(-_-)・2024-12-07
泡の中の物語
微睡みの狭間
清白の吹雪*
僕は太陽
君はお月様
僕は君を温かな光で明るい道へと導こう。
君は僕を優しい光で暗闇からの道しるべに。
大空で目立ちたがりやな白い雲
この夏では救世主
小さな花一つ。
その花を君の手が優しく包み込む。
君の優しさを貰いながらきれいに咲く花よ。
何が偉いのか。
何が当たり前なのか。
その境界線は人それぞれ。
だからこそ難しい。
よくSNS等で、罪を償って深く反省して、改心して刑務所から出所しました!みたいな人の動画や投稿にコメントで、『ちゃんと罪を償ったの偉い』『改心して偉い』『無事に就職して社会の為に生きていて偉い』などのコメントをよく見る。
しかし、本当にそれは偉いことなのか?
元々は犯罪を犯して刑務所に入れられているのだから何も偉くないのでは?と思う。
そして罪を償うだ、改心だ言っているのはとっても当たり前すぎることなのでは?と思う。
確かに罪を償っていない人や反省の意を一切見せない人よりかは良いのかもしれないし、人によってはそれが偉いと思うのかもしれない。
でも、それは偉いのか?
辞書で調べると偉いは「社会的地位や身分などが高い」「人間として立派で優れている」
と出てくる。
果たして先ほど書いた犯罪者達はここに入るのか?
まぁ、人それぞれだとは思うけど。
僕はそんな人達には絶対偉いとは言わない。
誰に何と言われようが絶対に言わない。
だって犯罪をしないのが当たり前で、罪を償って反省するのが当たり前だから。
これで言うと、今日君に当たり前のことだけど偉いと伝えたね。
職場で新任の1年目の職員の君が今行っている業務意外にも自分から進んでやりたい!教えてください!と直属の上司に言ったね。
これも仕事をする上では当たり前だよね。
でも今の日本人は自分からあれこれやりたいなんて言う人が何人いるのだろうか。
当たり前と言われるレベルが格段に落ちていると思う。
そう思うと君はそんな人達よりも立派なのではないか。と僕は考えた。
だからこそ僕は君に『偉い』と伝えた。
何度も言うが、僕が思う偉さや当たり前と他人が思う偉さや当たり前は全く違う。
それでも君は偉いと思う。
そしてほどほどに頑張れ。
応援だけする。僕には手伝えない範囲のことだから。
人 癒
は し
人 を
を わ
簡 け
単 て
に く
傷 れ
つ る
け の
る も
が 人
だ