◆お墓の話ですが…◆
歴史上の人物に惚れこんでしまうと、どうしてもその人の足跡が気になりますよね。
どんなところで生まれ育ったのか、いろいろな事件やエピソードのあった場所が、今どうなっているのか、あるいは、どこで死に、どこに葬られているのか―。
いわゆる「ゆかりの地」めぐりをしたくなるものですが、とりわけ、そのひとが生涯を終えた地、あるいは埋葬されている場所などは、特別の感慨を抱かせる場所なのではないでしょうか。
私が大好きな新選組は、新選組としての活躍の場が京都を中心とした地域でしたから、学生時代は、それこそ時間を見つけては、友人とともに京都に残る新選組の足跡を訪ね歩いたものでした。
彼らが屯所を構えた壬生界隈は言うに及ばず、島原、祇園、西本願寺、油小路、黒谷、東山から木屋町あたり…。
あの頃の私が撮った写真といえば、お寺や史跡の石碑、墓石などなど…本当に色気のないものばかり(笑)。
特に、好きだった山南敬助のお墓のある壬生・光縁寺へは、花を携えてそれこそ何度も足を運んだものです。
そんな私が、とりわけ高校生のときから大好きだったのが沖田総司。
ですが、実は彼の墓には、未だに参ったことがありません。
機会がないわけではなかったのですが、学生の頃の懐具合では、やはりなかなかおいそれと東京まで行くというわけにもいかなかったのです。
そうこうしているうちに、お墓は一般の人の立ち入りが禁止になってしまいました。もうずいぶん昔の話ですね。
普通の檀家の方も当然いらっしゃるわけですし、毎日毎日大挙してファンが押しかけては、お寺さんも迷惑でしょう。
さらに、本当かどうか分かりませんが、一部の不心得者が墓石を削って持って帰ったりしたためだとか聞いたことがあります。
う~ん。。。
気持ちは分からなくはない。でも、それって絶対ダメでしょ。ファンとして。
今は、命日にだけは墓参が許されているそうですが、私は未だにその機会を得られないでいます。
いつか、いつか、香華を手向けたいと思っているのですが…。
さて、油小路の変で犠牲となった伊東甲子太郎を始めとする御陵衛士たちの遺骸は、始め壬生の光縁寺に葬られましたが、明治になって泉涌寺の近くにある戒光寺に改葬されました。
そこにはもちろん、藤堂平助の墓もあります。
実は、学生時代にこのお墓へはお参りしたことがあったのですが、当時は藤堂に対してそれほど思い入れを持っていたわけではなかったので、あまり覚えていないんです…。
今になってもう一度行ってみたいなあと思い、調べてみましたら、なんとこちらの墓所も立ち入り禁止になっているではありませんか。
その原因が、これまた「一部の不心得者のため」だという…。
具体的な理由は書いてありませんでしたが、まったく、困ったものですね。
墓参という行為や、墓前で手を合わせるときの気持ち、そんな浮ついた思いで足を運ぶわけではないはず。
本当に歴史上の人物が好きな人なら、絶対に観光客気分でなんて行けないはずなんです。
せっかく、思い思って訪ねていっても、こんな理由でそこに入れないなんて、すごく悲しいですよね。
光縁寺や壬生塚も、近年はお参りするのにお金がいるようになりましたが、お参りさせてもらっているんだ、という「気持ち」を形にしたマナーだと思えば、それも当然なのかもしれません。
明日(旧暦11月18日)は、藤堂平助の命日です。
墓参の叶わない私は、今年も遠くから彼の冥福を祈りましょう。
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