たふに一途に・1日前
ねるねるねるね
空からねるねるねるねが降ってきた
これはもう 練るしかない
君と練りたい
ねるねるねるねを
今夜はひとりで練ってしまったから
やっぱり色は変わらなかった
明日は君と練れるだろうか
僕は
小学校高学年の時の
先生が嫌いだった。
それは今でも変わらないし
僕は死ぬまであの人を
理解しないだろう。
それでも僕は
もうとっくに
あの先生のことを
赦してしまっている。
憎しみの感情は
ねるねるねるねを練る上で
何の役にも
立たないのだ。
ある穏やかな日曜の
昼下がり
僕は
カーテンを閉め切った
部屋で
僕は
ねるねるねるねを
練ったのだ。
あの人が持っていると
ねるねるねるねでも
たべっ子どうぶつでも
何でもかっこよく見える。
オーラとかカリスマ性というのは
ああいうことをいうのだろうと
私は思ったのだ。
多様性や
LGBTや
sdgsといっても
男のくせに
2人でねるねるねるねを
練りたいなどと
言ってしまう人を
僕は軽蔑している。
ねるねるねるねは本来
2人で練るようには
作られていないのだ。
あの魔女に会うまでは
ねるねるねるねは
1人で練るものだと
思ってた。
練っているつもりでいて、逆に、練られている。
しかも、本人は気付いていない。
ねるねるねるねの世界では、よくある話なのだ。
色が変わってホッとしたのも束の間。
私はすぐに次のねるねるねるねを練らなければいけないのだ。
実はそれが、ねるねるねるねだった。
しかしそれは、ねるねるねるねではなかったのだ。
ゾンビ映画をデートに選んだのは間違いだった。
家でねるねるねるねを練っていたら、今頃あの人は、僕の隣にいたかもしれないのだ。
さて、ここに2つのねるねるねるねがある…
1つは、あの魔女の為のもの。
そしてもう1つは、あなたの為の、ものなのだ。
彼女にいいところを見せようと僕は
普段とは違う練り方を試してみた。
しかし今にして思えば
あの練り方はちょっと
まずかったのだ。
今日は雨上がりで
少し肌寒いくらいだ。
しかし
太陽…
焼けるような砂…
波の音と、酸化鉄のようなにおい…
ねるねるねるねアニメ第7話のような
夏の偶像は、すぐそこまで
来ているのだ。
学校の帰りに
君の部屋で
窓から差し込む夕日が
君の頬と、
ねるねるねるねのトレーを照らした。
ねるねるねるねを練ると、
いつもとは違う色に変わったが
それは、夕日だけのせいでは
なかったのだ。
…などいう
青春を
僕も経験してみたかった。
しかし
こんなイメージは
いずれ妄想に過ぎない。
現実のねるねるねるねは
現実的な色にしか
変わらないのだ。