西春奈・1日前
おいしいのつくりかた
マンゴープリン白玉のつくりかた
母の怒声は決して珍しくなかったけれど、金木犀の花と野焼きの香とに混ざるなら、それは特別な一日のはじまりを示す。
彼岸、私たちは山と集落とのきわに向かい歩いた。
境を象るべく打ち込まれた石群を、決して死にも生にも還さないための、守を果たす者どもとして。
盆と正月と彼岸とのみを年中行事とした私の実家では、そのいづれもが己の生きた家族のためには執り行われるものではなかった。
義務を果たすための日。
奉仕のための日。
祭日とはそういうものなのだと私は今でも思い込む。不便はないが、楽しめと言われてもどう振る舞えばよいかわからない。喜びは感ずる。私の全身全霊が、私の選んだ務めに添うことへの喜びを。
秋の彼岸だけは墓前に団子を供えた。
そういうものなのかはついぞわからなかったが、いらちの母は団子粉でなく白玉粉を練って作った。
やれ水が多かったの生地が手につくだの湯の沸くのが早すぎるだの、母は人にも白玉にも調理器具にも、とにかく手の届く全てに当たり散らしながら団子を作った。絶叫と共に流し台下の収納扉が蹴り壊される音なんぞ何度聞いたかわからない。
代わろうか、なんて言おうものなら更に機嫌を損ねるのが目に見えていた。母の視界ぎりぎりに立ち、気の済むまで八つ当たりを受け止め、気の済むまで抱きつかれ慰める、それが暗黙のうちに与えられた私の役目であった。
まるで母の不安はすべて私の感ずるものであるかのように、その頃の私には感じられた。私は主語を話さなかった。
彼岸団子の余りは家族皆で食した。
市販のマンゴープリンを賽の目に切り、白玉なのか団子なのか明瞭でないそれと和えて小鉢に盛る。
水でまとめて茹でただけの団子は練られていないからぼそぼそで酷く粉っぽく、取ってつけたように甘い。
それでも母の作る数少ない菓子だから、多めに余ることをひそかに期待し、墓前に供える数をこっそり減らしてはこっぴどく叱られた。
ある年、彼岸だというのに冷蔵庫にマンゴープリンがなかった。その日の夜、小鉢に盛られた団子には黄粉とわずかばかりの塩とがまぶしてあった。
わざわざ買わずに済んだわ
もうずっとこれでいいわねえ
ただでさえぼそぼその団子が、黄粉に水分を取られさらにもそもそしている。飲み込むのに苦心しながら私は無言で頷く。
何も口にはしなかった。
あの家で生きることを信じたために。
団子が私に甘くなくとも世は秋である。
空を嗅げば甘く、甘い、生と死の廻るにおいがした。