おばあちゃんの独り言・2025-03-23
おばあちゃんの独り言
おばあちゃんになっても
きゅん
とする感じを
失いたくないなと
私は思っているんです。
人に限らず、
物や状況、
出来事に対しても
きゅん
ってときめく気持ちです。
時間が経つと
思い出は
大抵
美化されます。
美しいまま、
そっと
持っていてください。
それは、
あなたの心の中、
記憶の中だからこそ
の、美しさなのです。
お花っていいですね。
お花を自分で買って、
お部屋や、テーブルに、
ちょっと飾ってみる。
お花があるのと無いのとでは
明らかに
自分のエネルギーが違います。
可愛らしいですからね。
高価なお花でなくても、
お花屋さんの店頭でお買い得になっているようなお花の中から、お好きなお花を選んでみてはいかがでしょう。
気の合わない人も居ますよね。
これだけの人が地球上に居るのですから、合う人ばかりでも大変です。
合わない人が居てくれるからこそ、合う人が分かりますし、合う人のことを大切にしなくてはと思えるんじゃ無いでしょうか。
誰かを心配する気持ちは
一見優しさだけれど、
気持ちはエネルギーになり
会っていなくても相手に伝わります。
心配のエネルギーは実は相手に届く頃にはネガティブなエネルギーに変わってることが多いので、自分の為にも相手の為にも心配しすぎはやめましょう。
そもそも、
信頼していれば
心配はしないんですから。
心配の代わりに
「あの人なら大丈夫に決まってる!」
という気持ちに切り替えて応援していて差し上げるのをおすすめします。
あー、おばあちゃんもそんな頃があったんだねー。くらいに思って頂けたらとても嬉しいお話です。
まだまだ若かった大昔にね、
私に対してお金の無心をして来る男性が居たのです。
お付き合いしている「てい」で居てくれていましたが、私は途中で、気付いていました。
あ、この人は私のことを好きではないな。
と。
何度も情に訴えかけて来てお金を奪っていく人でした。私が渋るようになるとたった1万円でも私のお財布から抜いて行く人でした。
そのくせ、私が何かで悲しんだり辛かったり頑張っている時は、その人はなーんにもしてくれませんし、口では「何も出来なくて」と申し訳なさそうなんですが気持ちなんて入っていません。
今これを読みながら、
おばあちゃん、どうしてそんな奴に優しくしてたの?!って思って下さった方、ありがとうございます。
あのね、
これ、言うと、
お友達にも笑われたんですが……
その人のお顔立ち、背格好、見た目、そう、ルックスが好きだったんです。
お顔を見ると、それまでの憎しみなんて飛んでいってしまって、許してしまってたんです(笑)。
うまいこと、私をいい気分にさせておけば、もう少し長くお金引っ張れたかも知れないのに、私の扱いが雑になった感じを私は見逃さずキャッチしてしまったのです。
もう、この関係は成立しなくなって来たんだな、って感じたのを覚えています。
感覚って大事なんです。
どんな恋愛でも人間関係でも、必ずなにか感じ取りながら接しているんです。違和感を感じ取ってるのに、切ない事実から目を逸らして、感じなかったことにしていても、いつかそのヒビ割れが亀裂になり地割れになります。
その地割れはね、
精神やハートを粉々にしてしまうのです。
私のように、お顔やルックスが好きでまだ一緒にいたいから〜みたいに、利害関係成立してたらまだましかも知れませんけどね。それでも本当は大切にされたかったです。
本当にちゃんと恋愛したいなら、大切にしてくれない人はさっさと捨てて、大切にして下さる方を見つけた方が絶対に良いです。
幸せを選んで下さいね。
嫌いじゃなかった。
でも、あのまま無理矢理一緒にいたらきっと、遅かれ早かれダメだった。
そんな別れもありました。
別れなきゃいけなかったけど、一定期間仲良くしてたのは、お互いにとって相手から何か得るものや学ぶことがあったのでしょう。
別れた責任として、私は幸せに生きなくちゃって思って歩いて来ました。
若い頃のお話。
好きな人が居たんです。
長年好きで、
でも
所謂、クズだったんです(笑)。
好きだから話したいし
お顔も見たいのですが、
顔を見るとこれまでのクズエピソード全部許してしまう。
その人は多分これに気付いていて、私に連絡をすれば何でも許してくれて言うこと聞いてくれるって学習していたのかもしれませんね。
私自身の人生がおかしくなってしまうと思い、徐々に会わないようにして行きました。
会いたかったですよ。
声も聞きたかったです。
ただ、私が消費されていくだけな感じが切なかったです。
好きと言いながら、
覚悟が足りなかったんです。
その人から大切に愛されることをなかなか諦められなくて、次は分かってくれるかもしれない、今度こそやっぱりコイツだなって思ってくれるかもしれない、そして心を入れ替えて丁寧に扱ってくれるかもしれない…………なんて夢を見ましてね。
その人が変わってくれることを願った時点で、覚悟不足でした。
ありのままのその人を、どんなその人でも愛する覚悟が、私には無かったなと思います。
会社勤めがうまくいく人と、個人事業主がうまくいく人がいらっしゃると思うのです。
雇い主がいて、ルールが決められていて、休日や出勤日や休憩時間が決まっていたりシフトで管理されていて、会社の行事もあって、毎日決められたこと指示されたことをやり、時に残業をして、定期的に評価をされ……という感じのことを謎とも何とも思わない、疑問を抱かない、仕方ないと思えるなら、会社勤めが良いのかもしれません。
そうしていればお給金も頂けますしね。よほどのことがない限り、毎月安定した収入が見込めます。
メリットが大きいですし、当たり前に上記のことはやりますよ、ということ。
かたや、
今書いたような内容に対して、
「なんで?」のオンパレードになる人は、きっと会社勤めは不思議現象かもしれませんね。
毎日が「なんで?」の連続になってしまいます。
私がそうでした。
お金あげるんだから言うこと聞いてよ、ってこと?とか思ってしまい(笑)全く魅力を感じなかったのです。
なんで決まってるの?なんで?なんでちゃんとしてる人が出来ない人のフォローばっかするの?なんで毎回仕事が早い人に「終わったならこれ手伝って」とか言えるの?なんで?その人はやるべきことをちゃんと早く終えたんだからお茶飲みに行かせてあげたら良いじゃないって思いましたし、お昼ご飯の後に眠い眠いと口に出しながら半分昼寝しそうな人にもお給金が与えられるのは何故?どうして?
他にもたくさんありました。
きっと私の気質も影響しているでしょうけれど、毎日決められた時間に同じ場所に行って、同じ人たちと一緒の空間にいて、が次第につまらなくなってしまうのです。
最初は良いのです、
覚えること沢山ありますし、
出来るようになっていくのが面白くて。
しかし、毎日同じ職場に通勤する働き方は、人生の中で2回経験しましたが、2回とも3年くらいで辞めました。飽きてしまうと言いますか、面白く無くなって来たのと、次にやりたいことがあったので辞めました。
あとは
自分の都合で生きたい。
これが1番大きいです。
私のように
眠たい時は寝て、起きた時間が朝で、仕事は好きな時にやって、休憩やお食事は私のタイミングで取って………流石にお取引先やお仕事相手とのお約束は守りますけれども(笑)、普段の仕事は自分のやり方とマイペースで進めていくのが好きでしたら、会社勤めしていたらおそらく身体を壊してしまう気もしますし、本当にやりたい事にやりたい時に挑戦出来ずに時が過ぎていく、なんてこともあるかもしれません。
ま、もしかしたら、
ただズボラなだけかしらね。
けれど、
興味が出て来たことや、やりたいことは、最初は好きだけでも、全部、最終的には対価を頂けるようになるまでやって来ましたよ。
1箇所にとどまらず、毎日あちこち色んな場所へ行ったり色んな人たちと仕事をする。やりたいこともやりながら。私が仕事を選ぶ側。
これが楽しかったです。
だってね、
私が大嫌いな、
正直者が馬鹿を見る世界
を自分の意志でいくらでも壊せたんですもの。
誠実に愛のある仕事をする人間だけを選んで共に仕事をするのです。
ルールがあるとしたら…
愛をもって愛を行なう、だけです。
◯◯だからこうしなければならない。
というのは本当は何の根拠も繋がりもありません。
今の環境や組織においてはそうなだけかもしれません。
他の環境に行けば
今の◯◯だからこうしなければならないは間違いになったりします。
私たちは意外と狭い世界に居て、狭い世界の中の常識を擦り込まれて思い込んで生きています。
そんな可能性があるかもな…と心の隅っこに付箋を貼っておくと良いですね。
集団の中に入る度に、
意識せずとも自然とその場の空気を読み、皆に合わせて、話や流れに乗り、笑顔を作ってしまうことありませんか?
皆と別れて帰り道、
1人になった途端にスイッチOFF。
どっと疲れて、フラフラになってしまうことありませんか?
お家に着くまでは何とかかんとか自分という形だけを保って歩きます。
玄関入ってドアを閉めて初めて、
本当の、
本当の自分に戻れる感覚です。
誰にも見せられない本当の自分。
別に、いつも隠しているわけでは無いでしょうし、わざと別人になろうと頑張っているわけでも無いと思います。
ただ、自然とそうなってしまうだけ。誰も悪く無い、自分も悪く無い。
特別な自分の性質ですが、
とにかく
疲れますよね。
だけど、
この
特別な自分の性質は、
略すと
『特性』なのです。
特性と書いたら急に、この自分の気質や性質が、輝き出します。
そう、それは
自分が持っている特別な才能なのです。
そして、何より
皆に嫌な思いをさせたくないという優しさです。
ヘトヘトに疲れ果てて1人倒れて眠るそんな自分が、2人で居ても変わらず居られる誰かと出逢える日が必ず来ます。
いつか巡り会うその人の為に自分を労っていきましょう。
優しくて無意識に笑顔と空気を作ってしまう繊細で美しい魂をちゃんと見つけてくれる人がこの世のどこかに居ます。
読書って「旅」だと思うのです。
自分1人では経験出来ない旅を経験させて貰えるのです。
世の中には到底数えきれないほどの本があり、それぞれ、作者さんが命を削って書いて下さっています。
本にするまでに膨大なお勉強量と研究の時間やお金も掛かったことでしょう。
そんな自分以外の誰かの考えやアイデアや創作ストーリーや体験談等を、たった数百円〜数千円で読めるなんて、凄いことだと思いませんか?
どんな本も、気になった時点で、必要なフレーズが最低でも一節は書いてあります。
一生手に取らない本の方が圧倒的に多いのです。
本は、出逢いです。
そして、
出逢った本は、自分が知らない旅への切符みたいなものだと思います。
読書は旅。
今日も私はお家に居ながらにして旅に出ます🚢🚃🎒✈️🚗🧳。
誰かを嫌う労力と時間を
自分を好きになることに使う。