第一章-三話「加速」
馬瀬は藤竹の運転する車の助手席に座り、藤竹の使っている柔軟剤と体臭が香る、何サイズも上のパーカーに体をうずめていた。裏起毛が冷え性気味の馬瀬を温めるが、それよりも先程から肝が冷えるので寒いままだった。
明るくて知らない道を走っている。こんな夜に、こんな遠出をしてしまっていいものかと焦っている。
「ねえ、やっぱり嫌だよこんな夜中にさあ。あんたの家に行くだけのはずだったから親には少し出てくるとしか言ってないし」
「それは申し訳なかったね」
藤竹は黒装束から出ている手でハンドルを握り、前を見たまま眉の端を下げて微笑した。しかし次の瞬間には一変して真面目な顔を見せた。
「でも一人じゃ嫌だったんだ。馬瀬が一番信頼できるから、ついてきてほしくて」
馬瀬は藤竹の言葉を受け取り、飲み込む。胸のどこかが揺らいだ。そのいつもとは違う湿った雰囲気の真っ直ぐな横顔に、馬瀬は既視感を感じていた。
「ふん」
そのまま何も言わない藤竹に急につまらなくなり小さく鼻を鳴らして、ガラス越しの景色に目を移した。スイッチで窓を半分くらいまで下げて夜風を顔に浴びる。ガラス越しでも直でも、景色は変わらないものなんだと思った。ガラスがどこまで景色を通すのか今まで疑問に思ったことは一度もないけれど。
「__込山さんは二番目なの?」
頭に浮かぶと同時に、気がつけば口に出ていた。
藤竹が勤める会社で同じ部署所属の込山蛇蓮という男が、藤竹本人が目の前で眠っている時に藤竹宅へ訪ねてきた。その際に馬瀬は優しさで藤竹を起こさずに込山とやり取りをし、名刺を受け取りその日は帰ってもらったのだった。
「えっ?」
「私が一番信頼できるって言うんなら、あの親しそうな込山さんが二番目ってことになる。可哀想。そうだよ、可哀想」
赤信号で車が止まり、藤竹は一瞬斜め上の虚空を見る。
「込山……あの同期の蛇面のか?」
「ひどいね」
馬瀬は、藤竹が込山のことを蛇面だと云ったことに対してではなく、込山のことを思い出すまでに間があったことに衝撃を受けていた。二人は仲のいいとばかり思っていたからだ。
「いやだって、そんなに話したことないし!」
藤竹は子供のように口を尖らせる。
「ふうん。そう」
「あ、あん時はごめんて」
馬瀬は口から溜息のようなものと一緒に、心のこもっていない言葉が漏れ出た。藤竹はそれが拗ねているように見えたのか、少し面倒くさそうに謝る。
「別に蒸し返して謝らせるつもりじゃないけど? はい青」
馬瀬は細かい言葉の抑揚で、藤竹が心の底から謝っていないことを理解していた。少し溜まったストレスをこっそり言葉に乗せてぶつけた。信号が青に切り替わったのを見たので知らせる。
「……青信号って緑だよね」
「うん」
「本当は緑なのに名前だけ青なんだよなあ」
「そうね」
「なんでだろうな」
「なんでかねぇ」
*
下駄少年、熊川 緑郎(くまがわ ろくろう)は携帯を握りしめ震えていた。以前夜を徘徊している時に偶然出会ったおかしな売人の男。もらった名刺に書かれた番号に電話して呼び出した。そいつがこれからここへやってくる。
おおごとにしてしまったかもしれないという少しの後悔と、もし厄介なことをすればそこに横たわる父にしたことと同じことをしなければならないという覚悟が震えを膨らませていた。
あの男を呼んだのは、星の粉薬を欲しいからではない。あの時、男が地面に広げた瓶の中に〝時戻りの石〟というラベルが貼られた瓶があったと思うからだ。
1
緑郎は七年前から父と二人暮らしだった。たった一時間前、緑郎はその父親を金属バットでなぐり気絶させた。出血しているが、まだ息はある。父は倒れた時風呂に入ってきたばかりだったからか、床に水の混ざった血が薄く滲んでいる。
現在中学二年生で成長期に差し掛かり、父親の身長に近づいてきており、筋肉もつき始めたため、簡単ではなかったが実行に移すのは可能であった。
バットは小学生の頃、周りの同級生の男子が野球少年ばかりだったため、自分もあわせなければと思い父親にねだって買ってもらったものだった。結果、長い間押し入れの奥で埃を被ることになったのだが、今となっては買っておいてよかったと緑郎は思った。
しかし欲は渦巻く。警察につかまりたくない、と強く願わずにはいられない。
緑郎は中学二年生だ。つまらない毎日だが、まだやりたいことはあった。焦りの中、走馬灯のように頭に映像が流れる。しかしすべて最近のもので、なんのあてにもならない。と思ったが、すぐあとにあの男のうすら笑みを思い出した。
(沢山の瓶の中で時戻りの石があったはず)
緑郎は脂汗をかきながら笑う。もしそれに時を戻す力があるのなら、過去に戻ってもっと計画をたてて実行しようと思った。
藁にもすがる思いで電話をかけた。
__プルルルルル
(三年前から毎日、朝はコンビニのおにぎり頬張る。休日はそれに加えて昼飯がコンビニ弁当だ。一見綺麗に見えて掃除の行き届いてない部屋、そんな家で暮らすのは不快なので掃除機をかけるが、黙っていると父親はそのことに気づきもしない。フローラルな香りはするのにシワだらけの服。話せる友人はたった一人だけな学校生活。それでも何とか登校できていたのは、美味い飯がたらふく食べられるから。親戚や近所の人からの憐れむような視線、結局は他人事だと思っているくせに蚊帳の外から気持ちだけはこちらに向けている。中途半端な同情なんていらないのに。母さんがなくなったのは親父のせいだ。母さんは親父なんかを気づかって自分の病気を隠していた。だって、僕は母さんがしんでから初めて母さんが抱えていた病気のことを知ったんだから)
__ルルルッ
「……もしもし」
*
出発から何十分か経過した。流れる景色がすべて同じに見える。ラジオのパーソナリティの声が、もう言語として捉えられないほどに輪郭がぼやけて聞こえている。溜息をひとつ、ついた。
「ねえ、いつ着くの」
そう云いながらも藤竹の気まずそうな顔から、馬瀬は何かを察していた。
「あとー……四十分くらい?」
「嘘でしょ、そんなに遠い場所だったの!? なんて所に付き合わせてくれたんだ」
思わず立ち上がろうとする。シートベルトが肩を沈めた。だがその前に頭のてっぺんがルーフに激突。歯や首に響く衝撃だった。藤竹は一瞬慌てるが、運転があるので前を向きながら「大丈夫!?」と声をかけた。馬瀬が羽織っているぶかぶかのパーカーが左肩からずり落ちる。肩に戻して、正面のジッパーを上げた。
「大丈夫……」
「よかった。あ、遠い場所だった件、ごめん。俺も乗ってナビ見るまで、こんな遠いとは思わなくて」
「……ちっとは薬の開発以外の場面で頭使ってあげなさいよ」
頬杖をついて睨みつける。
「ひどいなあ」
「で?」
「ん?」
「今から行く場所にはどんな人がいるの」
馬瀬は純粋に気になっていた。
「どんな、っつっても普通の少年だよ。下駄履いてる」
「へえ、そう」
「電話で助けてって言われてさ。詳しい話は聞いてないけど大変なことがあったんだよ」
そんな具体的でない助けで車を出すとは、と馬瀬は心の中で呆れていた。だが藤竹の隣にいる人間としていちいち文句を言っていたらキリがない、そんな緩いようで固いような覚悟があった。
「……まあ、これ以上言ったって何にもならないし諦めるわ。私を巻き込んだことはまだ許してないけど」
そう云い、ふと自分のズボンのポケットに手を入れてみる。すると左のポケットからスマホが出てきた。馬瀬はこの先四十分の退屈を紛らわせると思い、静かに喜ぶ。 四桁の番号を入力しロックを解除した。通知を見ると、母からのメッセージが大量に入っていてぎょっとした。
<そろそろ帰ってきたら>
<もう三十分くらい経つけど>
<千寿子?>
母からはいつも「ちず」と呼ばれている。本名で呼ばれた理由はおそらく怒っているか心配しているかのどちらかだ。そっと通知欄を閉じて見ないことにする。
最近よくやっているパズルゲームアプリを開き、プレイボタンを押す。「酔わない?」と藤竹の声が聞こえたが無視をした。私は車に酔いやすいが、今は車酔いよりも気を紛らわすことが優先だった。
(終わり)
-登場人物-
●馬瀬千寿子
読み:ませ ちずこ
主人公「私」。女性。下の名前は今回最後の最後に判明。年齢不明。話しぶりからして藤竹と歳が近いのだろうか。二話の冒頭からして少し下向きな性格だと読み取れる。
藤竹と友人の仲。家が近いのでよく藤竹の家に行ったり、一緒に買い物に行ったりする。藤竹のことを「変人」「アホ」と言うことが多い。だがなんだかんだで一緒にいる。
太陽が出ている時間のことを夜と呼ぶ。
●藤竹骨
読み:ふじたけ こつ
謎が多い男性。推定二十代。
摩訶不思議株式会社営業課に所属している(が幽霊社員の)男。それとは別に星屋という看板を掲げ、自身で開発した不思議な薬を夜な夜な売っている売人。
馬瀬なら何か知っていそう。少々天然というより馬鹿。だが薬を開発するほどの頭脳は持ち合わせている様子。頭の良さと馬鹿って共存するんだということを教えてくれるキャタクター。
昔、昼夜の概念が今とは逆だったと言い、自身も太陽が出ている昼に起きて月が浮かぶ夜に寝る。この説はこの世界ではおかしい、そんな藤竹を周りは変人と呼ぶ。
●熊川緑郎
読み:くまがわ ろくろう
一話で主人公「僕」だった「下駄少年」。中学二年生(成長期)。今回名前が判明。わりと冷静で達観しているけど、家庭環境もあって少し精神的に不安定。サンダル感覚で下駄を履く。
一人だけ友達がいる。一話の時から地の文で話には出ていた。その友人はオカルト好きで「昔は昼と夜が逆だったんだよ」と藤竹のようなことを言う、そこらをフラフラしているような人間らしい(一話参照)。
父親が嫌い。
馬瀬と同じく、太陽が出ている時間のことを夜と呼ぶ。
-あとがき-
読んでくださりありがとうございました。とても嬉しいです。拙い文章ではありましたが楽しんでいただけていたら幸いです。
前回のあとがきで、次の話の投稿まで時間が空くかもしれないと言っておきながら、こん星の話を書くのが楽しくなっちゃって三日くらいで書き上げました。
こん星ってなんかこんぶみたいだよね(脱線)。他にいい略し方ないものか。夜星?夜ひら?どれもしっくり来ない(笑)。とりあえずこん星のままで。
今気がついた偶然ですが、一話二話今回三話と全て背景写真に後ろ姿の女性がうつっていますね。馬瀬ってことにしときます。
このあとがきの所はコピペなしで毎回書いてます(登場人物欄はコピペするけど毎回情報が加わるため加筆が多い)。疲れます。本編書いてる時よりは頭使わないけれど。
今回、文量のわりにあまり物語の進展なくて申し訳ない。でも伏線を一個張ってる(つもり)だから許していただきたいです……。
馬瀬の下の名前と、下駄少年の名前が判明しましたね。おめでたいです。緑郎くん、ちゃんと苗字に動物入れときましたよ。
まだちゃんとは出してないけど、既に込山が不憫でちょっとジワジワ来てます。書いたの自分なのに笑けてる。家に訪ねたら藤竹寝てるし、同期なのに藤竹には覚えられてないし。
ちなみにこの小説は小説アプリで書いてるのですが、書いてるうちに所々守らないとむちゃくちゃになるような設定増えてきたので、人物や藤竹の薬や世界観などの設定をまとめたり、
一話二話ゼロ話(皿が割れる)をコピペして執筆中いつでも見返して辻褄合わせができるようにするのに時間かかりました。登場人物のプロフィールページ作りました。裏設定とかもあります。
でもそのおかげで一話に一瞬出てきた緑郎の友達の存在を忘れずにすみました。危ない、存在消えるとこだった。藤竹と同じ思想持ってるキャラを忘れるとは。ほんと危なかった。
あと実は緑郎が一話で下駄を履いてたことも最初(二話の冒頭執筆中の時)忘れてました。ざっと見返してからそれに気づいて、藤竹に「下駄少年」って呼ばせました。どこまでも危ない。まだ一話で見逃した設定ないか不安。作者なのに。
最後に。もし宜しければですが、この小説の感想をお願いいたします。感想が来ると作者の私が飛んで喜びます。次回四話ですが、近いうちに書くか、もしくは今回の執筆で燃え尽きて投稿が先になるかもしれませんがお待ちください。ここまで読んでくださりありがとうございました。