レッサースー太🐧🦈🤝・2日前
自分史
小学校3年4年
この2年間が、小学校生活の中で一番好きな2年間であった
担任の教師が、今までの教師とは違い、1番僕の事を心配してくれた教師だった
相変わらずイジメは継続中だったが、それでも、何とかやって来れたのは、この教師のおかげであると言っても良いと思う
クラスで何かやると言った時でも、どうしても僕は、1テンポ遅れがちになる
クラスの他の人と、どこか違うから、どうしても迷惑をかけてしまう
当然、クラスの子は、そんな僕に怒れて文句を言うが、この担任教師は、「そんなに責めるな」と止めてくれた事もあった
この頃になると、僕も、いよいよ、普通とは違う事を実感してくる
今までの人生を振り返って、幼稚園からずっと、どこか普通と違う何かが、段々、一本の線となって、つじつまが合ってくる
そして、これ以降、新たな症状も
もちろん後で知る事になるのだが、発達障害は、変化に弱い
授業変更とかされると、それでも普通の人は、適応できるが、なにぶん、小学3年や4年の当時の僕には、変化した授業内容をメモすると言う事が、思い付きもしなかった
とにかく、変化に弱く、授業変更した際には、必ず忘れ物をするようになった
幼稚園の頃は、何か他の人とは違う?
?マークはあったが、もう、確信に変わってきた
小学校の時に、一つだけ、養護学級、今で言う、特別支援学校のミニバージョン
が1クラスだけあった
実は、僕は、小学2年生の時、毎年行われる知能テストの結果が、多分良くなかったのか、この養護学級に1日だけ行く事になった
色々な基礎的なものから、難しいものまで、色々な検査があり、それで一応は問題無しと判断されたのか、普通学級に帰ったわけだが、今になって思えば、この時、この養護学級や、特別支援学校に転校するなりしていれば、少なくともこの先、発達障害で、こんなに苦しい思いはしなかったと思うが、今になって言っても、まあ、遅い話だ