【Real Me 性別のない人~第十二話 引き裂かれた心】
ざわつくホール内
いつものアットホームな
雰囲気が包んでいた。
性別なんて関係ない。
恐らくまだ俺と同じく
周囲へのカミングアウトが
出来ていないんだろう、
女の子が大股を開いて
大口で笑い実に
男らしい口調で話している。
くっつきあって
飲み物をシェアする女性たち。
男同士の友人に見えるけれど
下方に視線を預けると
その手はしっかりと握られている。
コウコさんが目指す世界は
まだ小さいけれど
俺にとってとても
居心地のいい空間だ。
奈々は…受け入れられるだろうか。
俺が生きていきたい、世界を。
ふと、真横の奈々に視線を落とすと
目を白黒させて
その光景を呆然と眺めていた。
心無しか、
顔色も悪い。
ちくん、と
心に針が打たれた。
バースディパーティという事もあって
ホールの壁にはバルーンアート。
パステルカラーの可愛らしい風船だ。
メンバーから集めた会費で
中央にはオードブルが用意されている。
「想ちゃん、こんにちは」
「うっす、結奈さんこんちは」
「想ちゃん」
「あ、冴島さんこんにちは」
過去5回参加もしていると
顔見知りも増える。
肩を叩き合って
笑い合う仲間も出来た。
カミングアウトは、まだだ。
あくまで俺は
千祐さんの仕事の後輩で
立場上、お手伝い
という事になっている。
それでも
温かく迎えてくれたメンバーには
とてつもない感謝があるし
いつか胸張って言えるようになったら
カミングアウトだって…
そんな気持ちにすらさせてくれた。
「コウコさん、今日の誕生日の人達って、凰介さんとあかねさんと多々良さんでよかったんすよね」
俺はメンバー名簿を見ながら
コウコさんに尋ねる。
コウコさんはうんうんと
相槌を打った後
「あ、違う!あとね」
と、声を上げた。
「え、すんません、まだいました?」
「ううん正式なメンバーじゃないから、そこには書いてないけど千祐も今月末、誕生日なのよ」
「そうなんすか!?」
「うん、プレゼントもあるから想ちゃんから渡してあげてね」
千祐さんの……誕生日。
そういえば俺、知らなかったな。
思いがけない収穫に
自然と口元が綻ぶ。
「うーっす」
その時、
タイミング良く、
千祐さんの声が
耳元に届き
ドキッと心臓が高鳴った。
「おー、やってるやってる」
その声は
コウコさんと俺を見つけて
はしゃぐように近付いてきた。
千祐さんひとりなことに
気付いてコウコさんが声をあげる。
「あれー?紗季は?」
「お前に急遽頼まれた飲み物買ってくる」
「あ、そっか。てか千祐も手伝いなよ」
「誕生月だからパース!」
楽しそうに歯を見せて
笑った千祐さんの視線が
俺の後ろに隠れるように
佇んでいた奈々に向けられた。
「あれ?新人?」
そう聞かれると
おずおずと奈々は
千祐さんの前に
顔を出し、告げた。
「こ……こんにちは」
「こんにちは、想と知り合い?」
あ……やば。
そう思ったけれど
時既に遅しだ。
奈々は形ばかり笑むと
深々と頭を下げ
丁寧に挨拶をした。
「……私、想くんとお付き合いしてます、相原奈々です、よろしくお願いします」
「あ……彼女……」
ほんの一瞬
間が空いた。
小料理屋に連れていってもらった時
彼女の存在を隠した俺の嘘を
千祐さんは悟ったのだろう。
この空気を…
気まずいと思うのは
俺だけだろうか。
「な、なんだよ想ー、彼女いたのかよ!言えよなあ!」
けたけたと笑いながら
大声でそう口にした千祐さんは
ほんの少しだけ、焦っていた。
そりゃあ、そうか。
女いないと思ってたのに
いたら、びっくりだよな。
「言い出せなくて…すんません」
俺がバツ悪く謝ると
千祐さんは大袈裟に
気にするなと顔を扇いだ。
悲しいような…
ほっとしたような…
変な気分を引きずりながら
今日の会の準備を
し始めた俺の服の裾を
やがて、奈々は引っ張った。
「想くん……」
「どうした?」
「具合…悪い」
「大丈夫か?」
「帰りたい……」
やっぱり
刺激……強かったかな…
泣き出しそうな顔で
そう告げる奈々に
俺はひどく動揺した。
「そっ…か」
「途中までで、いいから……送って」
ぎゅっと
握り直された服の裾が
しわを作る。
「いいよ、もちろん」
俺はその手を握って
コウコさんに許可をもらい
奈々とホールを出た。
街路樹の中を
とぼとぼと歩みながら
ずいぶん長いこと
黙り込んでいる奈々に
俺は意を決して聴いた。
「奈々、あの会……どう思った?」
「どうって……」
そう言ったっきり
また長い沈黙が
俺たちの間に流れる。
空に突き抜けるような
街路樹が上空の風に揺られ
ざわざわとしなった。
「……奈々?」
反応が気になって
答えを急くと
奈々は立ち止まり
小さく、呟いた。
「あんなの……おかしいよ」
「……おか、しい?」
「……うん」
奈々の素直な気持ち
そう思いながらも
ショックが隠せない。
平常を装おうとしても
心が言うことを聞かない。
狼狽えた俺を感じたんだろう。
奈々は俺の手を握り締めると
俺を、呼んだ。
「……ねえ、想くん」
「……何?」
「想くんは、違うよね?」
頭が、回らない。
奈々は追い討ちをかけるように
力強く責め立てた。
「女の子になりたいとか、男の人が好きとか……あんな、男の人と手繋いだり、間接キスして喜んだり……あんな気持ち悪いこと、しないよね?」
「気持ち、悪い?」
「そうだよ、気持ち悪いよ」
そう言われる事が
ずっと恐かった。
恐くて仕方なくて
自分を偽り続けた。
周りが次々に
恋人を作る中で一人だけ
置いてけぼりにされているような
焦燥感が生まれた。
結果的に楽な道に…
正しいと言われる体の性別に
戻れるならと
奈々との交際に踏み切った。
「……き」
気持ち悪いよな
そう笑い飛ばすことは
簡単だ。
また偽り続ける方が
楽な道かもしれない。
でも。
コウコさんの言葉を
思い出した。
「ちゃんとね、女の子の体に戻して、彼の前で笑いたいの」
女の子の体に…戻す……
もし叶うなら
俺も、そう在りたい。
その為に
一歩を踏み出したはずなのに
ここでまた後戻りするのか。
そんなの、嫌だ…
俺は充分過ぎるくらい
……逃げてきた。
俺は大きく息を吸って
奈々を呼んだ。
「奈々……俺、実はさ」
その時、耳を塞いだ奈々が
悲鳴のような声をあげて
ヒステリックに叫んだ。
「や……っ、ごめん、聴きたくないっ」
「奈……」
髪の毛を撫でようと
差し出した俺の手も避けた奈々は
「ごめ、ん…ここで、いいからっ」
そう言い残すと、
足早に駆け出してしまった。
「いっ……てぇ」
ズキン、ズキンと痛む、
真っ平らな胸。
心が、引き裂かれたようだった。
だけど、これは
俺に限ったことじゃない。
奈々を傷付けた。
俺を責め立てるように
あんなのは気持ち悪いと言った奈々は
俺が「そう」だと確信を持っていただろう。
否定して欲しくて
あんな言葉を吐いたんだ…。
きっと奈々こそ
心が引き裂かれるように
傷ついたに違いない。
その事にまた心が痛む。
「あー……つれぇ」
涙がまた零れる。
一体、本物の体を
取り戻すまでに
幾つこんな壁を越え
幾つこんな不毛な涙を
流さなきゃならないのか。
自分で決めた道。
されど出鼻さえくじかれて
俺は途方に暮れ
涙色の空を見つめた。