実桜・2020-03-11
東日本大震災
震災
9年前の今日
東日本大震災がありました。
私は深いところまでは分かりませんがたくさんの方々が津波や建物の破壊で犠牲になったことだけは分かります。
私の通っていた中学校は毎年、渡波中学校やその中学校がある市に支援金を送るためにアルミ缶を集めていました。
そして今日の13時04分頃に秋田県で震度4の地震があったそうです
また同じことが起こらないことを願いたいです。
明日で東日本大震災から
10年
あの日一瞬で
何十人、何百人、何千人
もの命が失われた
この日は震災から逃れることができ
生きていられることの幸せを
よく考えられる日となる
“自分の命を大切に”
東日本大震災の
犠牲になった方々の
魂が報われ
光の中にありますよう
そう願うのは当然のこと。
東日本大震災で傷ついた命が
傷ついた心が
少しでも癒されますよう
そう願うのも当然のこと。
あの震災を越えて
生きてくれてありがとう。
あの震災を越えて
見守ってくれてありがとう。
俺たちは思い出すのも辛いはずの
震災経験者の方から漏れ伝わる記憶を
拾い集め想像力を働かせて
次の世代へ継いでいかなくては。
音兎斗くん
君の経験を書けたことは
とてもとても意味のあること。
あの日の傷を見せてくれて
ありがとう。
俺は君の勇気
誇りに思います。
何も、変わらないよ。
心が楽になっていくだけだよ。
俺は君の友達になれて
とても幸せです。
3.11
今ある当たり前を当たり前と思わないこと。
この日を忘れてはならないです。
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
まだ
目に焼き付いて
離れない
光景がある
自然の恐ろしさを
刻み込まれた
あの日
この地球に
優しくしようって
心に決めたんだ
東日本大震災で、
被害を受けた方に祈りを。
3月11日。
東日本大震災からもう9年。
早い物だなぁ……
私はあの時4歳で、お父さんは東京と埼玉と福島の内の何処かにしか行かなくて、たまたまその時は福島に居て。
私はそんなに覚えてないけど、地震が来た時は、私は買い物してて。
そこの店員さんが、私を抱っこして車まで来てくれた。
それだけは鮮明に覚えてる。なんでだろ。w
店員さんが結構イケメンだったからかなw((((
綾野剛にむっちゃ似てたw
小さい頃からイケメン好きは変わらんよなぁ……w
んで、急いで車もってないおじいちゃんのとこ行ったら、おじいちゃんも飼ってたわんちゃんも居なくて。
そしたらおじいちゃん、わんちゃん抱っこして近くの避難所まで行ってたんだもん。びっくりしたなぁw
そっからはさ、結構辛い日々続いて。食べ物そんな無いから食べれなくてさ。結構辛かったなぁ……
でも、そんな中でも仲いい友達とか出来て。まぁすぐ離れちゃったけどw
んで、ちょっと過ぎたらさ、近くの岬公園って所?に嵐が来て。
そこでさ、相葉ちゃんにタッチだっけ?握手だっけ?して貰ったらしくて。覚えてないんだけどさ((((((
まぁ、辛かったけど、そんな日々も決して長くは続かなかったから。
私は何時もの生活に戻れた。
……完全にって訳じゃなかったけど。
それに、今だって苦しんでる人は沢山いる。
大切な人を失ったり、今も大切な人が生きてるかさえ分からない。そんな人もいる。
だからさ、忘れちゃいけないんだよ。
まぁ、まだ忘れはしないだろうけど。
これから何十年経っても、この事は決して忘れてはいけない。
たとえ、被災地全部が全部元通りになったりしたって、それで完全に元に戻ったって訳じゃない。
心に傷を負った人は、きっとこれからも居なくなりはしないから。
そんな人の為にも、これからの日本の為にも、忘れてはいけない。
辛かったからこそ、これから思いを受け継がなきゃならない。
それは、私達被災者の役目でもあるし、他の人たちの役目でもある。
だから私は、今これを書いている。
きっと消えないからさ。ずっと。
長々と書いたけど、私が伝えたい事をまとめると、本当に
『忘れないで』
ってことなんだよね。
多分ここまで読んでくださってる方も飽きてきちゃうと思うから、もう終わりにするけど((((
忘れないで。絶対に。
これから何十年経っても、忘れないで。
私の願いは、これだけ。
どうか、これから何十年経っても、何百年経っても、『東日本大震災』という傷が消えませんように____。
あの震災から
10年
様々な人の思いが
あったと思います
悲しい
辛い
苦しい
そんな感情の渦
助けて
もうヤダ
生きたくない
そんな願いと絶望
会いたいのに会えない
生きたいのに死と隣り合わせ
そんな生活
でもここまでの復興
これからは幸せに手を伸ばして
いきたいですね
震災で亡くなられた方々に
ご冥福をお祈りします
3.11
自分にできることを。
いつになったら平和になるかな。
古の記憶を忘れずに語り継ぐ為に
歴史を勉強させられている。
『震災は忘れた頃にやってくる』
このことわざを覚えている人って
どれだけいるのだろうか。
自然災害、人為災害。
どちらも震災だ。
震災の
〈残酷さ〉
《醜さ》
{愚かさ}
を忘れないようにするために、
私たちは
僕たちは
俺たちは
歴史を学んでいく。
猛々波が喰らわす
千の意思と万の生きし
御霊と一片の祈り
八百万掬い給えと
その裂けた命こふ声さえも
海に響く鼓膜なく
今も何処かの海で
絶えず木霊し続けるのだろう
訳
荒れ狂った津波が多くの人々の意思と命を襲う
無数の命と生きることへの渇望を神様どうか天の上から拾いあげて下さい
声を聞く耳も海は、もたない
それらは、今もどこかの海を漂っているのだろう
今日は3月11日
私達の大事な人たちが沢山居なくなった日です。
私達は、この日のことを忘れてわいけない
痛かっただろう、苦しかっただろう、生きることを諦めただろう
最期まで報われなかった人もいるだろう、このせかいに生まれてくることが出来なかった人もいるだろう、裏切られた人も、裏切った人も、皆が苦しみもがいただろう
生きててくれてありがとう
誰かの家が流されていくのを
何も出来ず、
テレビの画面を見つめるだけ
そんな記憶が
私の脳裏に焼きついています
こんな悲劇がもう
繰り返さないように…
そう、願います
あれから11年
記憶は微かだけど
東北の被害をテレビで見た時は
悲しみと辛さを感じたのを
今でも覚えてる
ご冥福をお祈りします
経験していない私には
心寄せることしか出来ないけれど
記憶が風化されないように
哀悼の意を