ミト
〈星々が看取るエンドルロール〉
夜10時。
マンションの屋上は思った以上に風が強く
来ているパジャマと私の髪を乱暴に揺らした。
髪、結んできたら良かったかな。と考えるが
これからすることを考えて必要ないかと思い直した。
こんな時間に屋上に来ているのは
もちろん遊びに来たからではないし
パジャマパーティをしに来たからでもない。
屋上でパジャマパーティーをする馬鹿はいないだろう。
『風、思った以上に強いな』
「そうね」
隣にいる蓮(レン)が私と同じことを言う。
私たちがこんな時間にマンションの屋上に来た理由は
『飛び降りた時に風に流されなきゃいいんだが』
「この強さなら大丈夫でしょう」
『そうか』
そう、飛び降りるため。
自殺するため。
私たちは今日、ここから飛び降りて死ぬ。
『にしてもお前、パジャマってどうなんだよ』
呆れたように蓮が言う。
「制服もどうかと思って、パジャマでいいかなって」
「そう言う蓮だって部屋着じゃない」
蓮は大きめのTシャツにズボンと私とほぼ変わらないような格好だった。
『まーな。もうすぐ死ぬんだし、服装なんてどうだっていいかと思って』
「だったら私にも聞かないでくれない?」
悪ぃ。
と蓮は全く悪いと思ってない笑顔で笑って謝る。
いつものことなので、呆れたように一瞥する。
死ぬ前の会話にしては落ち着いている。
普段の私たちの会話だ。
ふと、蓮が真面目な表情になる。
『雅(ミヤビ)んとこ、家抜けてここ来たのバレてねー?大丈夫??』
「大丈夫よ。いつも通り。私がいないことにも気付いてないんじゃない?」
『そうか』
「蓮は?お父さんにバレてない??」
『俺んとこも大丈夫。いつもと変わらん』
「そう」
お互い淡々と言葉を返す。
親にバレていないか確認するが
恐らくバレていても何も言われないし止められないだろうということに
本当はお互い気付いている。
『おばさん...さ、まだ泣いたりしてる?』
少し躊躇したように蓮が聞いてくる。
「してる。毎晩ね。立ち直れそうもないみたい」
『...そうか』
「蓮は?お父さんからキツく当たられたりしてない?」
『もう慣れたよそんなん。昨日だって、ほら』
自嘲気味に笑ってズボンを捲って足を見せる。
そこには痛々しい青あざがいくつもあった。
「...またなの」
『もう慣れたって』
笑う蓮。無意識のうちに顔が歪んでいたのか
『お前がそんな顔すんなよ』
そう言って蓮は私の頭を乱暴に撫でた。
風で乱れた髪の毛がさらにぐしゃぐしゃになる。
「ちょっと、髪の毛めちゃくちゃなんだけど」
『えー知らん。気のせいだろ』
気のせいなんかじゃないし。
と呟いた声は小さすぎて風に飛ばされて届かなかったようで
蓮は『ん?』と首を傾げている。
なんでもないと首を振って、ふと私も自嘲気味に笑った。
「今更こんなこと言い合ったって意味ないのに、馬鹿みたいね。もうすぐ死ぬのに」
『確かに』
蓮も笑った。
「きっとあの人は私が死んでも気にしないわね」
あの人、というのが母親だと気付いたのか
『俺んとこの人も気にしないだろうな』
蓮もそう言った。
もはや親と呼ぶのもおこがましい。
そんな雰囲気だった。
私の父親は女を作って家を出ていった。
それから母は毎晩毎晩泣くようになった。
家事も仕事も何もせず
ひたすらに泣いている。
私がいることも忘れてしまったようだ。
もう何十日も
母と会話なんてしていない。
蓮のお母さんは交通事故で亡くなった。
ショックを受けた蓮のお父さんは、お酒に溺れるようになった。
仕事も辞めお酒ばかり飲んで
蓮に暴力を振るうようになった。
私たちは幼なじみで部屋が隣同士で、よくベランダに出て話をした。
小さい時から約束もせずにベランダに出て話す。
それが当たり前になっていった。
お互い親がダメになってからは、話す頻度も増えた。
止められることも無く
ただひたすらに話し続けた。
夜が明けるまで話したこともある。
私たちはお互いに必要不可欠な存在なのだ。
でもお互い、こんな日々にもう嫌気がさしていた。
毎日毎日同じことの繰り返し。
希望なんてない。
いつからか、お互いに思っていたこと。
『「もう死のう」』
それを初めて口に出した昨日。
やるなら明日の夜にしようと約束した。
今頃あの人は泣いているだろうし
蓮のお父さんもお酒を飲んでいるだろう。
きっといないことにすら気付いていないのだから
もうどうだっていい。
乱れる髪を抑えて端まで行って下に広がる夜景を眺める。
ポツリと思ったことを口にした。
「遠くから見ると綺麗だけど、近くで見るとぼやけて薄汚れた光の集まり」
「まるでこの世界みたい」
『ほんとだな』
蓮も隣に立って夜景を眺める。
『消えたい、死にたいが間違ってるなんて、誰が決めたんだろうな』
この世界を嫌っているように聞こえる口調。
きっと、いや、ずっと前から
君も私も
こんな世界好きではなかった。
「きっと、誰でもないわよ」
「本心を言わせてくれないこんな世界、腐ってる」
その時、ふと風が止んだ。
抑えていた手を離す。
空に目をやった。
「蓮。星が綺麗よ」
「私たちの最期を見守るのは、星たちってことね」
『俺たちの最期にはぴったりだ』
偽りの美しさの夜景よりも
空に浮かぶ小さな星々を目に焼き付けて
『雅』
ふと蓮に名前を呼ばれる。
『生まれ変わったら、幸せになろうな』
そう言って左手を差し伸べる。
それに右手を重ねて
「ええ」
ぎゅっとその手を握りしめる。
蓮は今までで1番綺麗な顔で笑っていた。
お互い手を離すまいと握って
最後に笑顔を見せて
端から1歩踏み出して_
私たちは空を翔んだ。