愛とは何か。
教えてくれたのは君でした。
友達になるきっかけなんてそこら辺に転がっている。
物を拾ってもらったとか、隣の席になったとか。
だから君との出会いも悪魔がくれた最後のプレゼントなんかじゃなくて、偶然ということにしておこう。
君は優しい人だ。
泣いてる人をほっておくことは出来ないし、助けての言葉には人一倍敏感だ。
まるで太陽のような向日葵のような温かい優しさを持つ人だから、彼女の周りには自然と人が集まるのだろう。
彼女は容姿端麗で笑顔はとても眩しい。
僕にとって彼女は眩しい光だった。
闇にいる僕が光に手を伸ばすから罰が当たったんだ。
彼女と友達になったきっかけはやっぱりそこら辺に転がっているようなことだった。
彼女はクラスの真ん中で何人かの人を巻き込んで、朝ご飯の話で盛り上がっていた。
彼女ならそんな話でも皆で楽しむ題材になる。
彼女は端っこにいる僕にまで話の輪を広げた。
“ねぇねぇ!朝はパン派?ご飯派?”
そうやって君が当たり前のように闇に手を入れるから僕は勘違いしそうになる。
“…パン派。”
彼女は残念そうに肩を落とした。
“パン派かー。
やっぱりパン派の方が多いのかなー。
私はね!朝はしっかりご飯を食べたいの!”
楽しそうに話す彼女に圧倒され僕は頷くことしか出来なかった。
それでもなお、気分を悪くせず楽しそうに話す彼女を見ると僕まで楽しい気分になれた。
これが彼女との初めての会話。
それから彼女は定期的に僕を会話に入れてくれ、そうしていくうちに仲良くなった。
いつの間にか彼女の光に僕が入ることが多くなった。
僕は確かに幸せだった。
ふとしたきっかけで何ともない話をする仲になるように、ふとしたきっかけで僕は彼女に悩み相談をするようになった。
今まで誰にも話したことのない話も誰にも出来なかったような話も彼女にしてしまう。
それはきっと、彼女の全てを包み込んでしまうような光のせいだろう。
立入禁止の屋上が僕と彼女のお悩み相談室。
塔屋の影に二人並んで腰掛ける。
“今日はどうしたの?”
彼女は周りを本当によく見ていて、体調が悪い人とかすぐに気づく。
僕もバレた一人だ。
教室のど真ん中で僕の手を無理やり引っ張って屋上に連れ出した。
“君は本当によく気づくね。”
嫌味っぽく言ってしまったけど密かに尊敬している。
“君がわかりやすいんだよ。
で、何かあったの?”
彼女は心配するように僕を覗き込んだ。
彼女は僕のことを結構知っている。
それは僕がぼろぼろと吐いてしまったから。
両親が離婚し、父親は戸籍上父親じゃないこと。
母親は仕事ウーマンで家は独りが多いこと。
お酒の力は偉大で、人を変えてしまうこと。
真新しい痣はリモコンでつけられることが多いこと。
僕は母親の理想にはなれないこと。
僕の存在が必要ないこと。
今思えばなぜ言ってしまったのかわからないし、物凄く後悔した。
彼女にはしたくもない想像をさせなければいけないから。
兄弟とはとても仲良しだし、親御さんとも買い物とかによく行っているみたいだ。
友達だって多いし、幼馴染の親友だって彼氏だっている。
僕だって友達と呼べる人はいるけど、いつも一緒に遊んだり、毎日連絡取り合ったりするわけではない。
彼女から見たら友達には見えないかもしれない。
家族とは知っての通り上手くいっていない。
きっと僕がぶっちゃけた闇は彼女には重すぎた。
それでも彼女は親身に聞いてくれた。
自分のことのように悲しそうな顔をしながら。
それが何よりも嬉しくて辛かった。
“…今日は父親が来る日。”
俯いてそれだけ伝えると彼女は僕を抱きしめた。
光が闇を覆い隠すように。
これは彼女がよくする。
私はここにいるよっていつも小さい声で言いながら。
いつも僕はここで泣いてしまう。
彼女にはバレないように小さく小さく。
この瞬間だけは僕はここにいてもいいと認められる気がする。
彼女はゆっくりと僕から離れると僕に向き合った。
“辛いときは連絡して。
怖いときは助けてって言って。
すぐに飛んでいくから。”
女の子にこんなこと言わせるなんて男失格だろうか。
それでも彼女の真っ直ぐな言葉に僕はまた素直に頷いてしまった。
父〈7:00から7:30に行きます。〉
母〈今日早く帰ります。〉
携帯に入っていた連絡はこれだけ。
簡素な業務連絡。
僕は両方に〈了解です。〉と返す。
そして思わず溜息を溢した。
時間が近づくにつれ、緊張感は一気に増す。
母親が帰ってきて食卓に晩ご飯が彩られていく。
母親は作りながら愚痴を溢す。
僕はそれを丁寧に拾い上げていく。
素面の母親とは結構上手くやっていると思う。
ご飯が出来たあとすぐ父親が来た。
母親はもう飲み始めている。
ドアを開けるとまた少し老けた父親がいた。
月に一度しか合わない父親の老いは結構分かりやすい。
父親は封筒を渡す。
僕は受け取る。
父親は最近どう?と問う。
楽しいよ。と僕は答える。
父親はそれじゃあと僕の頭を乱雑に撫でて帰っていった。
僕は見送らずわざと大きな音でドアを閉めた。
母親に封筒を渡す。
母親は封筒からお金を出して勘定した。
1万少ないと不機嫌に言った。
僕はごめんなさいと何かに謝った。
そこから母親の機嫌は一気に悪くなった。
9%のチューハイ缶はもう4本空いている。
毎回殴られるわけじゃないけど、今回は殴られた。
太ももを3発と腕、顔を2発。
それなりに痛いけど母親も加減しているし、少し痣になるくらいだ。
それよりも言葉のほうが痛かった。
“産むんじゃなかった。”
“あんたなんていなくなればいいのに。”
“生きる価値なんてないクズが。”
そんな言葉を投げられるたびに胸に針を刺しているかのようにチクチクと痛み、涙が出そうになった。
母親は酔いが回ると眠ってしまう。
僕は母親が眠ったのを確認して近所の公園に出掛けた。
ブランコとベンチしかない小さな公園だ。
ブランコに腰掛け、さっき我慢した涙を拭う。
握りしめた携帯の画面は彼女とのトーク画面。
猛烈に彼女と話したくて開けていた。
でもなんと切り出したらよいか分からなくてそのまま握りしめていた。
結局その日は何も話さなかった。
その日は眠れなくてくっきりしたクマと残ってしまった痣を抱えて学校に行った。
朝から彼女は僕の顔を見るなり屋上に連れ出した。
“昨日何があったの!?”
彼女は涙をいっぱいためて怒鳴った。
彼女は僕が顔の痣を作ってるところを初めて見たようだ。
“いつものことだよ。”
そうだ。いつものことだ。
彼女の優しさが嬉しくてついつい泣き出しそうになるが、言葉にして自分を律した。
“っ…辛いときは言ってって言ったじゃん!
助けてって言ってよ…。”
彼女は悲しそうに俯いた。
僕は彼女にこんな顔をさせたいわけじゃないのに。
いつだって笑っていてほしいのに。
“ごめんね。いつも助けられてるよ。
救われてる。ありがとう。”
彼女はなぜか泣き出した。
おかしい。笑ってくれるはずだったのに。
“愛されたいよね…”
そう言って彼女はいつもより強く僕を抱きしめた。
“何言って…”
“愛してほしいよね。認めてほしいよね。”
違う。僕は愛されてる。
父親にも母親にも。
本当に嫌いなら養育費だって渡さないし、ご飯だって作らないし、学校だって行かせない。
愛してくれてるから…僕は生きてるんだろ…?
“愛されてるよ…”
僕は言った。
彼女は悔しそうに綺麗な顔を歪めた。
“愛され方…間違ってるよ…”
彼女に突き放された気がした。
僕は焦った。
“母さんは普段は優しいし、文句も愚痴も言うけど、結局、ご飯だって作ってくれるし、学校だって行かせてくれるし…”
だから僕は愛されてるよね…?
わからなかった。
これが愛じゃないなら僕が信じたものは何だったのか。
これが愛じゃないなら僕は何を求めて生きてきたのか。
“たまに泣く事が楽しみになる愛され方って本当に幸せなの…?”
わからなかった。
僕は何?僕はどうしたい?
わからなかった。そして堪らなく怖かった。
“泣く事が楽しみなわけじゃない!
僕は愛されてるよ…。”
彼女はごめんと呟いて屋上から出ていった。
一人残され、不安と後悔でいっぱいになる。
彼女の顔はよく見えなかったけど、きっと失望した。
僕に呆れて失望し、怒った。
そらそうだ。
彼女の言うことは全て事実だ。
殴られることは愛じゃない。
暴言を吐かれるのが愛じゃない。
泣くことが愛じゃない。
僕だってそれくらいわかっていた。
図星をつかれてムキになった。
認めたら彼女まで離れる気がした。
また独りぼっちになる気がした。
結局、彼女は僕から離れた。
その日は彼女と目が合うことはなかった。
帰り際、彼女の手を掴んで謝ったけどスルーだった。
当たり前だ。
善意を悪態で返し、八つ当たりして酷いことを言った。
もう僕は彼女と話すことは愚か、2度と目が合わないかもしれない。
そう思うだけで胸が痛く苦しくなった。
そこから2日間学校に行けなかった。
眠れなくて体に力も入らなかった。
母親はそんな僕を見て呆れた。
“いい加減学校行ってよ。
行かないなら辞めろよ。”
捨て台詞のように吐いて会社に出掛けた。
いっそそれも良いかもしれない。
彼女に嫌われたら僕は本当に生きる価値がないのだから。
通知音がなった。
母〈学校行け。〉
強気の言葉には重い圧を感じた。
はいという返事と答えを送った。
鈍った体を無理やり動かし制服を着た。
遅刻ギリギリで教室に滑り込んだ。
友達は大丈夫かと声をかけてくれた。
僕はうんと返事して彼女を見た。
彼女は僕と目が合うとあからさまに反らした。
僕は携帯で彼女に連絡した。
〈放課後、屋上に来てほしい。最後だから。〉
返事は来なかった。
放課後。屋上で半ば諦めながら座っていた。
ドアノブを回す音が聞こえる。
彼女は気まずそうに僕を見た。
そして、隣に腰掛けた。
重い沈黙を破ったのは僕。
“あの日はごめん…。”
彼女は驚いたように顔をあげたあとまた俯いた。
“君が言ったこと全部正しい。
僕はムキになったんだ。
君を傷つけた。本当にごめんなさい。”
彼女はなんと言ったらいいのかわからないようだった。
僕は続けた。大きな深呼吸をして覚悟を決めた。
“僕の想い全部聞いてほしい。”
彼女は小さく頷いた。
“君が話しかけてくれて7ヶ月くらいたったかな。
・・・
僕は本当に幸せだったよ。”
彼女は僕の手を掴んだ。
“なんで、さよならみたいに言うの…?”
“さよならだからだよ。”
彼女は力が抜けたように手を離した。
“君は光だった。
真っ暗な世界で生きてきた僕にとって君は眩しほど美しい光だ。
君と何でもない話をするのが好きだった。
君に悩みを相談すると楽になる僕がいた。
さっき話したのにまたすぐ話したくなる。
君には笑っていてほしいのに君の優しさに甘えていた。
君の温かい優しさに甘えてる僕がいた。
僕は君のことが…”
出しかけた言葉を飲み込む。
“…僕にとって君は、光だった…。”
彼女は光だ。
沢山の人を照らし幸せにできる。
だから僕が独り占めしてはいけない。
闇の中じゃなくて元いた場所で光り続けなければいけない。
だから…さよならだ。
“僕、転校するんだ。
父親のところに行くことになった。
だからもうすぐ転校する。”
彼女は俯いたまま何も言わず涙をポタポタ溢した。
“出会ってしまってごめん。
沢山傷つけてごめん。
沢山苦しめてごめん。
でも僕は君に出会えて幸せだった。
本当にありがとう。”
彼女は何も言わず泣き続けた。
溢れた涙がきらきら光っていた。
彼女から逃げるように帰った。
本当ならあの場で飛び降りてしまいたいくらいだったけど
そんなことしたら彼女はきっと僕を忘れてくれないから。
どうか僕を忘れてくれ。
僕のことなんて綺麗サッパリ忘れて元いた場所で笑っていて。
沢山の人の光であってくれ。
また誰かを照らし続けて。
そしていつか出会う君だけの光を大切にして。
どうか幸せになってくれ。
そんな願いを込めて僕は闇へと消えていった。
さよなら、ずっと君は僕の光だ。