※整理しながら書いてない長文なのでスルーしてくれて大丈夫です。
突然ですが、私が当時高1の時のお話。
年が明けてしばらくたった頃に私はある日,41.7℃の熱が出た。ただ、その時の記憶はなく確か休日で母はいたが私が体調崩すと機嫌が悪くなると嫌み(暴言)を言われるのを自然に理解してたからかそれとも異常な体温のせいかわからないが普通にいつも通り過ごせてて母にも気づかれなかった。
次の日は月曜日で学校があったが朝、異常なくらいに倦怠感,頭痛,立ちくらみ,身体に力が入らなくてとりあえず熱を測ってみたら39.6℃あってでも母は前日41.7℃の熱があることは知らないのもあったのと当時の私は夢だと思ってて言わなかったのが原因だと思う。
ただ、高1の10月頃から精神的にも身体的も不安定で学校休みがちになって高1の年明けには1日でも休んだら留年ってくらいのときに私はインフルエンザA型になってしまった。
ただ、当時41.7℃の証拠写真はいつの間にか無意識に前日撮ってはいてそれを母に見せても当日の39.6の体温計見せても私の身体より当時の担任,母,父は『倒れても死んでも学校に向かえ』『インフルエンザじゃなかったらあなたの人生終わりなんだよ?自覚無さすぎる』『39.6あろうが大人でも会社に行く』『あんたの身体よりあんたの人生がかかってる』等言われて母は『とりあえず、必ず学校に死んででも向かえ』と言ってから仕事に向かって置いていかれ当時の担任は『そんなに辛いの?単位がもぅダメなのはわかるね?今すぐ家を出なさい』と冷たい声で言われ父は『とりあえず、途中で帰ってきても良いから学校には向かいなさい』と言われた。
でも、私の身体はその時39.6あったのもあって立つのもやっとでどんなに頑張って向かおうとしても身体はいうこと聞いてくれなくて当時の担任,母,父から50件以上の電話,LINEに出るのも返信するのも辛いくらいだった。
それでも当時の周りの大人は私の身体より単位を必死になってた。
やっとその日は夕方になって目眩や立ちくらみはあったがギリギリ立てるくらいのレベルになった。
夕方になるまで当時の担任,母,父は諦めないで私に連絡続けて『死んでも学校に行け』と言っていた。
夜になって母が帰宅した後、あまり覚えてないが暴言言われながら夜間診療のある病院行って検査したところインフルエンザA型だった。
ただ、これは高校卒業した今でも母に嫌みを言われてる。『あの時インフルエンザじゃなかったらどうなってたことか…』『あなたの身体より単位が今でも大事だと思ってる』『あの時単位落ちてたらと思うと今でもヒヤヒヤする』『あの時のは私でも思い出したくない』等と昨日の晩御飯に母に言われて悲しくなった。
確かにあの時は単位が1日でも休んだら危なかったのはわかる。でも…私の身体より単位が大事だったと言われ続けられる私の気持ちは母は理解してるんだろうか?母は私の命なんかどうでもいいと思ってる気がしてならない。最近は私のこと一人の人としてではなくて私のこと自分の物か道具だと思われてる気がしてならない私は最低な娘なんだろうか。
私だってあの時の記憶は消したいでも、消えない…。あれからだいぶたった今でも母はあの時の出来事を言っては暴言を吐かれるからいつも忘れそうになりかけても思い出してしまう。