月星・2021-05-10
LGBT
ルッキズム
ポエム
LGBTだから可哀想?
可愛くないから可哀想?
スタイルが悪いから可哀想?
だからなんだ
私は出来損ないの自分が
最高に可愛くて大好きだよ
顔が可愛かったら何しても許されるのしんどい
知らない話したこともない人にあいつあんま可愛くないよなとか言われるの普通に辛いし可愛いって言われてちやほやされてみたい人生だった
来世に期待
ルッキズム[外見至上主義]のはなし
”ルッキズムとは、外見重視主義。主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。「look+ism」であり、外見至上主義、美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観などとも呼ばれる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。”
最近の子は痩せすぎている。整形についてのハードルを低く捉えている。化粧が濃い。露出が多い。加工が強い。
SNSの普及の所為が大きいが、より良く魅せようとする気持ちが強い。
かくいう私も、ルッキズムに囚われるひとりである。
ルッキズムの問題と実態について考えてみたかった。
割とまとまったと思うので、皆にも聞かせるね。
めちゃくちゃ長いので、読むのが億劫になったら一番下迄飛んで、下3パラグラフくらいだけでも読んでみてね。
私の月にかかる美容代。
洗顔クレンジング、3万円。まつげパーマ、5千円。ホワイトニング、4万円。ビタミン剤、1万円。
うーん。改めて数値として可視化すると怖くなってきた。
「そんな金額を投資する必要ある?」と思う人もいれば、「自分はもっとかかっている」と思う人いるかもしれない。
大学生の一人暮らしの家賃平均は、1ヵ月あたり52,910円とされていて、一般的には収入に対しての家賃の相場は、3割程度と言われている。被扶養者であるためには月の給与が88,000円迄であるため、仕送りが7万円で丁度くらいとなる。
つらつらと述べたが、端的に言えば、学生の美容代としては高いということである。
収入の半分が美容代。うん。かかりすぎである。
これだけの美容代をかけていることもあり、私は私の見た目に自信を持っている。この金額がきちんと反映されていると思う。
しかし、そこで値段に見合う意味はあるのか。
あるんです。
私が見た目にお金をかける理由。
①話を聴いて貰えるから
美人は得だと言うが、正にその通りで、無条件に人が寄る。
自分の言葉が、より価値を持ったように他者に伝わる。
私が褒めると、喜んでくれる。
私が発言をすると、文字通り視線が集中する。
私が居るだけで、近づきたいと思ってくれる。
発言力が高くなる。これは私の武器である。
②自己肯定感が上がる
私は、自信や自己愛が強く、自己肯定感が低いタイプ。
何かしら根拠のある長所は強く認め、理由のないことでは自分を褒めることができない。
「お金をかけている」「手間をかけている」という事実が自分を認めることに繋がっている。
言ったら、自己満足である。
③褒められるから
人間誰でも褒められると嬉しいものである。
家族の知り合いに「娘さん美人だね」「お姉さん美人だね」と言われる。
友達に「顔が良い」と言われる。
カメラマンに「綺麗」だと言われる。
道ですれ違っただけの他人に「可愛い」と言われる。
気持ちが良いものである。
では次に、お金をかけてもなお変わらなかったこと。
どれだけ手をかけても、私の外見は私を超過することはできない。上には上がいるもんだってことですね。
実際、今一番頻繁に行動を共にしている友達は、私の500倍美人で、私の2倍細く、私の50倍肌がきれいで、3000倍実家が太いです(信憑性を含まない数字たち)。彼女と並んで歩くと、すれ違う異性の目が全て彼女に向いていることがよくわかります。私は特段男性に好かれたい意思が強いという性質は持っていませんが、そのことが嫌で嫌で堪らない時期もありました。「自分がこの子より下」だということが目の当たりにできたからです。
これこそルッキズムの片鱗ですね。顔が良い人が好きな人間の性。そして、ルッキズムの対象になった自身。加えて、ルッキズムな自分自身。
その思考からどう逸脱したか。
『暗殺教室』では、”第2の刃”という言葉が出てきます。第1の刃が失敗しても人生が切り開けるように、武器になるものを複数磨いておきなさい…というもの。
要は、得意なことをいくつか持つ。みたいな。
私の長所はビジュアルだけではないわけです。得意なことは沢山あるし、自慢できる箇所もいくつも。
「付き合うなら重視するは顔か性格か」とは何度も聞かれたものですが、いくら顔が良くとも性格が悪ければ長続きはしないですよね。或いは、同じ顔でも性格が良い1と悪い2がいれば、1と付き合いたいですよね。そして、その性格の善し悪しは一概には判断できませんよね。それはビジュアルも一緒で。多数派少数派があれども、全員が全員同じ価値観なわけはないですから。実際、彼女より私の方が好みだと言ってくれる人もいます。
でも!!!大切なのはそういうことじゃないんです。
「顔が良い」というのは長所のひとつに過ぎない。それ以上でも以下でもない。
「顔が良い」も「運動神経が良い」も「頭が良い」も全部一緒。
人によって判断基準は違うし、何かにつけて数値が出ようとも、それが全てとは言い難い。
ルッキズムに囚われた現代。こわい。
見えることだけが真実だとは思わないで欲しい。
全ての視覚的情報が加工されているかもしれないし、一般販売されないような危ない薬品を使っているのかもしれない。
皆がみんな同じ価値観でいる必要はなくて。美的感覚も、ビジュアルの重要さも、人によって違う。
私は自分の見た目を正すことにメリットを見出しているし、それが私の長所になり得ることなので力を入れている。でもそれは別のことでも良くて。ピアノを習ったり、自動車学校に通ったり、そういうのと同じ感覚。
見た目における重要さのパーセンテージは人それぞれだし、何を美しいと思うかも人それぞれ。
「女の子はみんな可愛くなれる!」
じゃなくて、
「可愛くなくても良いんだ」
って世の中で良い。
私の推しは、「楽しい日になりますように」ではなくて、「楽な日になりますように」と言ってくれる。
プラスでなくて良い。貴方が楽な気持ちで生きられることが大事。
拙い文章ですが、読んでくださりありがとうございました。
最後まで見てくださった貴方の今日が、楽なものでありますように