準備をし始めた。私も倣い、残りのカフェラテを飲み干してから、支度を始める。いつもデニムを履くことが多いけれど、せっかくの遊園地デートなので張りきってスカートを着てみることにした。
チケットに書かれた遊園地は電車一本で二十分乗ったところにあるため、乗り換えもなく、思っていたよりも近場だった。目的地が近くなる程、真っ赤な観覧車が見えて、少しずつ大きくなっていった。
改札口を出るなり、私は「遊園地はこちら」と書かれた案内板を見つけた。
「紘斗、あった!早く行こ!」
そう言うと、紘斗は「だな!」と笑ってくれた。紘斗の無邪気な笑顔を見て、なんだか懐かしい気がした。いつもこんな風に笑ってくれたらいいのに。
見つけた案内板を頼りに通路を歩いていく。私はいつの間にか、紘斗と手を繋いでいて、とても嬉しかった。
階段を降りたところで遊園地の入口が見えた。運良く、入場口は混んでいないようだった。
私は逸る気持ちを抑えつつ、紘斗と入場口を通る。目の前には色んなアトラクションがあり、子供の頃の気持ちが蘇ってくるような感覚だ。
「紘斗!最初はメリーゴーランドね!」
紘斗の繋いだ手を引っ張ると、「子供かよ」とまた笑ってくれた。
それから、私たちはメリーゴーランドやコーヒーカップ、あの真っ赤な観覧車にも乗った。どれもこれも楽しくて、最近の暗い気持ちも消えていた。
「よし、お昼も食べたから。最後はジェットコースターに乗ろう!」
遊園地の敷地内にあるカフェを出て、私がジェットコースターを指差すと紘斗はあからさまに嫌そうな顔をした。
「おいおい!食後にジェットコースターは無いだろ」
「いいじゃんか!早く行こうよ!みんながお昼ご飯中の今がチャンスだよ!」
遊んでいる間に解けた手をまた繋ぐのも恥ずかしくて、私は紘斗の背中を押して、ジェットコースターの乗り場まで向かった。私が言った通り、お昼前に並んでいた大行列もすっかり無くなっていた。
ちょっと強引に紘斗も連れて、私たちは小さな列に並んだ。順番が来る気配もなく、ふと紘斗の様子を見るとレールの場所からジェットコースターの行き先を追っていた。
「うわー、これ、結構ヤバいな。一回転するんじゃないか?」
「ほんとに?これ、一回転するの?」
私も気になって、彼と並んで頭上を見上げる。すると、いきなり紘斗が後ろに下がった。自分たちの順番が来たのかと思い、紘斗の方を見たとたん、女性が叫ぶ声が聞こえた。
「私のところに送ってきた手紙とシロツメクサは何なのよ!」
包丁を持った女性の一人が紘斗を刺そうとしたのだった。紘斗は危険を感じたのかすぐに後退りをしたが、包丁を見た私は体の底から体温が消えて、肝が冷えるよう気がした。
「お前!なんで包丁なんか!」
紘斗の知り合いのようで、本人は彼女を知っている様子だった。
女性の持つ包丁が他の人の目についたのか、近くから悲鳴が上がる。すると、紘斗はすぐに乗り場から離れて、開けた場所に彼女と取っ組み合いになりながら向かった。
私の知る限りでは、紘斗に柔道や合気道の経験はなく、男の力だけでなんとか堪えていた。それでも、女性は包丁を持っていて、もし刺されたらと思うと恐ろしかった。
「あんなに好きだったのに!殺してやる!」
言った女性の言葉で、紘斗にとって彼女が誰なのかすぐに分かった。紘斗がずっと話してくれなかった人物だ。
紘斗は必死に元カノを落ち着かせようとするけど、宥める言葉さえが彼女の怒りを買ってしまった。元カノが紘斗の隙を見て、包丁を振りかぶったのだ。本人はそれを瞬時に避けた。
そして、紘斗は元カノから包丁を離そうと手首を叩いた。しかし、彼女は包丁を離すことなく、包丁の刃先は誤って彼女のお腹に向かってしまった。肉が引き裂かれるような、生々しい音がする。
刺された元カノは「ううっ」と喘いで、その場に倒れた。傍から見れば、紘斗が彼女を刺したようにも見えただろう。
「おい!刺されたぞ!」「誰か、救急車呼んで!」と周りから慌てる声が聞こえる。
服に元カノの血が残った紘斗は逃げもせず、寂れた背中を私に向けていた。一瞬の出来事に、私は目を背けることも出来なかった。
どれくらい時間が経ったか。いつの間にか来ていた警察官に紘斗が連れて行かれる瞬間、彼は読み取れない表情でこちらを振り返った。
「杏花」
私を呼ぶ、紘斗の虚しい声が寂れているように聞こえた。でも、そんな声はすぐに中身を含んで、実をつける。
「シロツメクサの花言葉、調べたらダメだからな」
自分の彼氏は何が言いたかったのだろう?どこかに秘めているはずの優しさがもう読めなくなっていた。
紘斗はまるで幸せになれよと言うふうに悲しく笑ってから、警察官とその場から去っていった。
何も出来ずに置いて行かれ、立ち尽くしていた私は我に返って、鞄からスマホを取り出す。紘斗が元カノに送ったらしい其れを調べずにはいられなかった。
それまでの幸福が凍りつく恐怖に怯えながら、検索エンジンに花の名前を打ち込んだ。そこには温かな言葉とは裏腹に、残酷な言葉が浮かんできた。
そのときの痛みと悲しさは、心に強く焼き付いたと思う。
花は、季節の隙間で悲しく咲いていた。
-完-