はじめる

#花、言葉

読んでると、
思わず胸がギュッとしめつけられる、
そんなポエムを集めました。

全3作品・






「花、言葉」















































ただ、本に溢れた毎日を過ごしていた。

ふと自分が浮かんだ世界観などを

書き連ねるうちに俺の小説が

本になった。


俺なんかがと思ったが


正体不明の小説家

謎に包まれた新星の小説家


そんなキャッチコピーを見る度に

ニュースに採り上げられる度に

どこか自分の地位を上げてしまっていた。



デビュー作は、ある程度売れた。

けれど、重要なのは、2作目以降だった。

新人が通じないから。


続編の妄想にふけって

思わず、バイト先に持ち込んだあの日。



バレてしまった直後は、

笑われる、馬鹿にされる、失敗だ、

そう思っていた。


しかし、段々と心は冷めてった。

「枯れた花。」

それは確かに話題にもなったデビュー作、

つまり、世間からある程度の評価を受けた

という充分な武器になり得たからだ。


2人だけを閉じ込めた小さな空間で

日那から渡されたスマホに詰められた

たった500文字ほどの文章。

それには、確かに綺麗な線があり、

一気に読んでしまった。


気を取らない自然な語彙力

すっと染み込む内容


読者を離さない小説、

まさしくそれだった。


小説の世界には

指一本ほども触れていない自分だが

この小説が違うのは分かった。

俺とは、明らかに。


寒さが肌を震わせる季節の手前だった。

日那が病院から出て

呼び止められてから公園に向かう途中

何を話せばいいものかと

内側の方がモヤモヤとしていた。


公園の木々からの枯葉を

踏みつけにしながらベンチへ向かった。


日那が病気について話し出すと

表情が固まっていることに気づいた。



「健忘症」「言葉欠落型、忘却症候群」

「ステージ2」「右目から涙」「森川 日那」


淡々と話す中で聞き捨てならない言葉があった。



「どちらにせよ

本名だって偽名だって忘れますから」


湧き上がるものの正体は、明らかだった。

震えそうになる全身を落ち着かせ、

口にしそうな悪態を沈めた。


知っている。分かっている。

日那が良い奴だということくらいは。


先日の要注意の客と問題があった時、

半ばいじめのようなことをする先輩を

庇うように出てったくらいだ。



俺が北山 幸人と判明してからの

正直な感想を求める目。


今の俺には、到底、無理な目。


それでも人の心に住み着く部分が

消えてくれることは無いし、

日那の思考が自分と逆だったなら、

そう何度思ったことか。


俺が俺自身の作品が本になった時、

満足感が膨れ上がった時、

その事を思い出すと熱くなってしまう。

すぐ近くにいる日那に対して

とんでもないことを吐き出しそうになる。


たんぽぽの話を聞いていると

その心は自然と落ちてった。


何故だろう。

同じ歳で

俺の方が世間からの評価を受けたはず、

それなのに。


俺は、逃げた。



「上杉先輩、病気だったんですよ」


話すべきか迷っていた事だ。

話の流れを変えるにも十分だ。


「え、そうなんですか?」


いじめのようなことをされてる日那には

やはり、話した方がいいだろう。




「言葉過多摂取型」

「上杉 紀里子先輩の方が苦しんだ病気」


「それって、、、」


日那も聞いたことがあるらしい。

おおよそ、

自分の病気の説明と一緒に

聞いた名前なのだろう。


それでも、その病気について

俺は話し続けた。


風の冷たさは、増すばかりだった。


言葉過多摂取型

これは、日那と全く逆の病気だった。

周囲の声や音等が

必要以上に頭に入り込み、

重症化すれば

日常生活も困難なそうで。


上杉先輩に至っては、

重症化はしなかったものの、

聞きたくなかったことを

聞いてしまったとかで

精神的な面で病気が長引いたそうだ。


このことは、

坂上先輩と上杉 恭子先輩から話を受けた。

周囲を異常に気にする割に

会話を極力交わさないことを

俺が疑問に思い始めた辺りだった。


いじめのようなことをしたのは、

日那のヘッドホンや

普段の自信の無さ等からだろう。


周囲の音を遮断するために

ヘッドホンをしていたことも

聞いていた。



確かに口は悪かったかもしれないが、

上杉先輩なりの優しさでもあった。


人から言われて傷つく言葉は知っても

人を傷付けない言葉を知らなかったのだから。



ふと振り返ると日那は、

泣いていた。


右目からだった。



「ごめんなさい。

どう思えばいいか分からなくて、」


日那自身とても戸惑っているようで

母親らしかった人の元へ

日那を連れていき、別れた。


「あのっ、、」

僅かに聞こえたその声に

聞こえないフリをした。



目の前で感情をなくした人に

かける言葉ひとつ見つからなかった自分。

俺は、何者なのだろうか。





日那は、しばらくの間、

バイトに休みを入れた。


短い秋が終わりを迎えたかと

思い始めた辺りで

日那の姿がやっと見えた。


話しかけようと伸ばした手は、

すぐ下に降りた。


日那が久々にバイトへ来ると

坂上先輩辺りが騒いでいた。

いつものように持ち歩くお菓子をあげていた。


「今日、帰りどうですか?」


「すみません。

上杉先輩と話をしたいので、、」


やっとのことで掛けた声も

降りてった。


日那と上杉先輩はその日、

上がるタイミングも同じたった。

よそよそしそうに

お互い顔を伺いながら

一緒に帰っていた。



どちらからにしても次の日の

バイトの様子からして

2人の間に大きな溝は感じなかった。


上杉先輩、姉の方は、

仲良くなった2人を見て微笑んでいた。



それから1ヶ月後、

日那はバイトを辞めていった。




見慣れない番号にかけてから

3コール目、

向こう側から声が聞こえた。


「もしもし」

「もしもし、柴山です」

「電話越しではなんですし、

会いませんか?」


日那から指定された場所は、

あの病院だった。

4人部屋の右側の隅にいた。


相変わらずヘッドホンをつけていた。



「なんの曲ですか?」

少し強ばった笑みを日那は零した。

「なんも流れてないんですよ。これ。」


何となく察しはついていた。

上杉先輩もそうだったから。



「ただ、忘れる音を極力、減らしたくて」

「街中に溢れる流行りの曲」

「鳥や虫の自然の声」

「忘れてしまう前にこちらから」


日那の表情は、始終強ばっていた。

病が進行していることは

聞かずとも明らかだった。


面白みも感じないのに

俺の雑談に笑みを浮かべていた。

反射的なものだろうな。



日那が現状況について述べ始めた。


病が進行して

涙は時間に1回ほど出るらしい

中学時代は忘れたと言っていた。

なんとなく分かった。

日那が締めくくろうとする言葉が。


「私、そろそろ、、」




「小説見せてください」


被せるように声を上げた。

そして、日那とやっと目が合った。







もし、こんなことを小説に書いたなら。

読み手が自分のことをどう思うか。


恐らく、卑怯な奴。

もしくは、最低な奴。



日那の死を都合よく思い

小説を横取りするようなものだから。


日那の小説に関しては、

過大評価などはしていない。

日那の小説が出回ってしまえば

あっという間に俺は消える。


今、俺だけが日那の小説を知っていて

今、俺の続編が期待されて

今、俺が俺の小説に自信を無くして

今、目の前に未公表の素晴らしい小説がある。





日那は、もういらないからと言って

スマホを俺にくれた。


帰り道に寄ったスーパーも

クリスマスカラーに染まり

冬を感じた。


自室でひと呼吸おいてから

毎日、一作読んだ。

日那の小説は、10程あった。


スマホの画面を食い入るように見て

上手い表現を見る度、知る度、

痛むところがあったのは確かだった。


けれど、手と目は止まらなかった。


1文字も見逃すものかと目を走らせ

次へ次へとの衝動に駆られそうな手を抑えた。





という文字が最後に移る度に

俺は、笑った。


面白かった。

張り合おって方が無理だ。

完敗だ。



カーテンを閉めると

外は既に真っ暗だった。





特に忘れられなかったのは、

花言葉が鍵となる話だった。


「一緒に小説を書きませんか。」


日那は、なんのことだろうと

目を見開いていた。

少し表情が伺えてまだ時間はあると

希望を感じた。



「楽しそうですね。」

「私でよければ悔いを残さないためにも」


楽しそうという顔はしていなかった。

それから毎日、

あの生温い病室に通った。



日那は勿論、俺のことも忘れ始めた。

小説の下書きが終わる頃には、

俺は完全に忘れられていた。


「柴山海人です。」

「一緒に小説を書いています。」


けれど、この二言を伝えるだけで

日那は小説に協力してくれた。


「楽しそうですね。」

そう同じ顔を何度も浮かべて。


何も見ていなかったその目に

僅かなハイライトが入る。

小説が本当に好きなんだろうな。





いつもと同じように病室へ向かうと

日那の母親が俺を待っていたように

丁寧な会釈をした。



枯葉ひとつもない木を日那が

見つめていたのがその後ろで見えた。


母親に連れられ病室から少し離れた場所に出た。

会話を挟むことなく、

鞄を探ってから俺の前に手渡されたのは

手紙だった。



「日那に渡して欲しいと頼まれました。」

「本当はもう少し前に渡すよう頼まれたのですが。」


ここのところ日那の母親は、

ずっと顔色が悪いように見えたのに

さらに悲しそうな色まで見せていた。


「私は、先に戻ります。」

「無理して来なくてもいいのよ」


その言葉を聞いて足音がかなり遠くなるまで

手紙を見つめていた。

封筒も便箋もなんの特徴もなく、

そこらにあった紙切れを使ったように見えた。

だけど、便箋の端に薄ら黄色の花が咲いていた。

日那が故意に選んだのか

たんなる偶然なのか、

それは、たんぽぽの花だった。





便箋約2枚に渡って書かれていたこと。

それは、単純な事だった。





手紙の書き出しは、こうだった。


『もう、会いたくないです。』


日那のキッパリとした主張であり、

ほんの少しの強がりだった。


『友達になれて幸せでした。』

『いつか全てを忘れてしまう時に、』

『少しでも良い思い出を忘れてしまわないように』

『この関係を断ち切りたいです。』

『さようなら』


初めに小説を誘った時、

日那が楽しそうな顔をしなかったのは、

この手紙を書いたか

これからも書くところだったからだろう。


あの頃はまだ、日那の中に

きちんとした思いが存在していたんだ。


もう会いたくないという思いと

小説を書きたいという思いが。



手紙を読み終わっても

日那の母親の言葉を思い出しても

病室へ行くのを

日那に会うのを辞めようとは

少しも思わなかった。



なんなら、手紙を読んだからこそ

余計に会う気になった。



日那の母親がそれを止めることもなかった。

日那が本気で拒絶する様子もなかった。









という文字を打つ頃になると

日那が声を出すことは無かった。



ふいに近い未来を見たようで怖かった。

声の出し方も忘れて

いずれは、呼吸の仕方だって。


右目からの涙が止むことも無かった。

一方的に話すこともやめ、

ただ隣にいるだけになった。




最後だろうと思った。

朝起きたら、雨が窓を叩きつけて

気温が滅茶苦茶で

病室に流れる空気が冷たかった。


右目からの涙は止まって

ただ、真正面を見ていた。

ヘッドホンもなかった。

涙の跡が残っていた。


日那の母親がただ愛おしそうに

日那の頬をそっと撫でた。

我が子を思う母親の手だった。


数分後、立ち尽くす俺に気づき、

「ごめんなさい。今日もありがとうね。」

そう言って去っていった。


日那の母親はこんな俺にも

とても良くしてくれた。

日那は、母親似だろう。

目元や他人に向ける笑顔とか。





「日那」


そう壊れそうな名前を呟いた。

深呼吸を3回。


暖かく調整された病室で

鳥肌が身体中に走った。



ここからは、ひとりごとで

そのままを日那に告げた。















本当は、日那のことが嫌いだった。

いや、嫌いという表現は少し違うけど、

少なからず良い印象はなかった。


俺が小説を書いているとバレて

馬鹿にされると思った。

だけど、日那は、

『すごく良かった』そう笑った。


その時の

『早いうちにやりたいことがやれて良かった』

その言葉がずっと引っかかっていた。

本当にやりたいことをやり遂げたのか、

こんなものが小説なのか、

そうも思っていたから。


日那のたった500文字程度の小説が

俺を突き飛ばした。

完 という文字が初めて見た訳でのないのに

とても恐ろしく、嫌悪感さえ抱いた。


日那が自分の小説について

底辺のように言ったけどそんな必要はない。


日那の小説は、凄かった。

文章がというより、

言葉同士が綺麗な線を描き、

読み手の想像力をかきたて、

話の運び方、

主人公の繊細な変化の書き方、

わざとぼかした比喩、

どれもこれも凄かった。


こういう時に上手く言葉が使えないのは、

小説を書くのに向いていない証拠だな。


ただ、この感想をそのまま伝えたら

日那はきっと、満面の笑みを浮かべただろう。


俺は、それを避けた。


北山幸人として幼い書き手として

これが世に出てしまってから

俺の小説が消えることを悟ったから。


こんなことを言うと

とても大袈裟で馬鹿らしいかもしれない。

けれど、大真面目な話だ。


小説の世界は、広くて狭い。

名が知れる小説家なんて

小説志望者の中のひと握りにも満たない。

そんな中で掴めた

小さな小さなチャンスだ。

ここで引きこもる訳にはいかないんだ。


日那には見せなかった

俺の裏側は本当に汚い。

嫉妬がずっと渦巻いていた。

羨ましかった。


でも、それでも。

北山幸人としてでなく柴山海人として

角田花薫また森川日那という小説家を

心から尊敬していたから。


小説が好きだった。

いや、小説が好きだ。


そして、この小説を沢山の人に

教えたかった。

読んで貰いたかった。


小説を書く前にしていたように

誰かと小説の考察や感想を分け合い

日那の小説も深くまで読みたかった。


俺の小説が書店から消えたとしても

全然、良いと次第に思えた。


言葉はとても身近で

とても扱いが難しい。



ただ、日那自身が小説を書くことは

困難だろうと思った。

だから、俺なりに出した答えは、

日那と共に小説を書くことだった。


俺の続編を日那の小説と絡め

日那の小説を伝えたかった。


自分勝手と言われようが構わない。

俺の想像力なんてそんなもんだ。


日那、ごめん。

日那、ありがとう。











日那に俺の声がどれだけ届いたのか

それは分からなかった。

合ったはずの視線は、

いつの間にか床に落ちていた。


覚悟を決めて顔を上げた。

もう、ここに来ることはないだろうと。




見たことあるようで

圧倒的に今までと違う日那がいた。


日那は、涙を流していた。

ただ、右じゃない。



左だ。





名前を呼ぼうと立ち上がったはずなのに

言葉が詰まった。

担当医と母親を呼び、

病室に戻っても日那は涙を流していた。



















日那は流しきってはずの涙を

またしきりに流した。

逆戻りするかのようだった。

日那は全てを思い出し始めた。


数日経つと母親も認識しはじめて

日那の目は、生きていた。


俺のことを思い出すまでには

少し時間がかかった。


でも、話し方を思い出すと

「おはよう」なんて挨拶を交わせた。




忘れた時間より倍以上の時間をかけるが

これから回復に向かうだろうと

担当医の言葉を母親伝いに聞いた。


元々が未知な病気なために

こういう例もあるのだと

とても珍しがっていたそうだ。



心から喜べることに

自身でも驚いてしまった。



雪に溺れた桜の芽が

少し顔を出し始めていた。



















無名の小説家との共同小説

「枯れた花。」から2年



「残された種、」

北山幸人&M.H
































「ここ!こっちこっちー!」 


上杉 恭子先輩の声が

古びた居酒屋の入口付近に立っていた

俺と日那の元に届いた。


賑やかな人混みをかき分けながら

先輩方が緩く座った場所へ向かう。



右奥から上杉 恭子先輩、紀里子先輩、

左奥に坂上先輩が座っていた。


日那は、上杉先輩の隣へ

俺は、坂上先輩の隣へ

「お久しぶりです」

そう声をかけながら座った。


少しアルコールが入った

坂上先輩はいつも以上に上機嫌だ。




あの本が出回ってから

俺が連絡をとったのは、

この先輩方だった。


俺も日那も時間は関係なく、

お世話になったことに変わりはないし

先輩方は、信頼ができた。




俺が北山 幸人であったこと

日那が病気であったこと

全てを打ち明けた。


その頃の日那は、

日常会話が自然に交わすことが出来て

バイトのことも思い出しつつあった。



上杉先輩達は、病名を出しただけで

察しが着いていた。


坂上先輩は、ハテナを浮かべたが、

最後まで真剣に話を聞いてくれた。

何だかんだでいざと言う時に

信頼できるのはこの先輩だ。



先輩方はそれから

よく病室に足を運ぶようになった。

先輩方が押しかけるだけで

病室の温度がとても上がった気がした。


それから、日那の笑顔が

増えた気がした。



日那が全てを思い出し切るには

とても時間を使った。


それでも、日那が何か思い出す度に

周囲は笑顔になった。




3年後、

街がクリスマスカラーに染まる頃、

みんなで集まった。


坂上先輩オススメの

外見が少し古くさい居酒屋。


久しぶりのアルコールも良かったが

料理も中々の美味さで

次は、ひとりで来てもいいなと思った。



ひとりひとりが思い出話に花を咲かせ

周りと同じくらい賑やかな席になった。



一番驚いた話と言えば、

坂上先輩と上杉 恭子先輩の結婚だった。


2人がお揃いの指輪を見せた時には、

思わず叫びそうになった。


結婚式の話も進めている段階で

近々、招待状を送り付けると

坂上先輩が元気よく言った。


幸せそうでなによりだった。



上杉 紀里子先輩と日那は、

時折、2人でコソコソと話しては

笑っていた。


今では、あの2人が姉妹のようにも

見えてしまう。

本当に仲が良くなったなと思うと

少し感動した。



どうやら、俺はアルコールが入ると

気持ちの昂りが激しいらしい。




話はいつまでも止まる気がしなかった。

終電がなくなるっと声を上げたのは

上杉 紀里子先輩だった。



機嫌がとてもいい坂上先輩の奢りで

みんな帰路に着いた。


店を出ると外は真っ暗で

街の灯りも控えめのためか

空に沢山の星が並んでいた。



俺と日那は、同じ方向に歩いた。

息をする度に白い息が消えていく。




「寒いね」



日那がそう言うので右手を

ポケットの中で強く握り締めた。


それから、冬の寒さのせいで

僅かに震えながら

右手を日那の前に出した。


「ありがとう」


恋心が芽生えたのは、

いつだっただろうか。


はじめは、ただ憎いと思った相手だった。

良さを知る度に自分の醜いところを

隠したくなった。


でも、正直に打ち明けたあの日。

気持ちの整理が出来た。

だからこそ、

日那にまだ未来があるとわかった時に

心から喜ぶことが出来た。


日那の言葉は、感情を湧かせた。

日那の笑顔は、奇跡の証になった。


あの日から

日那が思い出す度に嬉しくて

日那が笑う度に笑えて


日那が全て思い出した後も

ずっと、日那の隣にいたいと思った。



冷たかった左手まで暖かくなってきた。

冬ですかね。・8時間前
花、言葉
小説
共同小説
たんぽぽ
沙織さんと小説
人生
小説家
憧れと嫉妬は紙一重
尊敬の意
いつしかの恋
幸せ
別れ
狭い世界に生きていた彼を救い出したのは彼女
世界を拒絶した彼女に未来を見せたのは彼





『花、言葉』

前-②




 約一ヶ月後。このアルバイトに慣れてきた頃。相変わらず私は、上杉さんに嫌われている。

 嫌みな視線を感じるし、二人っきりの時は必ず悪口を言われる。

 正直、心が折れかけた。シフトに入った日に行く度にねちねち言われるのは、さすがにつらい。だがこのアルバイトは好きだ。


 休憩室にて、私達は昼休憩をとっていた。持参した手作り弁当を持ってくる者、コンビニで買ったものを持ってくる者……私は前者。母の手作り弁当を持ってきている。

 それぞれが席で談笑している。私は一つのテーブルに一人。寂しく、ちびちび食べている。


「よっ! 角田!」


 強い力で背中を叩かれた。溌剌(はつらつ)とした大きな声と、それとは違う人物の大きな溜息。


「今日はあまり話してなかったね。はい、この子連れてきた」

「あ……こんちは……っす」

「ごめんなさい。先輩のお節介で」


 振り返るといたのは、坂上先輩、上杉先輩、二人に連れてこられた柴山さんだった。

 柴山さんとは、あれ以来あまり話していない。


「妹は他の人と仲良くしてるみたいで」


 正面の席に柴山さん、右隣に坂上先輩、その正面、左隣の席に上杉先輩が腰を下ろす。


「一緒に食べようぜ! ほら、おやつも持ってきた」


 坂上先輩が鞄から取り出した大量の菓子類を机におく。甘いものが好きなのだろうか。


「いや、こんなに食べられないわ」

「ええ? 俺は食べられるけど」

「あんたの胃袋どうなってんのよ」


 同意見だ。私も、甘いものが嫌いだという訳ではないがこんなに食べられない。


「あの……俺、いただいてもいいっすか」


 柴山さんが口を開いた。その言葉には少し気恥しさが混じっている。私は驚いた。この人は冷めた性格だと思っていたからだ。まさか食べ物に前のめりになるとは。


「おお! いいぞいいぞ! どれが欲しい?」


 坂上先輩は大きなカブトムシやクワガタでも見つけた小学生かのように目を輝かせている。


「……女子トークでもする?」


 上杉先輩が困ったように笑った。





 エプロンの紐を結び直し、息を吐いて自分に気合いを入れる。これからランチタイムだ。特に忙しくなる時間帯なので、そうしないと充分な働きができない。


「おい角田」


 この声を聞くだけで、心が重くなる。後ろを振り向くと、やはり、腕を組んで不機嫌そうな顔をする上杉さんがいた。


「あっ」

「仕事。遅れるぞ」


 いつもよりずっと優しく、私を気にかけてくれているようだった。


「え?」

「注意力が足りない。迷惑とか考えたことないわけ?」

「そんなこと……」


 でもそう思ったのも束の間。いつもの上杉さんに戻ってしまっていた。


「紀里子ー! 角田さーん!」


 階段を上がってくる音と、上杉先輩の声が廊下に響いた。


「お姉ちゃん……」


 姉を前にして、上杉さんが腕を組むのをやめる。


「上杉先輩……」

「何話してるの? 早く降りてきてね! 下で待ってるから」


 なにかおかしいと思わなかったのか。先輩達はなかなか嫌がらせに気づいてくれない。

 上杉さんは立ち尽くしている私を一瞬見てから、黙って通り過ぎていった。


 ランチセットが品切れ状態になるほど。今月一忙しいかもしれない。

 あるお客の前を通りすぎる。柄シャツにオールバックのいかにもな男と、その手下らしき人だった。この人達の接客はできるだけしたくない。怒らせたらとんでもないことになりそうだ。

 男は、煙草にライターで火をつけた。この店は禁煙だったはずだ。

 すると後ろから、「お待たせしました」という上杉さんの高い声が聞こえた。

 心配なので見ていることにした。


「お客様、当店は禁煙です」

「いいだろ別に」

「喫煙所がお外にございますので」

「はあ……」


 男は、火がつきたての煙草を握り潰した。


「これでいいかよ」


 すると、手下の方が嫌な笑みを浮かべながら、立ち去ろうとしている上杉さんの足を、引っ掛けた。

 上杉さんは転んでしまい、トレイを落とす。そのトレイが大きな音を立てる。それだけではなく、水がコップからこぼれていた。その水はオールバックの男性の足元にかかってしまっていた。

 嫌な予感がする。


「失礼しました!」

「おいおい勘弁してくれよ。こんな鈍臭い奴が働いてんのか? 困るねえ」 

「すみません」

「ズボンどうしてくれんの?」

「でも、足引っかけて」


 上杉さん本人も、足を引かっけられたことに気がついているようだった。


「なんか言ったか? そっちが悪いのに、ひどいなあ」


 これはさすがに、可哀想だ。私は我慢できずに、上杉さんと男の間に立ち塞がった。

 接客中の坂上さんや上杉さんも、目をつり上げてこちらに向かってきていた。柴山さんは目を見開いて立ち尽くしている。


「ああ?」

「言いがかりはあなたです。わざと足を引っ掛けたでしょう」


 声を低くして、なるべくなめられないようにする。


「何をやってるの角田!」


 上杉さんは私をなんとかしてどかそうとする。だが私は踏ん張って男をずっと見つめていた。


「そこをどきな嬢ちゃん」

「いいえ。どきません」

「ほー、男に立ち向かうとはいい度胸じゃねえか。女でも容赦しねえ」


 男はぽきぽきと拳を鳴らして気味の悪い笑みを浮かべた。そしてその拳を振り上げる。


「危ない!」


 先輩達の声が聞こえる。ぐっと歯を食いしばって目を瞑った。なんだろう、この全身が震える感覚は。なんていうんだっけ。

 気づけば右目から涙が出ていた。

 ぱちん、という肌がぶつかりあう音がした。痛みはなかった。ゆっくり目を開けると、目の前に大きな影があった。見慣れたエプロンをつけている。店長の橋田さんだ。

 どうやら男の腕を掴んで阻止してくれたようだった。


「なんだお前!」

「暴力はいけませんね。代金は結構ですので、すぐにお引き取り願いますか?」


 男とは対照的に、橋田さんは冷静な対応をする。


「はあ!?」


 橋田さんは胸ぐらを掴まれた。体格はそれなりにいいが、格闘技をやっていたなどの噂は聞いたことがない。心配だ。


「……」

「ひっ!」


 男は橋田さんの顔を見るなり突然顔を青くして、情けない声を出した。怖い顔とのギャップに笑ってしまいそうになる。


「お引き取り願えますね?」と、改めて再度念を押す。

「わ、分かったよ。おら、行くぞ」


 その圧に負けて、がらの悪い二人は立ち去っていった。甲高い鈴のような音と共に。その瞬間、お客さんや店員から橋田さんへ大きな拍手が送られた。


「皆様お騒がせしました。大変申し訳ございません。引き続きお食事をお楽しみくださいられなくてすみません」


 店長としての態度を見せられた気がした。

 すると手首を下から掴まれた。その掴んだ手は微かに震えていた。


「上杉さん?」


 あの強気な面影はなかった。今にも泣きそうになっている。


「その……ごめんなさい」

「ああ、いいですよ。訳ありみたいですし」


 他にもっと言い方があっただろうに。随分上から目線なことを言ってしまった。


「嘘。どうして? 私酷いことを言った……」

「いいんですって。反省してくれているのならいいんです」


 私は黙って微笑んだ。

 正直、許せないという気持ちが残っていた。でもこれ以上責めても何もならない。立場か入れ替わってしまうだけだ。





 スマフォと睨めっこ。沢山の文章の最後に〝完〟と書く。新しく書いていた小説が完結した。投稿ボタンを押す。画面が黒色になったスマフォをパーカーのポケットにしまう。

 母が重そうに鞄を肩にかける。私は手ぶらでいつものヘッドホンをつけた。母の「行くよ」という声で玄関に向かう。病院に行く時は、毎回気分が沈む。

 見慣れているはずの日光に目を細め、「ふう」という母の隣の助手席に座る。朝十時。今日はアルバイトを休み、車で出発した。


 目の前の黒縁眼鏡をかけた年配の男性は、私の担当医師だ。「えー」と言葉の頭に言うのが癖らしい。これくらいの年齢の男性は全員そうなのか、よく見る。


「そうですねえ……。進行、してますね」


 母の問いに先生が答える。このセリフを言われたのは何回目か。そんなこと自分が一番分かっている。

 この椅子に座っている約十五分間が苦痛だ。


「そうですよね……」

「えーと次はー、再来週の土曜日でいいですかね」

「はい。ありがとうございます」


 診察室から出る。母と一緒に会釈をする。なにかから開放されたような気分だ。心が軽くなる。


 自動ドアを通り抜け、駐車場を歩く。出口近くの母の車乗り込もうとする。その時、背中に視線を感じた。

 背筋が凍るような感覚だった。嫌な予感がする。


「どうしたの? 知り合い……?」


 俯く私の顔を心配そうに覗き込む母。


「いや、うん……多分」


 深呼吸をしてゆっくり振り向く。そこに居たのは、柴山さんだった。私と目が合うと、何事もなかったかのように目を逸らして歩き出した。今日はバイトをしていたはず。どうしているのか。


「きたや……」

「きたや?」


 〝北山先生〟と呼ぼうとした。母が首を傾げるのを見て、はっとする。バイト一日目のあの日、誰にも言わないと約束したというのに。


「いや、同じバイトの人」


 なんとか誤魔化す。


「大丈夫?」

「うん。……大丈夫」

「少し近くの公園で話したら? ここで待ってるから」

「なんでそんなこと」


 思わず口に出てしまい、途中で言うのをやめる。なんでそんなことをする必要があるのか。あちら側から避けられている気がするのに。


「前に言ってた子でしょ。全然話さないって言ってたし、いい機会じゃない?」


 そういえば母には一瞬話したかもしれない。柴山さんのこと。


「えっと」

「いいから、ね」


 母が助手席に放り投げたパーカーを渡してくる。出口に肩を向かせられ、背中を叩いて押された。坂上さんとは違って強くなく、優しかった。

 一度動けば止まらない。止まってはいけない。私はいつもより重たい足を動かした。柴山さんを探した。

 すると、見慣れた背中が見えた。


「柴山さん!」

「え? ちょ」


 急には止まれず、こちらを振り返った柴山さんの胸に飛び込んでしまった。

 すぐに手で押し返す。意外と胸板が厚いことが分かった。私がやってしまったというのになんだか失礼ではないか。

 柴山さんは目を見開いて頬を桃色に染めている。


「いや、これは違くて! 勘違いです! 急に止まれなかっただけです!」

「あ、えっ、そうですよね。よかった」


 〝よかった〟柴山さんはそう言って胸を撫で下ろした。ぐっと心臓あたりを捕まれたような、変な気持ちになる。胃液の匂いが込み上げてくる。


「そこの公園で少し話しませんか? ……話したいことも、ありますし」

「そうですね。分かりました」


 公園まで着く間、気まずかった。話題がないからだ。〝なんで小説家になろうと思ったんですか〟とか、絶対聞けない。私が記者や同業者だったら言えたかもしれない。でも私は所詮、小説家〝北山幸人〟のファンで、小説家志望のただの女子高生だ。

 ベンチに座り、一息つく。誰一人いない遊具達二人でを眺め、こちらを向かないまま柴山さんは言った。


「それで、話したいことってなんでしょうか」

「いや。さっき、病院から出てきた件ですけど……」

「俺はなんも見てないです」

「え?」

「誰にも言いませんので」


 懐かしさが込み上げてきた。前に柴山さんが小説家だということを知った時に私が言った言葉だったからだ。


「なんか、そのセリフちょっと懐かしいですね」

「ん? ああ……そうっすね。角田さんが来て一日目の時でしたっけ」

「覚えてるんですか」

「はい。凄い勢いで頭を下げられましたし、印象に残ってますよ」


 珍しく笑い混じりで柴山さんが言う。その笑顔は普段のむすっとした顔からは想像もつかない、柔らかいものだった。


「でも、誰にも言わないとしても、柴山さんには知っておいて欲しいんです。仕事仲間としても、同い年の高校生としても」


 柴山さんの顔が見れない。恐る恐る口を開く。


「私、病気なんです。健忘症(けんぼうしょう)っていう」


 ああ、言いたくない。自分の弱さを認めるようで嫌だ。


「健忘症?」

「正確に言えば、『言葉欠落型、忘却症候群』。強く思えば思うほど、忘れていく病気です。軽度なら人に言われれば思い出せる。でも病状が進行していくと、説明されても思い出せない。……私は今ステージ四のうちステージ二まで進行しています。それと、毎回、右目から涙が流れたと同時に忘れます」

「結構進行してるじゃないですか」


 柴山さんが重たい声で言った。喉仏が下がったみたいだ。


「そうですよね。中学からこんななんです。だから普段からヘッドホンをつけていますし、今の名前も偽名なんです」


 自分の声が震えた。辺りは静寂そのもの。たまに車が通るくらいだ。見透かされていないか、怖かった。小説家をやっている柴山さんは観察力がいいのかもしれない。


「偽名?」

「本当は嫌ですけど。本当は角田花薫ではなく、森川日那(もりかわ ひな)という名前なんです」


 久しぶりに口にした。音として聞いた。森川日那という響き。新鮮にさえ感じる。目頭が熱くなった。


「森川日那……」


 柴山さんは自分に言い聞かせるように、呟いた。


「両親が橋田店長の知り合いらしくて。角田として働かせてもらってます。森川って呼んでいただいてもいいですよ。どちらにせよ、本名だって偽名だって忘れますから。」


 私は皮肉っぽく言った。不謹慎だ、と言われるかもしれない。


「そんなこと」

「自分のことは自分がよく分かってますから」


 お世辞を言われるのが怖くて、最後まで言う前に遮ってしまった。そのまま私は言葉を続ける。


「空気が、淀んでるので空気の入れ替えのために……って言ったらあれですけど、話しましょう。じゃあ、こんなお話をひとつどうでしょうか。北アメリカの先住民の間に伝わる伝説です」

「伝説? そんなものがあるんですか」


 いつもの柴山さんの声のトーンに戻った。


「はい。私も最近知ったんですけど……。『大昔のこと。南風は、いつものように穏やかな風を吹かせていた。ある日南風は、黄色の髪の毛をした美しい少女を見かけたのです』」


 本当に最近、高校の友人から聞いて知った。南風と少女の話。


「黄色い髪?」

「これから分かりますよ。『南風はその少女に一目惚れをして、毎日のように眺めるようになりました。幾日もたったある日、南風は少女の姿が白髪の老婆になっていることに気が付きました。南風は悲しさと驚きと共に大きなため息をついた。その時、彼女の白い髪の毛はふわっと飛び去り、そして老婆の姿になった少女の姿もパッと消えてしまった』……少女は、たんぽぽだったという話でした」


 「空気の入れ替え」なんて言っておいて、少し切ない話をしてしまった。柴山さんは複雑そうな顔をして俯く。「すみません」と謝ると、「え?」と小さく言ってこちらを向いてくれた。「いや。なんでもないです」と、慌てて言う。

 柴山さんは眉間に皺を寄せ、黙って微笑んでいた。








後編(夏さん執筆)へ続く

筧 沙織@小説投稿 二 済 #小説・7時間前
花、言葉
共同小説
小説/from:沙織
小説
独り言





『花、言葉』

前-①




 今日は高校が休みの日だ。暇なので、私は食卓に頬杖をついてテレビを見ていた。


「謎の新人小説家、北山幸人(きたやま ゆきと)。正体は謎に包まれています。分かっているのは、Y県に住んでいるということだけ。デビュー作『枯れた花。』が発売され、大ヒット。時期は未定ですが、その続編が発売される予定です」


 機械的な女性アナウンサーの声。Y県は私が今住んでいる県だ。

 私はこの人のデビュー作の本を持っている。とある男性の繊細な心が、リアルに描かれている。

 すぐ前には、昼御飯のサラダに使うトマトを切る母の姿がある。


「ねえ」

「ん? どうしたの」

「……またバイトがしたいの」


 今だと思い、勇気を振り絞って言う。母の手が止まった。その数秒の沈黙が苦しい。

 アルバイト自体、何回か経験している。だが大体一、二ヶ月で辞めてしまうことがほとんどだった。


「うん……」


 どう答えたらいいのか分からないようだ。


「一応、社会経験は積んでおいたほうがさ、ね?」

「これでバイト何回目よ……。もう懲りたと思ったのに。いいんじゃない。ただし、一年だけにしておきなさい。……知り合いに飲食店で働いてる人がいるから。ヘッドホンも忘れずに」

「ありがとう」





 アルバイト初日。先輩となる人達がずらりと並んでいる。その中の一人の、〝上杉(うえすぎ)〟と書かれた名札をつけた女性がこちらを睨んでいるのは気のせいだろうか。


「今日から一年の間だけ働いてもらう新人が入った。角田花薫(かくた かおる)さんだ。事情があってヘッドホンをしている」


 この飲食店の店長、橋田(はしだ)さんが私の横に立って、慣れた様子で声を張る。

 従業員全員が私を不思議な目で見ている。まあ、無理もない。ワイヤレスのヘッドホンをつけ、無言で会釈をする女と誰が仲良くできるか。自分でもそう思う。


「柴山、色々教えてやってくれ」

「えっ、俺ですか?」


 〝柴山〟と名指しされた男性は、私と同じ高校生くらいの年齢のようだ。柴山さんの眉に一瞬、皺がよった。


「俺も一応色々教えるけど、できないこともあるからな。同い歳だろ。仲良くな」

「……分かりましたよ」


 店員達が解散し、私は柴山さんの元へ行く。


「よろしくお願いします。柴山海人(しばやま かいと)です」


 ヘッドホンをしているのでよく聞こえない。だが、口の動きで何となく言っていることは分かった。

 何か返事をしなければと、口を動かす。


「あ……よろしく、お願いします」


 口角を引っ張り上げ、会釈する。


「えーっと、今からやること教えますね」


 私はこの店での仕事を、柴山さんに教えてもらった。意外と細かい所まで親切に教えてくれた。


「あー、時間余りましたね。俺はちょっとやることあるので。これで」

「はい。ありがとうございました」


 柴山さんにつられて近くの壁掛け時計を見てから、頭を下げた。


「ああ、こちらこそ……」


 柴山さんが一瞬戸惑いの顔を浮かべ、その後軽く会釈をして、休憩室のある方向へ歩いていった。私は、自分よりも大きいその背中をしばらく見つめていた。


「ちょっと」


 後ろから肩を叩かれる。それと同時に、とても低い女性の声がした。私は驚いて後ろを振り向く。


「えっ?」

「『え?』じゃなくてさ」


 その冷たく笑う人は、私をずっと睨んでいた女性。


「上杉先輩、ですか」

「は? 先輩とか軽々しく呼んでほしくないんだけど」


 じゃあ、なんと呼べばいいのか。

 上杉さんは、肩下二十センチはある茶色の長い髪を結び、その整った顔に自然なメイクをしている。


「すみません」


 とりあえず謝ってみる。


「角田っていったっけ? 気に入らないね」

「あ、えっと……」

「なにその顔。生気のない気持ちの悪い目」


 今日初めて会ったのに、なぜそこまで言われなくてはいけないのか。


「そこまで言わなくても」

「私に対して反論するっての?」

「……いえ。なんでもありません」


 こういう時に、自分の意思を貫き通すことができないのが私の悪い所だ。


「それでいいの」

「……失礼します」


 すぐ近くにあったトイレへ向かう。

 その時、私がヘッドホンをしているから聞こえないと思ったのか、上杉さんがまあまあの声で呟いた。


「昔の自分みたいでむかつくんだよ。角田……」


 驚いて立ち止まってしまった。履いている高校への登校用の靴が、きゅっという音を出す。でも振り返ってはいけない気がして、また歩き出す。


 トイレから出て、濡れた手をハンカチで拭いていると、カタカタという音が、休憩室から聞こえてきた。パソコンのキーボードをたたく音だ。

 恐る恐る中を覗くことにした。そこには、ノートパソコンと向かい合う柴山さんがいた。といっても、こちらに背中を向けている。

 悪趣味だとは思いながらも、後ろからノートパソコンの画面を覗く。

 そこには、縦書きの文字が敷き詰められていた。一番右に〝枯れた花は再生できるか。〟という題名が書かれ、その左下に〝北山幸人〟と書かれていた。


「え……?」

「あっ? な、なにしてんすか!?」


 柴山が急いでノートパソコンを閉じる。だが私はもう見てしまったので意味が無い。

 急いで頭を下げる。


「すみません! つい……誰にも言いませんので!」

「ちょっと、顔をあげてください! 本当に誰にも言わないのならいいですから」


 柴山さんが、急いで私の肩を掴み、顔を上げさせた。優しい人だ。


「……驚きました。まさか、同い歳の柴山さんがこんな」

「引きましたよね」


 急に自虐的になる。首の後ろをぽりぽりと掻いて、目線を下にずらした。


「えっ?」

「この歳で生意気ですよね。小説家なんて」

「そんなことないです。私『枯れた花。』読みました」


 気づけば、そう口走っていた。いつもなら一歩下がるところだ。


「読んだんですか!?」


 柴山さんは、顔を赤くし目を見開いた。


「すごく良かったですよ。もっと自信を持ってもいいと思います。……早いうちにやりたいことがやれてよかったですね」

「……はい。嬉しいです」


 柴山さんが一瞬、悲しそうな顔をしたのは気のせいだろうか。


「あの、私も少し書いてるんです」

「そうなんですね」

「見てもらえますか?」


 夢だった。小説家の人に、自分の文章を見てもらうことが。まさか、こんな身近にいるとは思わなかったが。


「偉そうに言える立場じゃない」


 柴山さん……北山先生と呼んだ方がいいのか? 柴山さんが、自嘲気味に笑った。


「見てもらうだけでいいので」

「まあ、はい」


 感想を言わなくてもいいのなら、と思っているのか。その気持ちは分かる気がする。


「これなんですけど」


 橋田さんからもらった店のエプロンをめくり、ズボンのポケットからスマフォを取り出す。作家用に作られたアプリを開いて、完結済みの短編小説を見せる。

 柴山さんの目が動く。五百文字くらいの文字をたったの八分ほどで読み進め、〝完〟の一文字を見るとスマフォの電源ボタンを押した。


「……どうですか?」

「えっと……感想、今度でいいですか」


 スマフォを返される。柴山さんと目があわない。意図的にそうしているのか。

 顔を少し上に動かした時に、壁の時計が目に入った。もう店の準備が終わりかけている。


「もうすぐお店を開けなければいけない時間です。先に行ってますね……!」

「あ……は、はい」


 小走りで廊下を行く。後ろの柴山さんの顔がどうなっているのか、気になった。

階段を下って、厨房へ行く。先輩達が準備をしている。その中に上杉さんもいる。アルバイト初日だというのに、何もできていない。


「おー、新人さん! どしたー? 遅かったじゃん」


 突然、男性の先輩が駆け寄ってくる。初めて言葉を交わすというのに、かなりの馴れ馴れしさ。


「すみません、柴山さんと話してて」

「いいんだ! あいつよく休憩室でパソコンいじってるから変人に思われるかもしれないけど結構良い奴だからな!」


 まあまあ強い力で背中を叩かれる。手加減をしてほしい。


「そうなんですね」

「俺を頼ってくれてもいいよ!」


 とても眩しい笑顔。悪気は一切無いように感じられる。


「ああ……」


 とりあえず愛想笑いだ。


「角田さん引いてるって」


 目の前の先輩の肩を、誰かが強く叩いた。女性の声だ。どこかで似たようなものを聞いたことがある気がする。


「えー?」

「まず名乗りなさいよ」

「名札があるじゃん」

「いいから」


 二人は知り合いのようだ。


「あー、ごめん。俺、坂上(さかがみ)!」

「私は上杉恭子(うえすぎ きょうこ)。よろしくね」

「上杉?」


 さっき理不尽なことを言ってきた上杉さん。それとは別に、上杉という苗字の人がいたのか?


「ああ、もう一人の上杉はうちの妹。紀里子(きりこ)。昔色々あってひねくれ者になったけど、いい子なの」


 確かに意識して見てみれば、骨格や声質がよく似ている気がする。


「そうなんですね」

「私達姉妹と坂上はおなじ大学に通っているの。そんなことより、このあほがごめんね」

「あほって……」


 坂上先輩は先程と比べて意気消沈している。


「こいつより私の方が頼りになるから。いつでも言って。柴山! もうすぐ開店だよ」


 上杉先輩が目線を上に上げて言う。振り返ると、柴山さんがいた。


「すんません色々やれなくて。いつも以上に働くんで」


 申し訳なさそうな柴山さん。その顔は私に向ける顔とは違い、目上の人に向けるような顔だった。


「いいからいいからー! 気にしねーの!」


 厨房に響く坂上先輩の大きな声。一瞬、場の空気が止まった気がする。


「うるさい」

「ごめんなさい」


 上杉先輩の淡々とした言葉で再び意気消沈。坂上先輩はなんというか、騒がしい。感性豊かと言うべきか。

 すると上杉先輩が手を叩いて、声を張った。


「働け新人達ー」

「俺は新人じゃ……」


 柴山さんの言葉が遮られた。


「半年。新人と言うのに充分だよ。ひよっこ君」





 家の玄関の扉を開けた。いつも通り、母に「ただいま」と言う。


「おかえりー! どうだっ……ねえ、ひ、花薫! 右目……」


 その女の人は、とても慌てた様子で言った。自分の右目を拭うと、手が濡れた。なぜ私は泣いているのだろう。


「ああ、えっと……なんて言うんだっけ。あの、あなたのこと」

「……お母さんでしょ」

「ん? ‎……そうだったね。ごめん」


 母にまた心配をかけた。なるべく何も思わないようにしなければいけないというのに。

 靴を脱いで揃える。今日は休日なので、父がいるはずだ。

 家でもヘッドホンを外すことは風呂に入る時と寝る時以外にあまりない。

 私には、夏らしい音を聞くことが許されない。それさえも忘れてしまうのが怖かった。






②へ続く

筧 沙織@小説投稿 二 済 #小説・7時間前
花、言葉
共同小説
沙織/from:小説
小説
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