❪母からの贈り物❫
笑顔の一日
家族の愛を確かめ合える日
お庭で詰んだ花?
自作のお手伝い券?
カレーを作ってあげた?
その後は
お母さんからの
たっぷりの抱擁が待ってる。
そんな隣の芝生。
一転、私の母の日は
いつも寂しかった。
私の母は
私がこの世に生を受けた、
その日に亡くなったからだ。
それでも
父が寂しそうな顔をするから
母の日には
お母さんありがとうと
手紙も絵も書いたし
少し大きくなってからは
お小遣いを握り締めて
カーネーションを買いに行く。
毎年、欠かしたことはない。
買ってきた真っ赤なカーネーションを
父に渡せば父はびっくりするくらい
見たこともないような笑顔になって
それを仏壇に供えた。
母の生命を奪ったのは
私かもしれない。
そんな気持ちが物心ついた頃から
もうずっと心の中にひっかかっている。
ある日、彼、凌人が日本酒を
口に運びながら私に告げた。
「葵、そろそろ俺たち六年になるな」
「もう、そんなになる?」
「…なあ、結婚しないか」
「私……でいいの?」
「お前しかいないよ」
凌人のプロポーズを快諾してからは
全てがトントン拍子だった。
凌人のご両親への挨拶も滞りなく済ませ
凌人の、私の父へのご挨拶も
ドラマのような展開はなく
それどころか父は声をあげて泣いて
凌人の手を握り締めて「ありがとう」
そう、何度も何度も呟いた。
そして母の仏壇前で
「真紀子ありがとう」
母の名を呼びやっぱり泣いた。
父は涙もろいのだ。
ただ、困ったことに
結婚式の日取りも決まった矢先
私は、凌人の子を妊娠した。
中流階級の彼の両親が
結婚式は子どもが無事に生まれてから
そう言うので、結婚式は延期された。
憧れていたウェディングドレス
少し惜しいことをしたとも思うけれど
お腹の中で赤ちゃんが成長していくと
不思議なことに
それはほんの些細な事に思えた。
食べれるものが限定され
吐き気が強く出る、
つわりすらも愛おしい。
妊娠って、変なの。
おなかが大きくなっていく。
足で力強くお腹を蹴られる。
エコーで見る我が子のおしり。
3Dエコーを見た時には
かわいくて涙すら零れた。
男の人は父親になるのが遅い、
なんて、言うけれど
凌人は毎日のように
仕事帰り、赤ちゃんの
靴下やら帽子やらを買ってきて
「お腹触らせて」
そう言って赤ちゃんがいる、
私のおなかに触れた。
これを幸せといわずに
なんというのだろう。
ふいに思う。
母も私がお腹にいる時
こんな気持ちだったのかな。
温かくて切ない気持ちが
そこには存在していた。
そして、今日
私は出産した。
つい、先程のことだ。
日付は…5月10日。
母の日だった。
凌人は急いで仕事を切り上げて
駆けつけてくれたけれど
思いのほかお産が上手く進んだ為に
立会い出産には間に合わなかった。
「くそぉ、この日のためにビデオカメラ買ったのに!」
ふにゃふにゃと産声をあげる、
女の子の傍で凌人は
とても悔しがっていて
私はくすっと微笑みを漏らした。
その時だ。
ガラガラっと
勢いよく、病室の扉が開く。
「葵!!」
父だった。
父がもはや、号泣して
そこに立っていた。
「お父さん、泣くの早いよ」
私は笑う。
「そんなこと言ったってなぁ……っ」
うっ、うっと
何度も嗚咽を漏らして
父はその場から動かない。
「お父さん、孫の顔見てやって下さい」
凌人が父の背に手を当てて
エスコートしてくれたおかげで
父はようやく私の娘の元にやって来た。
父の大きくて厚いその指先は
こわごわとその小さな手に触れる。
「あああ、可愛いなぁ…」
「でしょ?私の娘だもん。可愛くて当然よ」
すると父は、更に
滝のような涙を流し始め
あまつさえ、大声で号泣した。
「ど、どうしたの、びっくりするから」
私がそう声をひそめると
父は、だって。だって。と
まるで駄々を
こねるこどものように前置いて
こう、言ったのだ。
「葵が生まれた時……まだ意識があった真紀子が、葵を抱いて、今の葵と全く同じ事を言ったもんだから」
今、私、なんて言った?
“でしょ?私の娘だもん、可愛くて当然よ”
父の涙が伝播して
私の目からも大粒の涙が溢れた。
母は
私を可愛いと想ってくれた。
私を一度でも
抱いてくれていた。
「お父……さん」
「…なんだ」
私は父の返事を待ち
ずっと気になっていた事を
吐露した。
「お父さんの大事にしてた、お母さんの生命を奪ったのは……私じゃ、ない?」
「馬鹿なこと言うなよ…あれは仕方がなかったんだ」
「二人は……私を、恨んでない?」
「そんな事、あるもんか。葵は俺と真紀子の可愛い娘なんだから」
父の言葉に
今度は私が号泣した。
娘がびっくりしたように
またふにゃふにゃと泣き出す。
凌人は
父と私と娘の涙の前で
大慌てだった。
「真妃ー」
「あーい、おかあたんっ」
「おじいちゃん来たからお家の中入りなさーい」
「あーーいっ」
凌人と二人、
家のすぐ側の公園から
駆けてくる娘、真妃。
言わずもがな、母の名を拝借した。
今日は5月10日。
真妃、3歳の誕生日。
父はダイニングテーブルの椅子に腰掛けて
真妃の様子をにこにこと眺めている。
「ねえ、お父さん」
「なんだ?」
「私、本当はずっとね、母の日が嫌いだった」
「うん」
父は、麦茶で喉を潤しながら
私の話に耳を傾ける。
「だって、何をプレゼントしてもうちは仏壇だったじゃない?そのあとにお母さんの笑顔がない事や抱き締めてもらえない事がとても寂しかったの」
「そうか」
「でもね」
私は真妃を命懸けで
産んだ時、思ったんだ。
「私、お母さんから大きすぎるくらいの贈り物、もらってたんだね」
「うん?」
父は、熊みたいな顔を
首が捻れるんじゃないか
と思うほどひねった。
「お母さんはあの痛みを越えて、命を懸けて私を…産んでくれた」
母としたい事が山ほどあった。
小さい時から周りの友達が
羨ましくて仕方がなかった。
お母さんと手作りケーキ
お母さんのお手製の手提げ袋
参観日に着飾ったお母さん
母の日の作文の宿題
お母さんの手料理
母の思い出はない。
でも、母は
生命をプレゼントしてくれた。
母は父と一緒に
私の中に血を残し
私が真妃という子を
産む手助けをしてくれた。
「お母さんとやりたかったことは、真妃とするよ」
私が父に笑いかけると
「葵……お前、真紀子に似てきたな」
父は、また目を潤ませた。
「もう!いくら似てるからって、惚れないでよ?」
「俺はいつでも葵が一番大事だよ」
男でひとつ、私を育ててくれた。
寂しい日もあっただろう。
それでも、他の人は見ずに
母だけを愛した父を尊敬してる。
「お父さん」
「ん?」
「いつもありがとう」
せっかく素直に気持ちを伝えたのに
「今日は父の日じゃないぞ?」
父は、照れくさそうにおどけた。