Black Rabbit・2018-11-03
星めぐりの歌
宮沢賢治
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
星空を眺めたくなります。
共感できます。
文化の日にちなんで。
黒兎
99年前の1922年11月27日
宮沢賢治先生の
妹トシが亡くなりました
享年24歳 死因は肺結核
代表作「銀河鉄道の夜」の
カムパネルラのモデルとも
賢治先生の作品作りに
多大な影響を与えた
浄土真宗から法華教へ改宗した
唯一の理解者とも言われ
トシの死に衝撃を受けた賢治先生は
詩「永訣の朝」などを書きました
合掌
生きましょう 皆さん
嵐を越えて 夜明けを越えて
結局僕達は この回る地球という岩の上で
生きることをやめられないんですから
〔文豪ストレイドックス 宮沢賢治〕
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
嵐を超えて夜明けを超えて
結局僕達は
この回る地球という岩の上で
生きることをやめられないんですから
一人の幸せがない限り、
世界中の人の幸せはありえない。
宮沢賢治
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘を
おもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光の像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
宮沢賢治 ・告別より
プリオシン海岸にきました
宮沢賢治と
同じ時代に生きたかったな
銀河を乗り継ぎ
イーハトーブへ
厳しくもあたたかく
苦しいほど優しい
きらめく星の涙を流す人たちの
あの場所へ
久し振りに旅立とう
ただ、ただ泣きたい
こんな夜には
イーハトーブの夢
世界全体が幸福にならない限りは
個人の幸福はありえない
何が幸せかわからないです。
本当に、どんなに
辛い時でも
それが
"本当の幸せ"に向かう
道の中での
出来事なら、
峠の上りも下りも、
全部
"本当の幸せ"に近づく
一足ずつですから。
さよなら、
もう会わないよ。
さよなら
そしてわたしは、空に溺れる。
とにもかくにも、こうしなければならない、こうでなければならない、と断定する言い方をされてしまうと、あまのじゃくなわたしはつい反抗してしまいたくなる。
だからわたしは、冗談以外で絶対にこう、という言い方は避けてしまうが、唯一、これは絶対にこうだよね、と同意、共感を求めてしまうものがあるとするならば、それは宮沢賢治の短編小説、「よだかの星」についてである。
『よだかは、実にみにくい鳥です』から始まる、本当に短い物語なのに、こんなにも美しく、涙が出るハッピーエンドがあるだろうかと読むたびに思ってしまう。
そして何より、よだかの星のよだかの姿は、これはまさに自分のことだ、と自分を重ねて読んでしまう。
思い返してみると、大好きな映画でもこれは自分のことだ、と思うことはないし、漫画でも絵本でも、自分と重なるから好き、とはならないのに、小説に関しては、好きな作品は自分と重なる部分が多い。好き勝手、自分の都合のいいように想像しているだけかもしれないのに不思議だ。
自分に都合のいい世界だっていいじゃないか。
それでも人は正解や答えを求めるだろうから。
映画も本も音楽も、生き方も、自分に都合のいいように解釈をして、間違っていたらそういう考え方もあるんだって、受け入れたらいいだけだ。
言葉の意味も人があとから考えたものなら、自分の解釈で捉えたって間違えじゃないだろう。
目の前の現実さえも、夢じゃないって証明できないなら。
わたしはただ、カシオペアと天の川の間で燃える、よだかの星を眺めている。
世界全体が幸福にならない限りは
個人の幸福はありえない