「お前…男、知ってんの?」
「…知ってます」
「ガーキ、うそつけ」
「…馬鹿にしないで」
「へぇ……じゃあ、今夜俺とどうだ?」
首筋を撫でる冷たい指先。
重低音のような声に
カーテンの隙間から
漏れるネオンの光をうつす瞳
不敵に笑む唇が近付く……
どうしよう。
世名から目が離せない。
死にかけの心臓が
壊れそうだった。
【Looking for Myself分岐にゃん編~生まれ変わったなら~第三話】
やがて世名は吸い込まれるように
一軒のアパートへと足を踏み入れた。
ジジ、ジジジッと
古くなった蛍光灯が点滅する。
換気口から伸びる黒ずみ。
外壁にはいくつも
小さなひびが入っている。
備え付けの郵便ポストには
鍵なんてついていない。
これじゃ個人情報も
何も無いだろうに。
世名は私を気遣うことも無く
4階まで1段飛ばしで
階段を登っていく。
「ちょ、早…っ」
私が泣き言を言えば
「死ぬ気だったんだろ、死んだ気でついてこい」
と、揚げ足をとられた。
そう言われると悔しくて
体の底から力が湧いてくる気がした。
きぃ、と
重たい鉄の扉を開く。
彼は靴を乱雑に脱ぎ捨て
サイドボードに鍵を置いた。
「靴なんか履きっぱなしでもいいんだけどな」
諦めたような笑みをもらして
彼は部屋の奥へと入っていく。
形だけ靴を揃えると
私も彼に続いた。
何もないフローリングの部屋。
その一角に新聞がうずたかく
積み上げられている景色は異様だった。
背の低いガラステーブルの上には
注射器、バケツに、チューブ、カミソリ…
物騒なものばかり
ごろごろと転がっている。
その至るところには
血液が付着していた。
「黒須…さん」
「世名でいいよ」
「世名…さん」
「世名」
年上の男性を
呼び捨てで呼ぶなんて
生まれて初めての経験だ。
だけど、要求された通り
呼ばなければずっと
このやりとりが続くだろう。
「……世名」
「何?」
「本気で…死にたいの?」
「……生きる理由もねえからな」
「…どうして?」
「うるせぇな…なんだよ、さっきまで死のうとしてた奴が詮索かよ」
世名は自嘲に近い笑みを漏らして
「拭けよ」
話をすり替えるように
おろしたてのタオルを放る。
なんとか掴みとると、
世名は大袈裟に手を叩いてみせた。
そんな彼に促され、私は
物騒なテーブルの側に座った。
やがて世名は
コーヒーカップを持って
私の隣へと腰をおろす。
「コーヒーでいいか」
「……はい」
「砂糖とかミルクとか気の利いたもんねえけど」
「ブラックで…大丈夫です」
「へえ、大人じゃん」
その時…
はじめて世名の柔らかい微笑みを見た。
褒められたわけでもないだろうに…
私の心臓は高鳴る。
馬鹿みたい。
私は世名から
手渡された珈琲に口をつけた。
「う、濃っ」
苦くて重いその珈琲を
世名は一気に飲み干して
「そうか?やっぱガキだな」
そう飄々と笑った。
「ガキじゃなくても…こんなの呑んでたら体壊すと思います…」
白いコーヒーカップを回すと
コールタールの様に黒い跡がついた。
こんなもの、いくら死にたくったって
日常的に飲みたくはない。
そんな事を思う私を世名は
鼻で笑った。
「珈琲粉、致死量は入れてねえよ」
「致死量って……やったことあるんですか」
「…中毒で終わったけどな」
机の上に転がる、
恐らく自殺用の器具。
そこに付着する世名の血液を見ていると
やけに胸がざわついた。
まるで、自分を見ているようだった。
「世名……あのね」
「ん?」
「私の部屋にも、あります…よ」
「なあにが」
世名は後ろのソファに肘をつき
更に頬杖をつくと
薄ら笑いながら私の話に
耳を傾けた。
「……死にたくて」
「おう」
「集めたカッターとかロープ…あとね少し前にネッ友と煉炭で自殺未遂して……」
「へぇ」
興味なさげに聞くのかと思いきや
世名は私の目をじっと見つめて
話に聴き入る。
世名のその姿勢に、驚いた。
「…世名は」
「あ?」
「やめろとか、言わないの?」
「言って欲しいのか?」
思わず尋ねた言葉に
きょとんとした世名の声がかかると
私は我に返り首を横に振る。
「違うの、ただ……半年以上前になるけどネットで死にたいって呟いた時に、沢山沢山励ましてもらったんです」
「へぇ」
「生きて、私がいるよ、死なないで、悲しいよって、全く知らない人からまでそんな激励を受けた」
「おう」
低い声。
息を継ぐ度に返される相槌に
ふと涙が、込み上げた。
「私は……否定されたかったわけじゃないんです」
一度、堰を切った想いは
滔々と溢れ流れる。
「生きてとか、死ぬなとかそんなんじゃなくて、私を、私っていう人間を、死にたいと思ってる私を…」
認めてほしかっただけ。
最後はもう、言葉にならなかった。
ありがとう、
本当にありがとう
わかった
死なないよ
少し元気出たよ
物分りのいい振りをしたけれど
心の中は、納得なんてしていなかった。
死にたくなって
吐き出して
励まされて思い留まって
また死にたくなって
まるで綱渡り。
世名が低い声を響かせて
短い相槌を打つことに
こんなにも心が震えた。
私がずっと欲していたのは、
世名のような理解者かもしれない。
世名は泣きじゃくる私を
片腕で彼の胸元へ引き寄せた。
抱き締めるわけでもなく
身動きひとつなく
貸された胸…。
とっ、とっ、とっ、
ゆっくりと打たれる規則的な心音。
「世名……生きてるね」
「……あ?」
「心臓の音……落ち着く」
「あー、そうかよ、よかったな」
「……うん」
世名がどうして
死にたいのかなんて
わからない。
わかるわけがない。
でも、この音は
何故だかとても愛しく聴こえて
守りたい、なんて思えた。
変なの。
私、泣きながら微笑んでる…。
どのくらいそうして
泣かせてもらっていたのだろう。
ふいに世名が私の耳元に囁いた。
「お前…男、知ってんの?」
「男…?」
「経験あんのかってこと」
「なっ…」
唐突過ぎる問いかけに
身体が震えた。
「あ…し、知ってる、知ってます」
何故だか……
こんな所でこどもと
思われたくなかった私は
赤面しながら声を張り上げた。
すると、世名は含み笑って
静かに告げた。
「ガーキ、嘘つけ」
「ば、馬鹿にしないで」
もう後には引けない。
私は心地いい世名の胸に
ぴったりと寄せていた顔を離し
彼を見つめた。
「へぇ…」
鋭い彼の眼光が私を射抜く。
上手く、息が出来ない。
さっき、川の中で
死にかけた時より
苦しいかも、しれない。
「じゃあ、今夜俺とどうだ?」
首筋を撫でる冷たい指先。
重低音のような声に
カーテンの隙間から
漏れるネオンの光をうつす瞳
不敵に笑む唇が近付く……
どうしよう。
世名から目が離せない。
死にかけの心臓が
壊れそうだった。
「な、なに……?」
苦し紛れに絞り出した言葉に
世名はやがて
こう告げたのだった。