はじめは合わない人だなって思っていました。
ソフトボール部に入った時、
顧問は先生で
いつも怒鳴っている印象しか無かったです。
先輩達にも厳しく、
内向的な私は先生の事が苦手でした。
でも関わるうちにいい先生だなって
思い始めました。
初めての総体。
県大会で1回戦負け。
強いと思っていた先輩達が
呆気なく終わってしまって、
私はちゃんと応援出来ていなかったのを
今でも後悔しています。
総体が終わってからは
先生は優しくなりました。
あんなに怒鳴っていたのに
試合ではあまり口を出さずに
静かにただ試合を観戦していました。
ちょうど1年前くらいに
この代で顧問を辞めると言いました。
もうこの学校からいなくなるのは
その時点で確定していました。
気づいていても
私達全員はそれを口には出さず
ただただ必死に部活をしました。
2度目の総体。
県大会にも行けず
私達を待っていたのは
負けという結果だけでした。
凄く凄く悔しかったです。
先生はそこで顧問を辞めて
副顧問になりました。
3学年の先生という事もあって
あまり部活には来ませんでした。
3学年が卒業してからは
よく来るようになりましたね。
今日転出される先生の名前を見て
やっぱり先生はいなくなるんだなって
わかっていたはずなのに
涙が溢れ出てきました。
先生との思い出が
何個も蘇ってきて
涙が止まりませんでした。
こんなに泣いたのは
卒業式以来です。
ソフトボール部の中では
私が1番関わっていたと思います。
私が部活で過呼吸を起こした時も
危ないからとりあえず場所を移動して
先生と2人で話しました。
ほとんど先生の話を聞くだけだったけれど
初めて過呼吸を起こした時は
先生の高校時代のお話を聞きました。
先生は高校の時は公式戦に
出られなくて
よくて二軍の1番だったって
言ってました。
だからこそ、全員を試合に出したいって。
それを聞いた時正直驚きました。
だからみんな試合に出すって
言っているんだって。
部活以外にも
先生は生徒会担当で
沢山話したし
行事も一緒にやりきりました。
キャンペーンのことも
1番力になってくれたし
何より委員会の時面白すぎて
あの旧生徒会の雰囲気
というかあの場所が
大好きでした。
私が左打ちになったきっかけは先生です。
もちろん憧れの人の存在もありました。
憧れの人は右投げ左打ちで活躍する
私の大好きだった人でした。
先生は左打ちが欲しいと言いました。
私はその時は右打ちだったけれど
どうしても右腕が痛くて
上手く振ることが出来ませんでした。
みんなはどんどん打てるようになるのに。
そんな時先生は左打ちにしないかって
言ってくれました。
左打ちが欲しいって。
左打ちになってからは
先生の左打ちを真似したり
観察して自分なりに当てる方法と
バットコントロールを
学びました。
少ししか真似出来なかったけれど
左打ちであんなに対応出来る選手いないよって
褒めてくれた時が
最高に嬉しかったです。
走塁は先生が1番力を入れてて
私も頑張りました。
足は速くは無いけれど
平均くらいだったので
走ることは出来ました。
1年生の時の北部地区大会。
3年生がいなくなった
初めての公式戦。
お前は判断力に長けている
走塁はお前に任せるって言ってくれて
凄く嬉しかったです。
私が塁に出たら全て点にすることが出来たし
任せるって言われたのが本当に嬉しかったです。
私がキャプテンに立候補したのも
先生の一言があったからです。
私が生徒会になって
キャプテンや部長が出来なくて
でもやりたくて
凄く悩んでいた時期。
先生は生徒会だからなんて関係ない
チームを1番思っている奴がやるべきだ
って言いました。
その時私は
やりたいなって
キャプテンなりたいなって
強く思いました。
その一言がなければ
今私はキャプテンにもなっていなくて
こんなにも部活を頑張れなかったと思います。
私が駅伝部に誘われた時。
真剣な顔で駅伝行ってこいって
言ってくれたのが
先生のその言葉が
私にとってどれほど力になったのか
先生は知らないと思います。
正直駅伝に入るのは
私にとって大きな決断でした。
今まで朝練も1人でやっている時も
沢山あったし
その中でその朝練の時間を
捨ててまで
駅伝に入るということは
ソフトボールの時間を
減らすことになって
上手くいかないんじゃないかって
1週間ほど悩みました。
でも行って体力付けて
ピッチングに活かしなさいって
言われた時に
ソフトボールに繋げる為に
駅伝行ってこいと
凄く背中を押してくれて
今の顧問も親を説得してくれて
駅伝に入ることが出来ました。
凄く感謝してます。
駅伝入る前までの朝練では
毎日私1人で顧問がいないときは
いつも先生が一緒に練習してくれました。
私は毎日の1時間で
ピッチングをずっとやってました。
おかげで今は
コーチからあなたがエースだよって
言ってもらえるくらいの
ピッチングが出来るようになりました。
まだまだ不完全で
変化球も全然無いし
球速も全然無いし
思うように投げられないこともあるけれど
先生から教わったピッチングは
私の武器の1つになりました。
練習方法もたくさん教えてくれて
基礎もできていないのに
応用を沢山教わりましたが、
今の私ならそんなことも
出来るのかなって思うし
チームのメニューにも
入れていきたいなって思います。
市選抜の話を聞いた時に
行きたいなって思って先生に
市選抜行きたいですって言ったら
あなたは行きなさいって
言ってくれたのが
嬉しかったです。
正直結構悩みました。
今までみたいに時間がある訳でもないし
高校でソフトボールを
続けるかどうかわからないし
でも先生がそう言ってくれたから
今は不安よりも楽しみの方が大きいです。
先生は私に夢を与えてくれました。
私は将来の事本気で悩んでいました。
自殺しようと何回も考えました。
考えても出来なくて
こんな自分が嫌だったけれど
部活に行く度に
自分が更新されていくような
そんな気がしました。
厳しいけれど
凄く生徒思いで優しくて面白い、
1度でいいから先生の授業を
受けてみたかったです。
先生みたいな先生になりたいって思いました。
こんな教師と出会ったのは
先生が初めてです。
先生がいなくなることで
この気持ちに改めて気づき
決意することが出来ました。
先生も高校時代の監督さんを
凄く慕っていましたね。
私も先生を尊敬しています。
先生みたいな教師になりたいです。
夢を与えてくれてありがとうございました。
先生は私に色々な事を教えてくれました。
ソフトボールの技術はもちろん
生活でも礼儀なども
沢山教わりました。
時に厳しく時に優しく
私達誰1人見捨てず
明るく楽しい部活動を
創り上げてくれた先生。
もうこの学校にはいなくなってしまうのかと
思うととても寂しいです。
またソフトボールをしていれば
会えると願っています。
とてもとても長くなってしまったけれど
この思いは先生には
届かないかもしれない。
色紙も書きます。
多分それには入りきらないので
別個で手紙を書きます。
今まで本当にありがとうございました。
また会えるその日までどうかお元気で。
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