伊田よしのり・2日前
ポエム
解釈
ねるねるねるね
今日は雨で
明日の天気予報も、雨…
せっかくの休みなのに、と思うか
休みの日でよかったと、思うか…
結局のところ
解釈の問題だ。
ねるねるねるねの色を
綺麗だと思うか
つまらないと思うかは、
私次第なのだ。
するってえと何かい😳
あんたは、ねるねるねるねを練らねえって言うのかい😳
過剰に練ってしまうこの症状には、名前がない。だからこれは、病気ではないのだ。
分かっているつもりではあるのだ。
分かっていても
練るのをやめられない。
腹が減っては
ねるねは練れぬ
「
言葉のマジック知ってるかい
下から読んでも同じ意味
」
つまり
それこそが
ねるねるねるね
だったのだ
てやんでい😠
こちとら、ねるねるねるねを練ってんでい😠
雨の日にしか練れないねるねるねるねがあっても、いいと思うのだ。
ねるねるねるねには
嘘も本当もない。
ただ
練ったという事実が
色として残るだけだ。
練ってみなければ、分からない…
そうは言っても、練る前から分かりきっている事だって、あるのだ。
タダほど高い物はない…
うまい話には、裏がある…
「無料で練ってあげる」という勧誘には、ご用心なのだ。
昔
日本人は、働きすぎだ、
と、
言われたものだった。
今でもそれは
変わらない。
人々は
ねるねるねるねの
色の変化にも気づかず
無意味な労働で
誰かの役に立った気に
なっている。
(エッセンシャルワーカーを除く)
夢にまで見たねるねるねるねも
手に入ってしまえば、あっけない。
期待しないかわりに
失望もしない。
大人になるとは
そういうことなのだ。
僕だってその気になれば
一緒にねるねるねるねを練る相手くらい
すぐ見つかるのだ。
僕自身
公務員になりたかったから
公務員という点においては
シンパシーがあるが
僕自身
小学校高学年のときの
先生が嫌いだったから
先生一般に
懐疑的なのだ。
だから
将来教員になりたいと
思っている人に言いたい。
あなたはどんなふうに
ねるねるねるねを練って
どんなふうに色を変えたいのか、
と。