深波.・2022-06-04
映画の感想💎
柔らかく射し込む光、反射する思い出の水、ふわりと靡く布が印象的な映画だった。原作にはあったシーンが存在しなかったり、原作にはなかったシーンがオリジナルで差し込まれたりしていたけれど、物語の本質は何一つ原作と変わらなかった。場面の移り変わりが、まるで夢を見ているときのようで。抽象的なシーンもいくつかあり、純文学をそのまま映像化したみたいだった。
ああ、ここ、独白じゃなくってそのまま映像として見せるんだ。反抗は、受け入れて欲しい気持ちと拒絶されることへの恐怖との間で揺れ動く、文の長年の葛藤が伝わって苦しかった。
『流浪の月』
パラサイト 感想
🪱ネタバレ注意🪱
ずっとゾクゾクしているような感覚
うわ、バレる、あ、バレない、の繰り返し
お金持ち家族の弟くん、なかなか勘が鋭そうだからキーパーソンかな?結末何かやらかす感じ?と思いながら見ていたらめちゃくちゃ裏切られた
一家がキャンプ行ってる間にみんなで豪邸上がり込んで好き勝手やってたシーン、雨だしキャンプ出来ないし絶対途中で帰ってくるだろ…とヒヤヒヤしてたらまさかの元家政婦が来るなんて しかも地下あるし旦那さんパラサイトしてるし…
とにかく結末でびっくり キャンプ行ってからお家でパーティしてクライマックス迎えるまでの流れが一瞬すぎた
てかちゃっかり生徒と付き合ってたっぽいけどお友達の大学生くん可哀想すぎない?
こんなはずじゃなかったって気持ちは誰にでもあるよね、それが大きくなりすぎると爆発してしまうよね。死んだり死なせたりっていうのがハッピーエンドかもしれなくなることだってあるし、わたしも、誰かをころして捕まったら全部終わるのかなぁって考えたことあるよ。自分じゃ風船を破く勇気がないから、誰かが代わりにきっかけをくれると、驚きと同時に快感を得られたりもするよね。ずるいから。ダサいからわたし。でもこんなはずじゃなかったのにこんなことになっちゃったのは自分自身の努力不足なんだよ。なのに被害者ヅラして狂ったフリしてすべてを台無しにして、そんなことじゃ自分は自分を許してはくれない。まあ、叫んだり刺したり叩いたり、っていうのは、ストレス発散になる気がするけど。わたしも思い切り誰かの顔をぶん殴りたい。お前のせいでこうなったんだよ、お前がしねよ、責任取れよくそ野郎がよ、謝ってみろや、泣いてんじゃねぇよ、。って、そうやって罵詈雑言浴びせて、自分が強いことをアピールしたとて、やっぱりわたしはずっと怯えている。ずーーっと。許せる術は、じゃあどこにあるんだろう?時間を巻き戻してやり直せばいいのかな?それもそれで嫌だな、もう一回地獄を経験するなんてそれこそ地獄だな。どうすればいいんだろう、どうすればよかったんだろう。死んで終わらせるとか守るもののために自分が死ぬとかめっちゃダサいよね。え、ダサいよね?私だけ?ほんとはそういうのって、カッコいいって定義されてる?だとしたらセンスおかしいよ。死なないで頑張ってみろや。そういうのって普段へらへら生きてる奴の美学だろw。
『冷たい熱帯魚』
すずめの戸締まり 感想 ネタバレ注意
新海誠監督の映画がそもそも初めてで、映像が綺麗だという話をよく耳にしていたのですが本当にその通りでした。特に電車や駅の描写はまるでそのままカメラで撮った写真なのではと疑うほど精巧でした。
まったく情報を調べずに行ったので、映画を観ながら登場人物や物語の設定を把握するような感覚でした。
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3.11を絡めたのは、そうしなければ没入感を出せなかったからなのではないかと感じた。すずめたちと同じ世界に立っているという当事者意識みたいなものを監督は大切にして欲しかったのかもしれない。芹澤さんが車内でSpotifyを使っていたのも気にかかった。もちろん流している曲もすべて実在するもの。
それから、あの距離感で「草太さん」「鈴芽さん」と二人がお互い下の名前で呼び合っていたのがずっと引っかかっていた。私だったら「宗像さん」「岩戸さん」と呼ぶと思う。
椅子のあしが1本足りないのは、お母さんを亡くして以降すずめの心が不完全になってしまったことのメタファーだと捉えた。しばらく椅子のことを大事にしていなかった、というような内容の発言をすずめがしていたけれど、それは叔母との生活が楽しく充実していた証拠なのかもしれない。
通学中に不意に話しかけられた草太のことが気になり廃墟へ行ったり、自宅でケガの手当てをしたり、椅子になった草太とともにダイジンを探しに行ったり、要石になってしまった草太を抱き上げて泣いたり。知り合ったばかりにしては草太に執着しすぎている気がした。もちろん要石を抜いてしまったことへの責任感があるのはわかるけど、そこまでする理由はよくわからなかった。私だったら椅子とダイジンがフェリーに乗り込んだあたりで追いかけるのを諦めていたと思う。
ダイジンを見たおじいさんの発言を聞く限り、要石は姿を変えた人間がなるものなのだろうなと感じた。ダイジンはもともと人間(閉じ師)で、その当時の別の要石の力によってねこに変えられたのだろうなと。おそらくおじいさんの知り合い(師匠とか)のような気がする。だとすると、何十年ずっとあの姿だったのだろう。
伏線回収が悲しかった。本当は迷子になって探し回っていたあのときから母親がもう無事ではないことを知っていたんだ、と未来のすずめはようやく気付いてしまう。ちゃんとこれからもあなたは生きるし、好きな人もできるし、自分のことを好きになってくれる人とも出逢える、と声をかけていたところで、もし私だったら幼少の自分に何と声をかけるだろうかと考えた。わからなかった。正体を聞かれ、すずめの明日と答え、それを見ていた草太が微笑むシーンはずっと目に焼き付いている。
一番胸に残っている台詞は、「命が仮初だとは知っています」。もしかしたら生物は死んでいる状態が常で、ときたま生命を授かって生きているに過ぎないのかもしれない。
これは余談ですが…
草太のビジュアル、扉を開けるというコンセプト、魔法使いというフレーズ、ヒロインについてくる動物、ドアを開けて好きな人に会いに行くシーンなど、『ハウルの動く城』を思わせるような場面が多かったような気がしました。瓦礫の壁にもたれかかった扉を開けるシーンは特に。
偶然だろうけど。
以上 深読みしすぎな深波でした
マイ・ブロークン・マリコ
永野芽郁、めっちゃ、めっちゃ、めっちゃよかった。永野芽郁ではなくシィちゃんだったし、でも紛れもなく永野芽郁だった。
人が死んでるっていうのにあまりに爽快すぎるし、でもシィちゃんの悲しみがそこかしこに溶け込んでるしで、こういう映画、もっと増えればいいなぁって思った。