幾つもの時代を辿り
この世は〝現代〟を築き上げていく
先人たちの知恵や生き様は
たとえ歴史に名を刻まずとも
語り継がれていくものだ
「なんだかここは
古き良き時代、って感じだなぁ」
江戸時代を思わせる街並みと
和と洋が入り交じる人々の服装は
なんとも言えない風情があった
〝琴葉〟
古の風に乗って、どこからともなく
声が聴こえる
「はい」
〝おや、今回はどうやら
明治初期の京都へ飛んだようですね〟
「やはりそうでしたか」
〝ちょうど、明治維新の頃ですね〟
「時代の生まれ変わりの時期ですし
闇を抱える人間様も多そうですね」
〝そうかもしれませんね〟
鴨川の揺らめきに視線を移すと
そのすぐ側に
番傘に顔を隠した女性の姿があった
「……深い、闇」
彼女から放たれる闇は
まるで、漆黒の海の底に居るかのように
暗く、冷たい
くるりと振り向き歩み始めた女性に
私は思わず声をかけた
「あの……っ」
「はい……?」
「この辺に神社はありますか?」
「……神社やったら
この辺りは仰山あるぇ?」
顔を上げ、番傘から覗かせた彼女の顔には
殴られたような痕が見えた
「その傷は?」
思わずそう口にすると
彼女は一瞬瞳を揺らし押し黙る
しばらくの沈黙が
更に闇を濃くするようだった
「……醜いもん見せてしもたねぇ」
「誰かに殴られたの?」
悲しげに笑う彼女の名前はマツ
「ちぃとこっから歩くけど
これから八坂様に寄っていくさかい
一緒に来なはる?」
「うん」
奉公先の主人から用事を頼まれ
鴨川近くまで来ていたマツは
主のお屋敷に帰る前に
一度八坂神社へ寄るのだと言う
ゆっくりと歩きながら
私は彼女の過去を透視した
視えてきた彼女の生い立ち
そして今も続く折檻は実に凄惨であり
胸が痛む
日本でも古くから様々な形で人身売買が
行われてきた
江戸時代になると
幕府は人身売買を禁じたが
完全になくなったわけではない
年貢上納のための娘の身売りや遊女奉公
人を売り買い、まるで奴隷のように
労働や家事に従事させる奉公制度が
未だ認められていたのである
マツも、その一人だった
「……身体の痣も、傷も
主に折檻されたものね?」
「……っ」
どうして分かるのかと言わんばかりに
マツは目を見開いて視線を向ける
「逃げ出そうとは思わないの?」
「……そうしてしまえば、あん人は
必ずうちを見つけ出す」
「あん人……、主のことだね」
「そうや……
死んでしもたら、なんにもならん」
「うん」
「大事な人にも、会われへんようになる」
物憂げに桜の木を見上げたマツは
風に舞う花びらを
そっと手のひらに乗せて語り始めた
「……好きな人が居るんや」
「うん」
「生きてほしいんや」
「うん」
「想いを伝え合わんでもええ
触れることさえ出来ひんでもええ
心で繋がっとるのが分かるさかい」
「うん」
奉公先の主の妾であるマツのそばには
その主の用心棒として
雇われている男性の姿が視える
二人は互いに惹かれ合い
互いの傷に寄り添い合っていた
「旦那はんに知られでもしたら
それこそ大事な人をも失ってまう」
なんて悲しい恋物語なのだろう
「あなたはそれでいいの?」
「……ええのよ」
そう言ってマツは微笑むと
番傘をクルクルと回しながら
口ずさむ
ひとつ 一夜に 人忍び
ふたつ 二人が 逢瀬て
みっつ 見事に 手を結び
よっつ 夜毎に 恋しくて
いつつ いつかの 温もりを
抱いて 夢より 居出まする
はぁーよいよい はぁーよい
「数え歌?」
「そうや、……恋する二人の歌や」
カランコロンと下駄の音を響かせ
少しばかりおどけて見せると
マツはまた歩を進めた
「マツ」
「なぁに?」
「どんな事があっても
この先もずっと
大切な人の手を離したら駄目だよ」
「……そうやねぇ」
「必ず、結ばれる未来が来るよ」
自由のない時代に生まれ
たとえ、どうにもならない運命に涙しても
支え合える人の存在は大きい
時代の流れは早いのだ
きっといつか、また巡り逢える
「心の繋がりは、魂で呼び合う」
「魂で……?」
胸に手を当てたマツは
息を吐くように笑みを零すと
「そうかもしれんね」と呟いた
用事を済ませたマツは
八坂神社の桜を背に振り向く
「これでまた生きて行ける」
「……っ、うん」
「後悔のあらへん人生にせなあかんね」
「うん」
「ありがとう」
そう言って、マツは足早に
家路についた
むっつ 結びの縁 呼んで
ななつ 七色 幸せを
やっつ 約束しましょうね
ここのつ ここで 逢えたなら
遠く遥かの幸せ
あんたとなら信じ合える
はぁーよいよい はぁーよいよい
はぁーよい
桜舞う中、微かに残る歌声に
耳を澄ませば
二人が笑い合う未来が見えた
〝琴葉〟
どこからか、花香る空の向こうから
声が聴こえる
「はい」
〝悲恋と言えど、互いを生きる力に
想えることは、必ずや魂を結びつけます〟
「はい」
〝切なくも、力強い歌でしたね〟
「はい」
〝琴葉の歌声ではない歌を聴いたのは
久々です〟
「……何年ぶりですか」
〝かれこれ、2000年ぶりくらいでしょうか〟
「……どんだけ聴いてないんですか」
〝そんな話はさておき
一度帰って来なさい〟
「はい」
桜の花びらを巻き上げ
優しい春風が吹く
新緑の匂いが芽吹き始める頃だ
ねぇ、マツ
もしも、来世のあなたが
此処に居たら
きっとあなたに
感謝をすることでしょう
後悔することなく
彼と心の手を繋いだまま
生き抜いてくれてありがとうと
あなたはきっと
悪しき縁に打ち勝ち
愛する彼との縁を深め
魂の絆を固く結ぶのです
それは、来世へとバトンが繋がれ
幸せな未来を手にするために
今のあなたにしか出来ないこと
強く、その人生を生き抜いてね
春風に舞う桜の花びらに
生命と魂の行方を探る
儚く散っても尚、鮮やかに
心に咲き誇る人生が
そこに在るようだった