【あの夏が飽和する】
-あれは、君と過ごした最後の夏の話。
この狭い狭い世界から逃げ出した
ダメ人間の僕と人殺しの君の物語。
「昨日人を殺したんだ。」
6月の雨にかき消されそうな
鳴咽混じりの震えた声で、
確かに君はそう言っていた。
僕の目に映ったのは肩を抱えて
目から大粒の涙を溢す君の姿-
肩まで伸ばした髪と、整った顔立ちの
僕の唯一の『友達』、「紗綾」だ。
そんな記憶から始まるあの夏の出来事。
たっぷり1分くらい経っただろうか。
続いて君はまだ震える唇から言葉を紡いだ。
「殺したのは、、、
となりの席の、いつもいじめてくるアイツ。」
「私、それにいやになって肩を突き飛ばしたんだ。そうしたらアイツ吹っ飛んで机の角にぶつけて、、、、それで、、、、」
「そしたら先生が来て、、私が一方的に殺したみたいになってちゃんと説明したのに、、、、」
「そして自分の親と相手の親が来たけど、、、、全員向こうに味方で同情もされなくて、、、少年院にいくことになって
親からも『なんでそんな事したんだ。この事が表に出たらどうなるかわかるだろうな』ってそれでここまで、、、、」
10代の少女が人を殺した。
その事実が本来なら思考停止のものだ。
なのに何故だろう。平常心が保てているのは。無論、彼女は
"そんなこと"をするような人ではない。
それでも平常心を保てている理由には、
薄々察しはついていた。
それは、この世界は─、
「平和」と言う名の、残酷な地獄だからだ。
「もう、私には居場所はないんだ。もう、もう、いっそどこかで。どこか遠いところで…」
少しの間。君は無理矢理笑みをつくって、
「─死んでくるよ。」
と、そう口を紡がせた。
そして彼女は走りさろうとしていた。
その時なぜそうしようと思ったのかわからないけど
気づいたら僕は「それじゃ僕も連れてって」
そう言っていた。
彼女は驚いたような顔をしていたが、
すぐに淡い笑みを浮かべた。
ああ、やっぱり一人は寂しいんだな、
なんて思ってみたり。
「それなら準備をしないとね。」
涙を拭いて再び僕に背を向けた君に
「待ってろ」と、言葉を投げた。
勢いよく階段を駆け上がり、
少しして白色のフードつきのパーカーを片手に握って駆け下りてくる。
「これ、貸してやる。気付かれんなよ。」
彼女は「ありがとう」と、短い返事を返し、また背を向ける。
─その顔にはさっきの乾いた笑みとは違い、本当の笑みをこぼしていたことを僕は、彼女すらも気づかなかった。
『そして僕らは逃げ出した
この狭い狭い世界から。』
カバンの中には僕の全財産の入ったお財布、
僕が悪いことをしたら『躾』するようのナイフ、
携帯ゲーム、そして少しの勇気。
要らないものはすべて壊した
・笑顔だけ取り繕った上辺だけの家族写真
・親の『躾』について書き綴った日記
それに
・紗綾を虐めていたクラスのやつとそれを見て見ぬ振りをした教師
・ナイフを使って『躾』をした親
すべて捨てて『2人で』
僕たちは当てもなくただ必死に走った。
すぐ発車するバスに乗った。
僕は言った。
「遠い遠い誰もいない場所で2人で死のうよ。」
「人殺しとダメ人間にはこの世界の価値などない。」
「それに人殺しなんてそこら中湧いてるじゃん。」
『だから君は何も悪くないよ』
「うん…」
君は寂しそうな表情を浮かべ、俯いてしまった。
お互いにあまり喋ったりするタイプではなかったが、それにしても重い空気が漂っていた。
、、、どれくらい経っただろうか。
ゲームの時計を見てみるとまだ30分も経ってない。
すると「次は終点です」というアナウンスが流れた。
僕たちはそこで降りた。
雨は止んでいて空が少し赤みがかっている。
「ぐううう」お腹が鳴った僕は恥ずかしくて笑ってしまった。
すると紗綾も笑った。少し空気が和んだ気がした。
─ぁ。僕は何かを思い出したように間抜けな声を漏らした。
「…リュックに食べ物入れたっけ」
なにも言わない君に背を向け、リュックの中を漁る。
案の定、口にできるものはなかった。
君と目を合わせると、ようやく笑いを堪えているのが分かった。
君はポケットから駄菓子をいくつか取り出した。
「…知ってたろ」
君は尚も笑いを堪えたまま首を縦に動かし、肯定。
こいつ。リアクションを楽しんでたらしい。
近くに公園のベンチがあった
そして僕たちはそのベンチで駄菓子を食べた。
よく食べている駄菓子のはずなのに今日はいつもより少し美味しくて、
いつもと違う味の気がした。
宿泊先忘れやすいものランキング上位の
歯磨きセットをリュックに入れていた
という謎現象に助けられた。
公園内の蛇口を捻り、水を出し、歯みがき粉をつけて歯を磨いた。
もう18時を回っただろうか。
夏だから分かりにくいが、日が落ちてきて、
僕らの影が細長く傾いている。
あまり外に出て遊ぶという経験がなかった僕は、
既に疲れがたまっていた。
そして何かを思い出したように僕は「あっ」と言って立ち上がった。
「夜、どうしようか。」
寝る場所について、小さな会議が始まった。
所持金は5000円、
どこかカプセルホテルに泊まったとしても2泊で終わる。
公園で泊まってもすぐ警察に見つかって終わり。
「うーん」
と考えていると優しそうなおばさんが話しかけてきた。
「あんたたち2人でどうしたん?」
「、、、」
「まさか家出か?」
そして僕たちは少し頷いた。
「そうか泊まるところがないんやな。
じゃあ安心し、
おばさんが1日だけ泊めてあげるわ」
普段ならこういう話は危ないと思うのだが
その時僕たちは疲れていたのと
そのおばさんの優しさが心に染みたから
泊めてもらうことにした。
年期の入った家で、妙な安心感があった。
6畳の和室に案内され、そこに荷物を下ろす。
2人でひとつの部屋、
ということに僕は気づかなかったが、
紗綾は気づいたらしく、少し頬を赤らめた。
「あんたら、ご飯は?」
一応食べたので、
「はi…ぐぅぅー」
「はい」と言おうとしたが
空気の読めない僕のお腹がまた鳴った。
おばさんはにっこりして晩御飯を作るため、
台所へと足を運ばせた。
1分くらいすると味噌汁のいい匂いがしてきた。
おばさんの名前は村田と言った。
紗綾が村田さんの手伝いをしようとしたら
村田さんは
「ええよ。昨日の残りものと味噌汁やし」
と言った。
10分くらいして肉じゃがと味噌汁とご飯が出てきた。
「ごめんな。おばさん1人暮らしやから少なくて」
「いいですよ。こちらこそお邪魔して」
手を合わせてご飯を食べる。
すると頬を伝う何かが机の上に落ちた
「えっ」
僕は泣いていたのだ。
慣れないことをしてとても疲れたのだろう、
すると紗綾は「クスッ」と笑って
みんな笑った。
食べ終わり、また歯を磨いた。
流石に皿洗いくらいは手伝った。
21時を時計の針が回り、
少し早いが布団に入った。
紗綾とは違う布団だったけど、
妙に心臓が高鳴ったのは
きっと知らない人の家で緊張しているのだろう。
寝巻きはおばさんが貸してくれた。
おばさんはまだ起きていた。洗濯をしていた。
するとおばさんはこう言ってきた。
「あんたら服これだけか?」
「はい」
「これ結構汚れてんな」
「おばさん洗っといてあげるわ」
「いえ、そんな」
「ええから、ええから」
そう言っておばさんは洗濯機を回し始めた。
洗濯機の音を何処か遠くに感じながら
2人で布団を並べて横になる。
するとすぐに眠気が襲ってくる。
考えなくてもわかる程、僕らは疲れていた。
嫌いだったけど殺すつもりはなかったのに
運悪く殺してしまったということに、
見たことない場所で
知らない人の家に上げてもらいご飯を頂き、
汚れた服を洗濯までして貰うということに、
これからどうするか、行く宛ても無く、
ただ死に場所を求めて歩いて行くという事に。
寝息ではない息が虫達の鳴き声と共に微かに聴こえる。
まだ紗綾も起きているようだ。
「…紗綾…」
「なに…?」
(特に言いたいことも無く、
ただ無性に君の名前が呼びたかった。)
なんて言えるはずも無く、
「ううん…何でもない」
と言った。
いつの間にか寝ていたようで朝になっていた。
するとおばさんが
「おはようさんよう寝れたか?」
と言って扉を開けた。
「はい、お陰様で」
視界と頭がぼんやりする中で、軽い嘘をつく。
いろんな事があったからか、
少しまだ疲れが残っていた。
本当に、いろいろと。
カーテンの隙間から射し込む太陽光が顔にあたり、
眼鏡も取っていたから余計に眩しかった。
まだ寝ている紗綾を起こし、
そのまま村田さんに別れを告げ、家を出た。
しばらく歩いた時、ふと
「いつか夢見た優しくて、
誰にも好かれる主人公なら汚くなった僕たちも見捨てずにちゃんと救ってくれるのかな?」
と言った。
紗綾は
「そんな夢なら、もう捨てたよ。だって現実を見てよ。『シアワセ』の4文字なんてなかった。今までの人生で、思い知ったじゃん。」
と言った。それもそうだと思った。
「自分は何も悪くないと、誰もがきっと思ってる。」
そのまま、僕たちはまた黙って歩き出した。
─ふと、紗綾の目元に薄いクマができているのに気づいた。
「あんまり寝られなかったのか?」
「うん、ちょっとね。」
嘘をつけない性格故か、
顔も少し悲しそうな─否、
哀しそうな表情になっていた。
紗綾は少し考えると、
歩く速さを少し落として話し始めた。
「私、昨日ちょっと寝付けなくってね。
トイレに行ったんだ。
そしたら1つ前の部屋に明かりがついてたんだ」
紗綾は目をつむって、1拍。また口を紡ぐ。
「案の定、村田さんはそこに座ってたよ。
─仏壇の前にね。そこにはやっぱり、
お祖父さんの写真があって、話しかけてた。
多分、毎日ああやってるんだろうね。
それを見てたら、流石に色々考えさせられたよ。布団に戻ってもモヤモヤしてさ」
彼女の瞳には遠く、空を映した。
そして君は空を眺めたままポツリと呟いた。
「…もうやめにしない?」
僕はその言葉の意味が理解できず何も言えないでいた。
すると紗綾は僕のリュックを取り上げて
ゴソゴソと漁り出した。
なんだろうと思っていたら
彼女はナイフを手にして言った。
「私ね、君が…蒼月くんが今まで傍にいたからここまでこれたんだ。」
すると彼女はふっと息を吸って、
「だからもういいよ。もういいよ。」
「死ぬのは私1人でいいよ。」
すると紗綾は手にしていたナイフを
自分の首につきつけ、
僕が止める間もなく自分の首を切った。
僕が彼女に貸していた白いパーカーは既に
彼女の赤い血の色で染まっていた。
1瞬何が起こったのかわからなかった。
紗綾は死に際に笑っていたのだ
まるで映画のワンシーンのようで ─
白昼夢を見ている気がした。
僕はやっと何が起きたのか理解し
横たわっている彼女に駆け寄った。
「紗綾…なあ紗綾…?」
何度体を揺さぶっても目を覚まさない
溢れる涙が僕の頬を伝わっていった。
「起きろよ…起きろよッッ!!!」
______________________________
それから何分が経つだろうか。
気づけば僕は大人に捕まり、
周りには大勢の人だかりができていた。
君がどこにも見つからなくって、
君だけがどこにもいなくって─
警察から
「何があったの?」
やら
「どこから来たの?」
なんて色々聞かれるけど、
何があったかなんて、言ったって…
どこから来たか言ってしまえば…
僕は紗綾の居ないあの場所に戻されてしまうだろう。
なんて考えられるはずも無く、
ただただ君の血の色が忘れられなくて、
思い出したくなくて、
でも忘れたくなくて、
矛盾した騒ぐ心を抑えるのに必死で、
何も答えられずに俯いていた。
しばらくして絞り出した言葉が
「どうして、僕らがこんな目にあわなきゃいけないんですか…?」
掌に落ちた水滴が涙とわかるまでに時間がかかった。
警察の人は何も言わなかった。
ただ、僕の頭を優しく撫でてくれた。
本当はもうあんな場所に戻りたくない
紗綾がいない世界なんて…
でもこのままここにいるわけにもいかず、
仕方なく警察にすべてを話した。
「そうか、辛かったね。」
そしてまたゆっくりと僕の頭を撫でた。
また戻ってくることになってしまったこの場所。
色々なことがあった所の為かひどく久しぶりに感じる。
─紗綾が殺したアイツの席には
花が置かれてあった。
______________________________
あの日、紗綾がいなくなった日から2ヶ月が経とうとしていた。
僕はまたあの夏の日のことを思い出して授業中もずっと上の空だった。
ここには家族もクラスの奴らもいるのに
なぜか君だけはどこにもいない。
─ねぇ、紗綾…君をずっと探してるんだ。君に言いたいことがあるんだ。
9月下旬。
花粉症の僕たちは
同じタイミングでくしゃみをしたことがあったよね。
6月は雨の湿った空気を吸いながら
紫陽花を眺めていたあの日を思い出す。
…その時間を、もう2度と君と繰り返して過ごすことが出来ないんだ。
くだらない話で笑いあったあの日。
辛くて泣いたあの夜。
ただただ走ったあの時間。
君の笑った顔は、
君のその子供みたいな無邪気さは、
僕の心を満たしてく。
頭の中を飽和している。
君の存在に僕が救われたことなんて、
君は考えてもいなかっただろう?
愛してくれなかった家族も、
それを見て見ぬふりした周りも
誰も悪くない。
愛されなかった僕も、
君も悪いはずがないじゃないか。
そう言って欲しかったのだろ…?
なぁ、答えてくれよ…。
[END]