そこはきっと私が知る世界の中で
いちばん天国に近い場所だった。
縁は私の手のひらを
痛いくらいに繋ぎ止め
「結月、生きろよ」
そう、告げた。
私も、生きたい。
縁と、生きたい。
思わず、涙が零れ落ちた。
それでも縁の手のひらを私は
強く、強く握り返す。
それは決意の表れだった。
【surgicalmask~第四話 ありふれた奇跡】
大きな遊園地じゃない。
小さな遊園地。
コーヒーカップに
メリーゴーランド
ゴーカートと
ジェットコースター
それから観覧車。
目新しいアトラクションなんて
ひとつもないありきたりの遊園地。
でもそこは
私達が住む街のシンボルだった。
古びたスピーカーから聴こえる、
陽気な音楽。
心は嫌でもうずうずと踊り出す。
それは、縁も同じ事だったらしい。
勢いよく、私の手を引くと
「行くぞ、結月っ」
と、マスクの中の目が笑う。
「うん!まずはゴーカートっ」
「いいよ、結月の席は助手席な」
「えー、運転席がいいー」
「だめ、結月下手っぴだもん」
そんな意地悪を言う縁の力は
ゆるりと私を導いた。
好き。
好き、縁、好き。
何度も何度も
心が呟く。
繋いだ手から
心の熱が伝わるといいのに。
そんな事、想う。
こんなに恋しく思うのは
生命の危機にあるからじゃない。
生命の奇跡を信じるからだ。
ゴーカート
私は縁の隣にちょこんと座る。
運転する、縁の横顔は
私の中でイチオシの俳優
中島凱斗よりもずっとかっこいい。
思わず、息を飲んで
見とれていると縁は
照れくさそうに言った。
「なー結月ぃー」
「ん?何?」
「結月の…視線が熱い」
「あ…ご、ごめ」
「いーよ、嬉しい」
私の方が、恥ずかしいよ…。
顔が熱くて
ウィッグを風にさらさら
靡かせて空を眺める。
すると、今度は縁の視線を感じた。
見ようか見まいか悩んだけれど
縁はゴーカートの運転中だ。
「ねえ、危ないよ、ちゃんと前見て?」
「あ、うん」
「……何見てたの?」
そう尋ねる。
風にしなった枝が若葉を揺らした。
縁は言う。
「俺さ、18になったら即免許とるよ。そしたら結月の特等席は俺の隣ね」
「えー?私の特等席?他の子乗せたりしないー?」
そんな可愛くない台詞言いながら
心はよく弾むボールみたいに跳ねてる。
「しないしない、二人で色んなとこ行くのってさ」
「うん」
「きっとすげー楽しいよ」
「うん」
「だから、早く体治そうな」
「うん」
穏やかな幸せが湧く。
こういう時に
早く体治せよ、そう言われるより
早く体治そうな、この言葉が力強い。
ひとりぼっちじゃない。
俺も一緒にいる、
シャイでなかなか
そうは言えない縁だけど
言葉の端々にそんな想いを
感じることが出来るから。
だから私は
この人と生きたいって
思うことが出来る。
「結月結月!あれ、今度あれ乗ろ」
メリーゴーランドも
コーヒーカップも
小さい頃から
飽きるくらい乗ってるのに
縁と一緒だと
生まれて初めてのことのように
新鮮だった。
視線が触れるだけで
心臓はドキドキと高鳴る。
名前を呼ばれるだけで
熱があがりそうなくらい
心の中が熱くなる。
私たちは遊園地を
思う存分に楽しんだ。
そして、午後二時。
観覧車に乗り込む。
どんどん高くなっていくゴンドラ。
自分がどんなに頑張っても
到底見えない景色。
「なあ結月、初デートん時はさ」
ゴン、ゴン、と
規則的な音が聴こえる中で
縁が笑い声を張った。
つられて私も声を弾ませた。
「うん、夕方だったよね」
「そーそー、そんでさ街がすんげえオレンジ色に染まってさ」
「綺麗だったねぇ」
「だよなー、懐かしい」
「でも、今日の青空だってすごーく綺麗だよ、また来れてよかったあ」
いつ、病気が
ひどくなるかわからない
そんな恐怖は
どんなに前を向いていたって
いつも付きまとう。
やりたいことは山ほどあって
気持ちばかりを焦らせても
どうしようもないことは
わかっていた。
だから、今日の日が
すごく、すごく嬉しい。
「これからだって、何度でも来ようよ」
向かい合った席に座っていた縁は
照れくさそうに私の隣へと移動した。
ふたりの重たさが
ゴンドラをぐらぐらと揺らす。
思わず不安になって
私から縁の手を握った。
「恐い?」
「ちょっと、だけ」
縁は、微笑む私を
「あー、もうっ、やべえ可愛い」
と、抱き締めた。
妙な、雰囲気。
感じる、縁の温もりと息遣い。
耳が熱い。
キス、したいな…。
その衝動の邪魔をする、
マスクのゴムを私は
くるくるといたずらした。
「結月……、キスしたい」
「うん…」
「うがいしなきゃ、まずい?」
泣き出しそうな縁の声に
胸がつきん、と痛む。
縁の誕生日プレゼント
やっぱり自分で買いたくて
今日までに用意出来なかった。
せめて、キスくらい
「いいよ」
そう、笑ってあげたい。
私は、マスクを外した。
メイクは、間違いなく
とれているだろうけど
そんなの構わない。
縁もほら
マスクをとったら
少し赤くなった顔で
笑ってくれる。
「するよ?」
「いいよ」
私たちの唇はちょうど
観覧車がてっぺんに登ったその時
触れ合った。
そこはきっと私が知る世界の中で
いちばん天国に近い場所だった。
おずおずと
触れるだけの口づけを繰り返して
次第に深く、なっていく。
「大丈夫?…苦しくない?」
途中、縁は
息継ぎの度に何度も
私を気遣う。
こんなに優しい縁だから
私は多少苦しくたって
うん、って笑って
頷きたくなるんだろう。
蕩けるような時間が
終わりを告げる。
すると縁は私の手のひらを
痛いくらいに繋ぎ止め
「結月、生きろよ」
そう、告げる。
縁の顔を窺うと
その目は涙に潤んでいた。
思わず私の視界も涙で霞む。
「病気なんかに負けんなよ」
「うん…」
「絶対、絶対だぞ」
「うん…」
私も、生きたい。
縁と、生きたい。
縁の手のひらを私は
強く、強く握り返す。
それは決意の表れだった。
【surgicalmask~第四話 ありふれた奇跡(終)】