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「やーい、なきむしー」
零れるばかりの涙が
いじめっ子たちの気分を高める。
グズグズしていると
いつものように兄ちゃんが現れた。
「やめろ!」
顔を顰めて遠くへ走る音が聞こえる。
ぼやけた視界の向こうで
「僕が守るから」
そんな声がやけに寂しそうだった。
煤けた空色も見飽きた。
夜が終わって朝が来ての繰り返し。
授業の暇つぶしに空を見ていたのに
飽きてしまったらどうしようもない。
チャイムの音を今か今かと待つ。
あと数分がやたら長い。
ゾロゾロと人が帰る様を
二階の席から順々に見下ろしていく。
煤けた空よりも煤けてる人ゴミ。
人の山が消えてからちっぽけな学校を
軽いカバン片手に出る。
いつもと変わらない通学路。
いつもと変わらない遅い信号。
いつもと変わらないひとりの時間。
日々の中で変わらない何かを
見続けることが大嫌いだ。
部屋は相変わらずガランとしていて
テーブルには、置き手紙。
クソみたいな父と離婚した母は、
仕事は忙しそうでもどこか楽しげ。
ピーンポーン
壊れたインターホンが今日も鳴る。
テレビもつけていない部屋に
音がいつも以上に響いた。
ドアを開けることも
返事をすることもしない。
いつもいつもいつもそう。
なら、今日はいっかな。
そんな気分だった。
これくらい軽い感じがいい。
「いらっしゃい」
今、人が家の前を通ってしまったら
私のことを変な人だと思うだろう。
誰もいないドアの向こうに
微笑みながら言葉を放つなんて。
お邪魔します、口パクでも分かった。
変わらない礼儀正しさだな、
なんて懐かしさが込み上げてしまう。
リビングのソファに座った。
小さい頃、グズで泣き虫だった。
いじめっ子たちにすぐ囲まれる。
泣くことしか出来ない、
そんな変われない自分が嫌いだった。
隣に越してきた2つ上の男の子がいた。
一人っ子だった私にとって
お兄ちゃんのようでそう呼んでいた。
それからいじめっ子が私に集ると
いつも現れて助けてくれた。
でも、何だかんだで
たった2つしか変わらなかった。
前の家は、常に散らかっていた。
壊れてる家具、破れた壁紙。
酒に溺れた父が仕事から帰ると
私と母に眠る暇はなかった。
泣くと怒られると分かっていても
涙は止めることが出来ないものだった。
お兄ちゃんは、すぐ気づいた。
凄く、優しい言葉をかけてくれた。
でも、どれだけ綺麗な言葉も
汚れた私の前じゃ憎くて仕方がなかった。
だから、つい、あたっちゃった。
八つ当たり。最低だと思った。
散々、助けてくれたお兄ちゃんに
思ってもいない嘘をぶつけた。
紙でできたような牙を向けて。
お兄ちゃんがそこで初めて泣いた。
トボトボと薄暗い公園から出ていった。
その直後だった。
お兄ちゃんが消えるとトラックが映った。
理解するのに時間は、掛からなかった。
「恨んでる?」
首を振った。
「でも、ここに来たじゃん」
首を縦にした。
「なんで?」
真っ直ぐ私を見た。
スっと私を透ける体のくせして
私を抱きしめるような形をとった。
何年も枯れていた涙が出た。
「ま も る か ら」
壊れたインターホンがこの間、
新しいのに変わって音が鳴るようになった。
あの通学路は、でこぼこだったから
工事が最近始まった。
信号機は、どっかの人が遅いと
文句を言いに行って早くなった。
あの駄菓子屋も消えた
あの学校も取り壊される
煤けた空だってちょこっとだけ、
暇つぶしになる程度になってきた。
変わらないものばかりだと
思っていた世界に
変わるものが沢山あると知った。
そして。変わらないでいいものも
存在していいのだと知った。