同じ夕焼けを・2025-01-11
迷霧の連弾
迷霧の連弾
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それならば
キミの望みどおりに
キミのことをボクが忘れる
キミとのボクの間に
友情が存在するのなら
友だちとして
もうキミが辛い想いを
しなくても良いように
ボクは行動すべきだ
けれども友情とは違う感情が
ボクのこころにあった
そんなことを
ひとりでブツブツと
呟いていたら
保健の先生は
キミのことが好きだから
恋をしているから
忘れるなんてイヤだよね
そう言ってボクのこころを
弾けさせた
ボクは赤い顔で
そんなことはありません
そう言い返したものの
自分の気持ちに抗えず
ウソですとすぐに撤回した
迷霧の連弾
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立ち尽くすボクの視界に
まだ秋を終わらせたくない
赤トンボが舞い込んで
自分が大地に
立っていること
そしてキミにボクのこころを
伝えるために
ここにいることを
思い出させてくれた
ボクはゆっくりと
顔を水平に戻して
キミと正対した
キミは真っ直ぐに
ボクを見つめている
ボクはウロウロする目で
自信なさげに
キミを見ていてる
ふたりの間を
取り持とうとしているのか
引き離そうとしているのか
赤トンボが割り入って
一瞬空中で静止して
空の彼方へと
飛び去っていった
キミはその赤トンボを
愛おしそうに
目で追っている
そしてキミの方から
話し始めた
迷霧の連弾
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キミはボクの方を向いた
何か言おうとしていた
キミが言葉を
発するより先に
ボクは場所を変えたい
キミに問いかけた
キミはどうしてと
ボクに尋ねた
どういう結果になっても
後悔したくないから
この荒涼とした教室より
生き物たちが
命の輝きを放っている
そんな場所で
ボクの気持ちを伝えたい
自分のこころを
青空のように
正直に伝えた
少し沈黙が漂い
ふたりは動けなくなった
いたたまれなくなったボクは
学校の裏山の頂上で
話したいんだ
叫びにも似た強めの口調で
キミに告げた
迷霧の連弾
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翌日は前日のように
穏やかな空ではなかった
秋風が来るべき冬の
手を引いているように
疾走していた
白銀色の雲が
空を滑るように流れて
雲の隙間から光の筋が
スポットライトのように
大地に突き刺さっていた
教室に入ると
もう合唱コンクールは
遥か遠い過去の出来事のように
みんなの意識の奥底に
しまい込まれていた
目前に迫った期末テスト
その先に待ち受ける
高校受験が
みんなのこころを
羽交い締めにしているようだ
そんな風合いをよそに
今日の日射しのように
隙間から覗き込むように
キミに眼差しを送る
キミはいつもと変わりない
もうキミのこころは
すでに決まっていて
秋の大空のように
動かすことは
できないようだった
迷霧の連弾
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キミを忘れることは
キミを想い続けるよりも
簡単なことだった
忘れてしまう哀しみは
いつか時間とともに
薄れてゆく
でも想い続けることは
キミのことをこころの表面に
貼り付けておく必要がある
キミを想うたびに
キミのこころを知りたくて
でも知ることができなくて
苦しむことになる
キミは友だちから
離れることができなくて
苦しんだ経験を持つ
だからボクには
そんな想いをさせたくない
キミの思いやりが
ボクを冷たく
突き放している
それでもボクが
それをできないのは
キミがボクのことを
決して嫌ってはいない
もし嫌っていたら
頭を下げるほど
ボクに忘れてとは
告げることはしないはずだ
迷霧の連弾
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ワタシは卑怯者だから
アナタには許して欲しいとは
思ってはいない
許されるとも思っていない
ただアナタには
ワタシのことは
どうか忘れて欲しい
多分アナタは
科学の授業が終わって
ワタシがもうアナタに
無関心になったことに
傷ついているはず
合唱コンクールで
あの素晴らしい愛をもう一度
その曲に出会ったことで
ワタシはアナタに
あの曲の主人公のように
淋しい想いをさせてしまった
ワタシとこころ通うこと
アナタにはもう叶わない
それはアナタのせいじゃない
ワタシが勝手にこころ通わせ
突き放しただけだから
だからもうワタシのことは
忘れて欲しい
そう言ってキミはまた
深々と頭を下げた
迷霧の連弾
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保健の先生の考えに
共感したくない自分がいた
成長は生きる上で
大切なことなのに
成長によって
幼い頃から続いていた友情
それが呆気なく崩れ去る
その一方で
成長が未熟だから
その現実を受け止められない
何も考えずに
漫然と中学校生活を
過ごしてきたボクには
無縁のような現実
いずれにしても
現実にキミが哀しんでいる
その哀しみから
抜け出すことができず
哀しみに浸かっていることが
正常であることに
疑いを持たないように
キミは自分を戒めている
そんなキミを救いたい
そう思うのは当然と考えていた
でも現実には
ボクたちは中学校を卒業したら
別々の進路を歩むだろう
キミに寄り添えるのは
もう数ヶ月しかない
迷霧の連弾
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次第にボクは
こころも体も落ち着いた
保健の先生は
優勝おめでとう
ボクたちの
合唱コンクールの成績を
讃えてくれた
あの素晴らしい愛をもう一度
とても良かったよ
先生はそう言ってくれた
その曲のお陰で
キミの苦しみを
知ることができたんだ
勢いそのままに先生に言った
事情を知らない先生は
とりあえず順を追って
話してくれるかな
はやるボクを
落ち着けるように
優しく言った
ボクは先ほどの
キミとの出来事を話して
キミが一年生の時に
保健室に来た理由と
先日合唱コンクールの練習中
保健室に来た理由が
関連していることを伝えた
迷霧の連弾
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それなりにという形容が
気になったので
やはり煮え切らないでいたら
保健の先生は
ここに相談に来たからには
先生の言うことに
従いなさい
とうとう命令を下した
ボクはため息をひとつ吐き
分かりましたと
しぶしぶ頷いた
それでヨシと先生は
ボクの肩を叩いて激励した
でも緊張するなあ
素直に弱音を吐いて
お守りでもあればなあと
こころを落ち着かせるように
ひとり言を呟いたら
先生はちょっと待って
そう言って
ルーズリーフを用意して
何かを書き始めた
ボクは緊張を解くための
呼吸法か何かを
書いているものと
先生がペンを走らせる様子を
黙って見守っていた
迷霧の連弾
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カサカサと
落ち葉を踏みしめる音が
山の中にふたつ響き
鳥たちが慌てて
木々の枝から
飛び立っていた
足音のひとつは
危なっかしいほど
ぎこちない音を立てていた
キミの前を歩くボクは
自ら山頂に行くことを
望んでいたのに
緊張で足が上手く運ばない
キミの足音を聞く限り
平常心を保っているようだ
もうキミのこころは
昨日から揺いではいない
そう思わせるほどに
キミはしっかりとした
足音を響かせていた
キミの表情を確かめたくて
振り向きたかったけど
それをすると
キミは踵を返して
逃げ出してしまいそうで
ボクのこころは怯えていた
迷霧の連弾
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足元に絡む
落ち葉を置き去りにして
ボクたちは
山頂の広場に着いた
教室ほどの広さのそこは
こんもりと木々に囲まれて
景色を見下ろすことは
できなかった
見えるのは空だけ
雲が逃げ去った空は
ただ青いだけで
仰向いて空だけを
見つめていたら
青色の世界しか見えず
自分の居場所が
分からなくなって
空の中で迷子になっている
そんな錯覚に陥って
この中学校生活で
迷子になってしまったのは
友情に置き去りにされた
キミなのだろうか
何も考えずに過ごして
卒業後の自分の姿が
想像出来ないでいる
ボクなのだろうか
キミが傍にいることを
忘れてしまって
それを考えずには
いられなかった
迷霧の連弾
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そんな都合良く
事が運ぶとは思わないよ
いっそのこと先生が
キミを保健室に呼んで
ボクの代わりに
好きだと言っていたよと
伝えてくれれば良いのに
ボクはやはり消極的だった
そんなボクに
保健の先生は業を煮やして
両手を腰にあてて
前傾姿勢で顔を突き出して
この意気地なしと一喝した
キミのこころは
ありふれた慰めの言葉で
救われないんだよ
思いがけないような
幸せと思わせる言葉が
キミには必要なんだよ
たとえキミがアナタのことを
好きではなくても
自分を好いてくれる人が
いるということを知ったら
それなりに嬉しいものだよ
ひと息にまくしたてた
迷霧の連弾
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自分の意気地なしが
悔しくて仕方なかった
どんな結末になろうと
ボクのこころを
伝えようと決めた
その意気込みは
キミの優しさを前にして
消沈しそうになった
今のボクに縋れるモノは
保健の先生から授かった
お守りだけだった
あんなにこころを込めて
モミジの透かし模様が
浮かび上がる便箋を選んで
書き写したのに
書かれている内容が
混乱した頭から
弾け出されてしまった
キミに渡す前に
内容を確認したかった
でもキミの前で
それを開くことは
してはならない
だからボクは
キミに断ってから
体を反転させて
キミに背を向けた
迷霧の連弾
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風の音も加勢して
ボクのこころは
焦燥感で溢れそうだ
何か言わないと
何か答えないと
キミに先に話されて
ボクは予定が狂って
どうすれば良いか
もう何も考えられなかった
キミはボクの答えを
待つことはなく
話を続けた
ワタシとの想い出を
抱えていても
キミのこれからの人生に
何の助けにもならない
それよりも自分が
未来に向かって
階段を確かに昇れる
そのために必要なこと
それだけを追い求めて
それ以外は
踏みにじって
生きることを考える
それが人間として
正しい生き方なので
ワタシの存在は
忘れて欲しい
迷霧の連弾
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先生は改めて
その文章の大事な部分を
丁寧に説明してくれた
ボクはその部分を
何度も読み返して
この文章の登場人物を
キミとボクに置き換えたら
まるでボクたちのために
作られた曲
そんな感覚に入り込んだ
今すぐキミに渡したい
合唱コンクールの余韻で
感情が鋭敏になって
本当の自分の気持ちを
何のためらいもなく
さらけ出せる今この時に
そんな想いを馳せていたら
一番大事なことは
この紙をそのまま
渡さないことだからね
キミの手で
気の利いた紙に
こころを込めて
キミのことを想って
書き写すんだよ
当然のことだけど
鈍いボクは
そんなことさえも
気にかけていなかった