はじめる

#15のドラマ

読んでると、
思わず胸がギュッとしめつけられる、
そんなポエムを集めました。

全3作品・

共同小説→三谷




『15のドラマ』㊤ 1




 耳を掠める同級生達の話し声。不快に思いながら、私は一人で給食を食べる。味はしない。

 みんな楽しそう。同じ十五歳でもこんなに差があるのか、そう思う度に自分が惨めになる。

 いじめられているわけじゃない。無視されてるわけじゃない。友達がいないだけだ。


「ごちそうさまでした」


 周りに聞こえないように、言った。





「愛未(あいみ)。行くよ」

「あ……うん」


 日曜日の家。スマホに夢中で気づかなかった。姉の継美(つぐみ)や両親が、鞄などの荷物を持っていた。母の言葉でスマホを閉じて、部屋にパジャマから着替えに行く。

 〝愛未〟と自分の名前を呼ばれると、どきっとする。怒られるんじゃないか。また、〝受験生なんだから〟と分かりきったことを言われるんじゃないか、心配で心が騒がしくなる。私の名前は津島 愛未(つしま あいみ)。


 家族四人で家を出発する。車で十五分ほど行った先に、墓地がある。その中に父方の祖父のお墓があって、花を供えたりする。

 しんとした中、手を合わせる。

 ざっ、ざっ、ざっ、と靴の裏を擦る足音が聞こえた。私達と同じように墓参りをしに来た人がいるようだ。

 その足音は割と近くで止まる。目を開いて辺りを見回すと、右に二、三十代くらいの年齢の男がしゃがんでいるのが分かった。パーカーにだぼっとしたズボン。まともに着替えず来たように見える。

 男はおもむろにポケットから何かを取り出した。それを墓の前に置く。煙草の箱だ。お供え物に煙草? 聞いたことがない。珍しい。

 父がしゃがんだ状態から立ち上がる。そろそろ帰るみたいだ。

 家族で列になって歩く。私は一番後ろだ。男の後ろを通り過ぎる。


「あの」


 聞き慣れない、低い声が聞こえた。でも、声の主は一人しか居ない。


「えっ?」


 私は振り返る。そこには、男が立っていた。


「いや……すんません、なんでもない」


 男は何を言いたかったのか。笑って誤魔化していた。

 もやもやが残ったまま、また前を向いて歩く。


「知り合い?」


 姉に聞かれる。知り合いなわけない。初対面だ。


「見たことある気がするかな」


 小さな嘘をついた。もし私が〝会ったことない〟と言えば、あの男が軽い不審者扱いをされてしまう。


「ふーん。じゃあ会ったことあるんじゃない」

「そうなのかもね」





 周りの生徒は友達と帰っていく中、一人で校門を抜ける。私も「今日遊べる?」なんて言ってみたい。ああ、私は羨ましがるばかりだ。


 足の感覚が麻痺しかけている。足を止めると痛みが走ることを知っている。だから歩き続ける。隣に誰か一人でも居れば、マシだったかもしれない。

 私は毎日、約三十分かけて登下校している。それなのに学校で得られるものは知識だけ。一人でぼうっとしているのはつまらない。しかも勉強の成績だって並。つまらない。

 夕日が私の目を刺すので俯いて歩くしかない。首が痛い。

 唯一、学校帰りに楽しみなことがある。寄り道だ。毎日ルートを変える。最近見つけたばかりのルートを今日は通ろうと思う。河川敷の近くを通る道だ。誰もいないし、景色がいい。

 歩くスピードをゆっくりにして、顔を上げる。そこには、綺麗な景色が広がっていた。休憩がてら、足を止める。

 自分とは対象的なそれに、しばらく見とれていた。いや、ぼうっとしていただけなのかもしれない。暗くなり始める前に、帰らなければ。


「はあ」


 気づけば大きな溜息が肺の奥から出ていた。


「なんか悩みでもあんのかよ」


 どこかで聞いた声。


「えっ!?」


 驚いて下を向くと、河川敷に寝転がっている男がいた。完全にこちらを向いて、笑っている。祖父の墓参りの時に会った男だった。


「驚いたか」


 男はくしゃりとした笑顔を浮かべる。

 聞かれたのは溜息だけ。でも、なぜかとても恥ずかしくなった。


「あ……失礼します!!」


 自分でも驚く程の大きな声で、そう言って、私は家に向かって走った。


「ちょっ」


 男は何か言おうとしていた。それを自分の声と足音でかき消す。折角休憩を挟んだ所なのに、走り出してしまった。脇腹が少し痛い。大きく揺れるリュックサックに、体が持っていかれそうになる。


「なんで、いるの」


 息が切れる中、口に出して言う。

 再会なんて、私にとっては怖い。最初に会った時はすれ違う程度。でも二度目は一歩踏み込まれて、それから自分も汚い部分を知られる。嫌われて、突き放される。あの時みたいに。


 〝愛未ちゃんって、思ってたのと違うね〟


 立派な一軒家の前で、必死に息を整える。肩が上下に動く。肺が破けそうだ。家に着いた開放感と、家族への申し訳なさが綯い交ぜになっていく。

 いつもここで私は、平日の五日間、毎日泣く。でも今日は、なぜか込み上げるものが何も無い。

 少しの戸惑いを残したまま、重い玄関の扉を開ける。


 リュックサックを乱暴にベッドに投げた後、制服から部屋着に着替える。

 あの男は変な人だ。煙草をお供え物にするし、急に話しかけて来るし、なぜかあの河川敷にいた。

 生気の無い目、それとは対象的な笑顔。思い出して鳥肌がたつ。

 名前さえ知らない。なのに存在を知っている。

 今も、あの河川敷にいるのかどうか、気になった。理由は知らない。あの、不気味ともとれる顔が頭から離れない。

 階段を下りて、リビングを通って、玄関でサンダルを履く。


「愛未? どこ行くの?」


 後ろから母の声がする。


「そこら辺、散歩してくるよ」


 振り返らずに、顔を見せないように、言う。


「こんな時間に?」

「すぐ帰るから」


 母の言葉に被せるように言う。その続きを聞きたくなかった。そのままの勢いで、外に出る。お母さんの手が、私の腕に触れた気がする。その場所がじんじんと痛い。

 空はすっかり暗くなっていた。まだ夕焼けが残っていた。酸素が一番薄い時間。

 日が沈む前に河川敷に行って、すぐ帰ろう。勢いで出てきてしまった。

 私は走った。そろそろ河川敷に着く。さっき逃げた時とは逆の状況だ。部屋着だから動きづらい。靴下も履いていない状態で靴。ぶかぶかだ。

 足のスピードを遅くする。あの男を見つけるためだ。


「どこ……」

「こーこ」


 私が呟いた独り言。それに返事が帰ってきた。低く響く音が、空気に触れる。


「びっくりしたよ。突然逃げ出すんだもん。あれ、服代わってんじゃん」


 男は寝転がった体勢から、起き上がってこちらを見る。眉を上げて、くしゃりと笑った。こういう笑い方の人らしい。


「あ、えっと、す、すみま」


 とりあえず謝ろうと、焦って出た言葉。私が挙動不審みたいな人になった。家族や学校の先生以外の人と喋るのが久しぶりすぎたみたいだ。


「なんで謝るの」


 男は私の言葉を遮って、また笑った。でも笑い方は違った。優しく、穏やかな顔をしていた。


「隣来る? 臭い、すると思うけど」


 男が、手におさまるくらいの箱を出して振る。それは、お墓に置いていたお供え物と同じもののようだ。


「えっ? ああ、煙草……大丈夫です。父も煙草を吸うので」


 私は男の右隣に、人一人分の間隔を空けて座った。男の大きな手に乗せられた煙草の箱を見つめる。それに気づいたのか、男の方から口を開く。


「ハイライト」

「なんのことですか?」

「銘柄」

「ああ」


 聞いたことがない煙草の銘柄だ。どこで買っているのだろう。


「意外とどこにでも売ってるぞ。よく見ると隅っこにさ」


 私の心の内を読まれたかと思った。男は「期待外れでごめん」とでも言うかのように、自嘲気味な顔をした。

 男が煙草の箱を開けて一本取り出し、ライターで火をつけた。赤い点が心地いい。空はすっかり暗くなっているので、ちょっとした明かりみたいだ。男の口から煙が出て、上がっていく。こちらまで臭いが来そうだ。


「それ美味しいんですか」


 私のちょっとした皮肉だった。それに男は笑い混じりでこう言った。


「ん? 吸ってみるか? なーんて」

「いただきます」


 本人は冗談のつもりだったのだろうが、私は興味が湧き、手を差し出した。


「え」


 私の手のひらを、驚いた顔でじっと見つめる男。自分から言ったくせに。


「まじ?」


 私の顔をじっと見る。


「はい。吸ってみたいので」


 吸ってみたいのは本心だ。私は顔色ひとつ変えずに、手を差し出し続ける。


「いや、あんた未成年だろ……?」


 「嘘だよな?」という言葉でも続きそうだ。


「はい。十五歳です。吸ってみたいのでください」

「中学生かよ……高校生だと思ってたわ……いや、高校生でも駄目だけど」

「駄目ですか」


 男は自分のうなじをぽりぽりと掻く。しばらく俯いた後、こちらを向いた。


「……そんなにか」

「そんなにです」

「……一本、吸ってみるか」


 男は慣れた手つきで片手で煙草の箱を開けた。


「ありがとうございます」


 男から一本、受け取る。スポンジみたいな感触だ。「ん」と、ライターで火をつけてもらう。

 右手の親指、人差し指、中指で持った。恐る恐る口を近づけて、吸った。


「がはっ!」


 肺の奥から咳が出る。抑えようと思っても次から次へと出る。ぎゅっと煙草をにぎりしめた。


「そうなるわな」


 男は笑ってそんな私を見ていた。でもただ見ているだけじゃなく、ぽんぽん、と私の背中を優しく叩く。


「いや、あの、大丈夫ですから……ごほっ」


 謎の強がりで男の手をはらう。


「これで懲りたろ。もう真っ暗だ。治まったら家に帰れよ」


  男の手に、くしゃくしゃになった煙草を置いて、立ち上がった。そういえば結構な時間ここにいる。男の顔さえ見えない程に辺りは暗い。


「はい……。あの、名前とか、年齢聞いてもいいですか」

「ん?」

「気になって」

「アサカワ。三十。あんたは?」


 苗字だけだが、聞けてよかった。


「もっと若いかと。あ、私は愛未です。恋愛の愛に未完成の未です。中学三年生の十五歳です。それでは、ありがとうございました」

「俺はフリーターだし時間とか関係ねえから、いつもここにいる。暇な時は来いよ」

「……はい」


 嬉しかった。多分、声にもその気持ちが出ていたと思う。

 アサカワに背中を向け、歩き出す。アスファルトに足が擦れる音と、消えかけた煙草に再度火をつける音だけが、お互いの無事……と言ったら変だが、それが確認できた。

 もう十八時過ぎかもしれない。父や母、姉は私を心配しているだろうか。どちらにせよ走っても同じこと。


「こほっ」


 さっきの煙草がまだ肺に残っている。咳は出るが、後悔はしていない。

 新しい出会いだ。相手は丁度私の二倍生きているフリーターの男。しかも煙草を吸わせてもらった。随分と特殊な知り合いができた。

 私はのんびり歩く。夜と言うにはまだ明るい、夕闇と夜の狭間の空気を感じながら。


 玄関の前についた。息が苦しい。学校帰りの時みたいだ。

 怒られたらどうしよう。学校に連絡されたり、問い詰められたら? なんて言い訳する? 未成年が煙草を吸うなんて、本当は駄目なことだ。それに、アサカワに迷惑をかけたくない。


「愛未!」


 後ろから声が聞こえた。恐る恐る振り返ると、スーツ姿の父が肩を揺らして立っていた。走ったらしい。

 多分、私が出ている間に父は仕事から帰ってきて、母から事情を聞き、部屋着に着替えないまま私を探して飛び出したのだろう。


「お父さん……」

「まあ、とりあえず中に入れ。寒いだろう。お母さんが心配してるぞ」

「……うん」


 私が学校に行きたくないのも知らずに、なにが〝心配〟だ。

 父が玄関を開けて、入るよう諭してくる。靴を脱いで家に上がり、キッチンで手を洗う。


「愛未!!」


 お母さんがすぐそこの、夕御飯が並べられたテーブルに突っ伏していた。私に気づき、椅子から立ち上がる。


「どこに言ってたの? ほら、ここに座って! 答えてもらうからね」


 これだ。私は母が嫌いで仕方がない。母は椅子を引いて、背もたれをぱんぱんと叩く。


「今はやめておけ」


 父はいつも庇ってくれる。


「まだこの子は中学生。こんな暗い時間に、危ないでしょ?」

「今は休ませておいてだな」


 母とは対照的に、父は冷静な顔をして対応する。でもその奥には、複雑な感情があると思う。


「この子が心配じゃないの?」

「そういうわけでは……」

「じゃあ話を聞くべきでしょ!」


 父が声を抑えた瞬間に、母が上に立ったようにして言う。


「いい加減にしろ! 愛未もいるんだぞ!」

「なんだって!?」

「もうやめてよ!!」


 自分でもびっくりするほど、大きな声で叫んだ。私の存在を忘れたかのように口喧嘩をする二人を見て、耐えられなかった。二人は驚いた顔をして黙って私を見る。感情に任せて続いて言葉を吐く。


「それこそ私がいるのに、目の前で夫婦喧嘩って!!  お姉ちゃんだって聞いてるよ、きっと!! はっきり言っておくけど、私お母さんのこと嫌いだからね!!」


 後ろにある廊下を走って、階段を駆け上がる。私に向けられた視線を知りたくなかった。


「派手にやったね」


 そのすぐ後に苦笑が聞こえた。


「お姉ちゃん……」


 壁にもたれかかった姉がこちらに歩いてくる。私の肩をぽんぽんと叩き、今度は温かい笑みを浮かべた。


「いいじゃん。すっきりしたよ」


 どういう意味だろう。


「愛未、ご飯は?」

「食べない」

「うん、分かった。言っとく」

「ありがとう」


 今までで一番姉らしい言動かもしれない。こうやって頼ったことは、数回程度だった。

 私は自分の部屋に入って、スマホと充電器を離す。

 〝あ、そういえばアサカワさんってLINEやってるのかな〟

 そんな考えが頭をよぎった。LINEなんて家族とのやり取り以外に滅多に開かない。なのに、アサカワ整った顔が思い浮かんだ。

 開いたって、招待されただけで会話なんてしていない通知オフのクラスLINEが一番上に来ているだけだ。九百九十九以上もの通知が溜まる。

 初めての煙草が成人してからじゃないなんて、不良みたいだ。なんだかそれが嬉しかった。周囲の視線を意識して、必死だった私にとって、堪らなく。

 〝暇な時は来いよ〟

 どこにも居場所がない、そう思っていた。でも、見つけた。河川敷で二人。それだけだけれど。

 アサカワとハイライトをまた吸いたい。





 甲高いデジタル目覚まし時計の音はきんきんとしていて、頭痛がした。手探りでその音を止めるボタンを押す。目眩がする。

 片目を開くと、今は六時三十分だということが分かった。起きて準備をしなければ、学校に遅れてしまう。


「くそっ」


 思わずそんな言葉が漏れる。再び布団の中に入るが、体調の悪さに目が覚めてしまった。

 なんで学校に行かなければいけないのか。義務教育だからなのか。今年、私は受験生だからか。そんな考えがぐちゃぐちゃになって、物に当たりたくなる。

 自分の体温で温まったシーツに足を滑らせ、布団から這い出る。冷たい床が、土踏まずに密着した。

 廊下は更に冷えていて、上着を着ていこうかと思った。階段を降り、リビングへ行く。

 そこにはすでにワイシャツに着替えて新聞と睨めっこをしている父と、朝御飯の準備をする母、スマホを触っている姉の姿があった。

 いつもなら、母から「おはよう」という言葉が飛んでくるはずだ。でも、今日は何も無く、ただ味噌汁をかき混ぜる音しかしなかった。

 そこでやっと気づいた。昨日私は言ったんだ。お母さんのことが嫌い、って。お父さんとお母さんに心配をかけた挙句、怒鳴ったんだ。


「おはよ。愛未」


 姉が笑顔で私に言った。でもそのすぐ後に、沈黙に戻った。姉はどんな心情なのだろう。


「愛未、おはよう」

「おはよう」


 それに続いて父と母が言う。でも私の方へ顔を向けない。

 姉の隣に座る。目の前に熱々の味噌汁が置かれる。温かいのは味噌汁だけ。他は全て冷たかった。


 足の爪先を玄関の床に叩きつける。「行ってきます」なんて言える勇気はなかった。制服の着心地が悪い。

 黙って扉を開け、家を出た。

 後ろから追いかけてくる足音もなく、両親が私の存在を無視しているみたいに感じた。傷つきはしたが、涙を流すこともなく、私は無意識にあの河川敷に向かっていた。


 アスファルトに足を擦りつけながら、辺りを見回す。河川敷に着いた。少しの期待はあったものの、予想通りアサカワの姿は見つからなかった。

 急激な寂しさと、悲しさが込み上げてくる。目が熱くなる。私はアサカワに頼るつもりだったみたいだ。話を聞いてもらいたいわけじゃない、頷いて欲しいわけじゃない。ただ一緒に煙草を吸って欲しい。

 とかしたばかりの髪を掴んで、しゃがみこむ。嗚咽でもない、呻き声のようなものが自分の口から出ていた。滲む涙は雫にもならず、流れない。


「どうした」


 聞いたことのある低い声が、私を包み込んだ。


「アサカワさ……」


 アサカワは顔を上げた私の肩に手を置く。その腕には、コンビニのビニール袋がかけられていた。中身が透けている。入っているのはコンビニ弁当やサンドイッチと、恐らくハイライトだ。


「とりあえず、えー……吸う?」


 アサカワは持っているビニール袋を掲げる。当たり前かのようにそう言われたので、思わず笑ってしまう。最初は私が煙草を吸うのを躊躇っていたくせに。


「ははっ、なんですかそれ」

「少し元気になったか」


 そう言って私の頭をわしゃわしゃと撫でる。彼なりの励ましだったらしい。


「ちょっとは、元気になりました」

「それはよかった。これから登校だろ? 大丈夫か?」

「あ、いや……ちょっと」


 そうだった。アサカワは事情を知らない。なかなか口を開こうとしない私を少し待つ。


「とりあえず歩こうぜ。話聞いてやるから。な?」


 背中を優しくさすられる。それだけで涙が溢れそうだ。私は立ち上がって、アサカワの隣を歩いた。通学路へ行く。でも不思議と嫌ではなかった。

 何があったか私に問わず、アサカワは黙って、いつの間にかコンビニで買ったサンドイッチを美味しそうに頬張っていた。毎日こんな食事を食べているのだろうか。心配になってくる。


「親と気まずくて」

「……」


 アサカワはこちらを向かないで、咀嚼を続ける。

 少しの沈黙の後、勇気を振り絞って再び口を開く。両親との間にあったこと、学校のことを全て話した。


「んー」


 アサカワが腕を組んで唸る。髭のない顎をさすった。


「まあ、俺はお前じゃないから分からないけど、辛かったんだな」

「いえ。私より辛い人は沢山います」


 ほとんど本心だった。私なんかに比べれば、他の人達は沢山苦労している。


「辛いに『私より』とか関係ない。辛いと思ったら、それだけ心が傷ついて、大変な思いをしてきたってことだろ。ここまで耐えてきたお前は偉い」


 アサカワは私の言ったことを肯定せず、そう言った。温かい笑み顔で、私を見る。すごく嬉しかった。「偉い」その一言が心臓に染み込んでくるのが分かる。また目が熱くなってきた。


「本当は我慢してたんだろう。頑張ったな」


 私は足を止めずに、生温かい涙を流した。どうしても出る嗚咽が気持ち悪かった。朝の日差しが優しく私達を刺す。熱くさえ感じる。


 校門がいつもより苦しく感じなかった。隣にはまだアサカワがいた。アサカワは顔立ちがそれなりにいいので、そこを通っていく生徒から、ちらちらと見られている。


「人気ですね」

「まあな」

「否定するところですよ」

「やべ」


 アサカワは含み笑いをした後、着ているパーカーのフードを脱いだ。ぼさぼさの寝癖が目立つ。

 校門の前に立った。不安だった。

 アサカワの前に進んで、小さく呟く。


「行ってきます」
















続き→㊤ 2

筧 沙織@小説「15のドラマ」続投稿・山田 #小説・2021-12-09
15のドラマ
小説/from:沙織
小説
独り言

あなたの

好きなところを

10呟く前に

わたしは鳥になるんだ

笑って二度と戻らない

旅に出るよ

空が待ちきれないようでいて

悲しいほどに詰まって

言った

「声を届けてほしい」だって

わたしはこう返す

いつだったか

あなたの四肢が

ほろほろと

崩れてしまいそうな時に

吐いた煙で返す

「分かっているよ」







死ねないと言った

辛そうに揺れる

匂いがやけに苦かった

シンクで誰もいない早朝

買った携帯灰皿を置いて

1人で肺に溜め込む

置いてけぼりにしたあなたを

にじんだ瞳の奥に憂う

この行為だって

会いたいわけじゃない

そのために

やっているんじゃない

そんなふうに簡単に

感情に任せていいことでは

決してないのだ

それでいてはいけない


消費行為

換気扇をがたりと

回し始めた手で

そのまま

コンロの下にからだを

引きずらせて座り込む

ただ丸くなる

タバコは消して

わたしは子供に戻る

空が厚い雲の

浮かんだハレだった

苦しい夏を思い出した

4年がたった

腰や胸あたりが

やけにふっくらと

肉付き始めて

わたしは戻ることができない

もう薄い15才を

やり直すことが出来なくなった

引き返せない

何をしているのか

似た感情を思うなら

恋なのか

もっと重い愛なのか

わたしは少し

慣れた手つきで

ハイライトを

手にするようになって

河川敷には行かなくなる

夢からさめて

これは夢でなく

現実の過信であったと気付く

ふたりの湿った関係は

そんなに特別でもなかった

分かるには悲しかった

受け止めるにはまだ幼い







ひとり暮らしを始めて

3回季節は変わった

忙しく着替える

窓の向こうの木々も

見慣れてしまった

時はおぞましい

塗りたてのシンナーの

匂いのする壁は

哀愁の住みつく

嫌われた壁になった

うなじにしなりと噛みつく

ショートヘアを

ワックスで整える

手のひらの体温で溶けた

服を着替える

プリーツスカートは

もう履いていない






アパートのドアの

重量を感じて

今日も世界のパーツになる

誰に何を言われようとも

なんとなくで

動いてみたい日だった

あんなに待っていたのを

ごまかすように

足の踏み出すスピードに

気持ちは追いついてくる

息が擦れて

汗ばんだ額に

涙がこぼれる


キラキラしていたんだなあ

見ないふりでも

世界はうごいていた

あなたもそうだった

息を整えて

斜面をなぞる

くたびれた襟のシャツ

黄ばんだその服を

この目にしたことが

わたしはある


「なんて言えばいい」

「なんだっていい」

もうすぐ追いついてしまう

「まだ幼いけれど」

時間は確かに流れたの

「あまりに突然」

ふりむかないでいて


カッコウが逃げた

空に届きそうなほどに

見えた

曇った色

変わらない

ここまでがわたし

「いまからがふたり」

そうと言って

あのころみたいに

味方でいて

山田・10時間前
小説
鰆なき
15のドラマ

共同小説→三谷




『15のドラマ』㊤ 2




「ああ、行ってらっしゃい」


 小さな背中からは、返事は来なかった。手も振らない。でも、届いてはいると思う。

 俺の名前は浅川慧太(あさかわ けいた)。三十歳のフリーターだ。最近、不思議な中学生と出会った。愛未という名前らしい。

 墓参りをしていると、同じ場にいた。自分でも何故かは知らないが、愛未に声をかけた。

 いつも通っている河川敷で偶然再会し、俺がいつも吸っている煙草〝ハイライト〟を愛未が吸いたがった。俺は躊躇ったが、結局吸うことになった。

 ついさっき、愛未の悩みを聞いた。苦しそうだった。俺みたいな社会の役に立たない人間には、励ましの言葉をかけることしかできなかった。解決策を出すことなんてできない。それがもどかしい。

 帰ろう。今日は久々に早起きして、眠い。片手にぶら下げたビニール袋が重い。


 着ているパジャマのズボンから、家の鍵を出す。それを使って扉を開けると、洗剤の匂いが立ち込めた。多分、家を出る前に回した洗濯機が止まっている頃だ。

 ベッドの前の机にビニール袋を置く。中身を確認しながら取り出す。ハイライト、ライター、コンビニ弁当やおにぎり、お茶、サンドイッチを食べて出たゴミ、が入っていた。

 洗濯機がある所に行き、中の洗濯物を取り出す。細いワイヤーでできたハンガーに全部をかけて、部屋に干す。

 そろそろ煙草が吸いたい。部屋で吸うと匂いがこもるので、ベランダに行くことにした。ついさっき買ったハイライトとライターをセットで持っていく。

 網戸が黒板を引っ掻いたような音を立てる。ベランダ用のサンダルを履いて、煙草を口に咥える。カチッと心地よい音をさせて、ライターで火をつける。

 煙を吐くと、手すりに腕をかけて白い空を眺めた。さっき愛未を見送る時、嫌なことがフラッシュバックされた。そうか、あれから四年か。


「懐かしいな」


 時間もあることだし、ゆっくり振り返ろう。


 俺は高校を卒業してからすぐに就職した。大学に行くこともできたが、性にあわないと思ってやめた。

 二十五歳になった頃、俺はとある一人の新入社員の面倒を見るよう言われた。その時、心の中で愚痴をこぼしたのを覚えている。


「よ、よろしくお願いいたします」


 初々しいそいつは、田所奈緒(たどころ なお)という名前らしかった。


「ああ」


 屋上で俺はいつも通り煙草を吸っていた。田所には俺の居場所を伝えていなかった。他の奴から聞いたのか、後を追って来たのか、もう知ることはない。

 田所はなんだかんだで、できる奴だった。ミスはほとんどしないし、気が利く。

 大学を首席で卒業したとかなんとか、噂で聞いた。ありえない話ではない。田所にはひとつだけ、少し変わった所があった。


「お前煙草吸うの?」


 最初、屋上で隣で慣れた手つきで煙草に火をつけた時は驚いた。いや、吸うこと自体は珍しくないのだが。


「あ、すみません」


 田所は口から煙草を慌てて離す。我に返ったような表情をした。


「いや、そのままで大丈夫だ」

「えっ、あ、はい」


 戸惑いを残したまま、田所は再度口をつける。


「意外だな」

「はい。昔から憧れてて」


 まるで恋する乙女のような、嬉しそうな顔をしながら言われたので、不思議に思った。その笑みは無意識に出たものだと見れば分かった。


「ふーん。そんなもんか」

「先輩はどうして吸い始めたんですか?」

「いや、うーん……親父が吸うんだよ。それで、どんな味がするのかなって思って、本当は駄目なんだけど、十八で吸い始めた」


 グレていたわけではないと思う。普通にそこらを歩いている高校三年生だった。一度、制服を着た状態で吸っている時に、警察に見つかったことがある。


「そうなんですか」

「それなんの銘柄?」

「ハイライトです」


 田所はポケットから煙草の箱を取り出し、俺の顔の前にやる。目の前が真っ黒だ。


「め、珍しい銘柄だな」


 俺はそれを横にどかす。


「そんなことないですよ。結構スーパーとかで売ってます。色々試したんですけど、これが一番で」


 屋上の手すりに手をかけたその横顔は、少し寂しそうに見えた。手でハイライトの箱を我が子のように優しくさする。


「それ、一本くれねえか?」

「これですか? いいですけど……」


 たまには別の銘柄を吸ってみたくなったと言ったら嘘になるのか。特に理由はなかった。

 いつも吸っているものより細い煙草を受け取り咥える。勿論違和感があった。なにか物足りない。

 持っていたライターで火をつける。感想は、微妙といったところか。でも、久しぶりに新鮮な気持ちを味わった気がする。


 一年後、俺はまだ田所の面倒を見ていた。お互い冗談や愚痴を言い合えるような仲になっていた。


「先輩。悩み聞いてくれますか」


 ある日、珍しく田所が言った。こういうことは今まで言われてこなかった。


「いいぞ。仕事関係か?」

「それもありますけど、もっと個人的なことで」


 少し言いずらそうだった。話しかけたはいいものの、まだ相談すべきか迷っているみたいだ。


「んん」

「……いや、やめときます。個人的なことは自分で解決しなきゃですよね」


 俺には田所が笑顔を作ったように見えた。


「おん。まあ、無理すんなよ」

「はい」


 次の日。田所が無断欠勤をした。真面目だから、そんなことをするような奴じゃない。まあ、たまにはやってしまことだってあるだろう。そう思って俺はいつも通り仕事をした。

 夕方。もうすぐ定時になろうとしていた。俺はノルマを達成しようと必死になってパソコンを見つめる。

 すると、課長が慌てた様子でやってきた。嫌な予感がする。


「き、聞いてくれ! 大変だ。田所が」


 その先は聞きたくないと思った。吐き気がした。息ができない。続く言葉が想像できてしまう。


「自宅で」


 やめろ。


「亡くなったって」


 そんなの嘘だ。


「やめてくれ……やめ……」


 俺は頭を抱え、今にも叫びそうだった。喉が締まって苦しい。


 これは後から聞いた話だ。想像もしたくないが、首にロープが。本人の筆跡の遺書が足元に置いてあったらしい。そして、身体中に切り傷。おそらく自分でやったものだと。

 そこから俺は落ちぶれた。いや、元々落ちぶれていたようなものだが。

 なんで田所の悩みを聞いてやれなかったのだろう。自分を責めた。

 墓参りは行った。合わせる顔がないと、最初の一年は行かなかったが。毎回、ハイライトを供えた。

 仕事の方はろくにしないでほったらかし。会社の屋上でずっとハイライトを吸うだけ。このままではいけないとは思った。思いはした。だから俺は辞表を提出し、会社を後にした。


「ふふっ」


 頭悪いな昔の俺。そう思うと笑みさえこぼれた。

 いつの間にか手に持ったハイライトは短くなっていた。やっぱりハイライトを見て吸う度に、田所を思い出して心が痛む。

 考えると、出会いや台詞が愛未の時と似ているな。俺がそうしてしまったのかもしれない。

 俺には愛未を救えない。でも、まだ未来ある奴を空へ行かせたくはない。前を向かせたい。考えれば考えるほど、自分には無理だという考えばかりが深まる。

 もう、辛い記憶を思い出したくない。





 いつもより気楽に門に入れた。後ろからアサカワさんの優しい声が聞こえたが、どう答えたらいいのか分からなかった。


「うげえ!」


 男子の大きな声が聞こえた。どうやら、転んだらしい。周りの友人達が笑いながら手を差し伸べる。

 羨ましいなあ。そう思う自分が嫌いだ。私だって、昔は友達がいた。でもみんな遠ざかっていった。


 あれは小学校三年生くらいのことだと思う。私は父の仕事の都合で引越し、転校した。

 黒板に自分の名前が書かれていく。


「津島、愛未さんです。仲良くしてくださいね」


 今思えば投げやりな担任の言い方。

 周りと少し違うデザインのランドセルを、指定された席の机に置く。


「ねえねえ、愛未ちゃん」


 声がする隣を向くと、可愛い女の子がいた。


「ん?」

「仲良くしてね!」


 無邪気な笑顔に、どこか安心した。クラスに馴染めそうだと。

 話しかけてくれたこの子は内海舞花(うつみ まいか)という名前らしかった。休み時間に積極的に話しかけてくれる。いつも周りには人がいて、人気者だということは確実だった。

 可愛い見た目と中身。でもそれは、ただの天使の皮。実際は真っ黒な悪魔だった。


「愛未ちゃんって、思ってたのと違うね」


 内海の冷たい笑顔が痛い。


「舞花ちゃん!」

「……」


 勇気を出して話しかけても、完全無視。それを真似て周りの人も私を無視し始めた。何も嫌なことは言っていなはずなのに。

 国語の時間に時々ある発表の場が地獄だった。拍手が一つもなく、しんとした空気が私を殴ってくるみたいだった。担任は何もしてくれなかった。

 一週間ほど内海が休んだ時があった。私にとっては、ものすごい天国に感じる。ある日、担任の先生が、気のせいかいつもより明るい声のトーンで言う。


「内海さんが先週事故にあいました。後遺症が残るかもしれない。車椅子での生活することになるかもしれないとのことです。リハビリのため、しばらく学校には来られません」


 嬉しいとは言いづらかった。骨にひびが入っちゃえ、とか思ったことはあるけれど、ここまで望んだことはない。

 クラスのみんなは残念がっている。私はその中で、一切の表情を変えずにいた。どんな顔をすればいいのか分からなかった。


 そんなことをこの一瞬で考える。転んだ男子生徒は、既に立ち上がって歩き始めていた。

 もしどこかで内海らしき人を見つけたら、私はどうするのだろう。


 教室に入るのを躊躇う。私なんかが注目なんてされないのは分かっているけれど。

 一歩踏み出せば、床が軋んだ。歩く度に鳴るので嫌だ。足音を立てないように、見られないように、気づかれないように、シューズを床に擦りつけながら歩いた。

 机にリュックを置くと、丁度、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴った。





 今日はいつもよりマシな学校生活だったと思う。一人ぼっちには変わりなかったが。帰りにアサカワと会えると思うと、乗り過ごせた。

 当たり前のように河川敷へ足を運ぶ。

 アサカワの隣に座る。沈黙が何分か続いた。こういう時アサカワは、笑顔で私の方へ向くはずだ。でも今ここにいる男は、ただ真面目な顔をして夕焼けを眺めている。


「アサカワさん?」

「今朝はありがとな。話してくれて」


 いつもより落ち着いた声。なんだかぎこちない。

 今朝、とはなんのことだろう。でもそう思ったすぐ後に分かった。私は今朝に昔の話を洗いざらいアサカワに話したんだっけ。


「いえ」


 なんだかんだでこの後一時間くらい話したと思う。

 そういえば、アサカワと出会ってまだ二、三日くらいか。流れる時間が濃くて、二週間くらいには感じた。


「吸うか?」


 その投げやりな言い方に、私の顔が苛立ちで歪んだ。敷き詰められた煙草が目の前に来た。返事せずに、黙ってその中のひとつを手に取る。

 アサカワが持つライターが、私の咥えた煙草に火をつける。弱く風が吹いたので、その火に自分で手をかざした。


「大分慣れてきたな」


 すう、と私は煙草を吸う。やっぱり肺の奥から咳が出た。自分の口から出た煙が、視界を覆う。


「そんなことないですよ」

「……高校生になったらやめろよ。本当は駄目なんだぞ。な?」

「はい」


 一瞬黙りかけたが、そうしたら叱られる気がした。

 私はどうして、こうやって煙草を吸うのだろう。グレたのか、なんなのか。最初はただの好奇心だったことは覚えている。

 いつかはやめなければいけないのは分かっている。でも、そうすればアサカワと、こうして話せなくなる気がした。


「来月は大雨が降るらしい」


 雲ひとつない夕闇に向かって、アサカワはそう吐き捨てた。今は月末だが、そんな漠然としたことを何言ってるのだろう、と私は笑った。


 約二週間、私は河川敷へ通い詰めた。両親には適当な言い訳をして、以前より遅めの時間に家へ帰った。

 その間ずっとアサカワはどこか浮かない顔をしていた。

 今日も学校帰りに、河川敷へ向かう。朝のニュースで雨が降ると予報があったので一応傘を持って行ったが、今になるまで一度も降らなかった。空は灰色に曇っている。


「こんにちは。アサカワさん」

「おう」


 私にしては珍しく、自分から声をかけた。アサカワは心ここにあらずという感じのまま振り向く。無理やり笑顔を作ったように見えた。


「今日は曇ってますね」

「ああ」


 さっきからなんなんだろう。最近はいつもこうだ。私から煙草をせがむみたいになったし。良い気分にはなれない。


「雨が降りそうだな」


 アサカワは気を紛らわすかのように、久しぶりに内容のあることを言った。


「うん」


 私が敬語を使っていないわけではなく、独り言で煙と共に吐いた。

 こうして空を見上げながら煙草を吸っていると、大人になった気分だ。そう思う私は背伸びをした子供だ。


「もうすぐ帰ったらどうだ」


 アサカワはハイライトを口から抜いて足元に滑り込ませ、靴で潰した。やけに強く、踏みつけた。そうした本人は、辛そうに眉間に皺を寄せたように見えた。


「まだそんなに時間経ってないじゃないですか。どうしたんですか? アサカワさん、最近様子がおかしいですよ」

「くそっ……ああ、もう……」


 アサカワがいらついているのは自分に対してなのか、分からなかった。溜息と共に立ち上がって、後ろのアスファルトの道で背伸びをした声がした。


「前にも言った通り、高校生になったら煙草は辞めるんだぞ。本音は、今すぐやめて欲しいもんだけど」


 笑い混じりだが、顔が見えないのでその笑いが嘘にも思えてきた。


「……は、はい」


 アサカワの隣に立つ。


「そろそろだ」

「え?」


 そう言ったアサカワが空を見上げた瞬間、自分の頬に冷たい水が一滴、落ちてきた。反射的に瞼がぴくりと上下する。まあ、正体は雨だろう。


「あ……傘。そういえば、アサカワさん傘は?」


 私の右手には傘が握られている。それに対してアサカワは手ぶらだ。


「ない」

「大丈夫なんですか?」

「フードでどうにかなる」


 そういえばアサカワはパーカーを着ていて、今日は少し寒そうにしきりに腕を擦っていた。アサカワがパーカーのフードを自分の頭に被せる。


「このまま大雨になりそうです。そんなフードだけじゃ、しのげませんよ。折りたたみ傘持ってるので、私ので良かったら」


 予備として、いつも登校用のリュックサックの奥に忍ばせていた折りたたみ傘の存在を思い出す。無地の黒なので、男性のアサカワも使いやすいだろう。

 自分に傘をさすのを忘れ、肩からリュックサックを下ろしてチャックを開けようとする。


「辞めようと思うんだ」


 弱々しい少年が初めて決断をしたみたいに、そう言うアサカワの拳は震えていた。

 段々と強くなる雨に、制服が濡れ始めた。明日も学校だというのに。


「何をです?」

「ハイライト」

「煙草をですか」

「ああ。吸ってると思い出すんだよ。やなこと」


 煙草を吸っている自分を小馬鹿にされたような、心に靄がかかったような気分になる。最初にくれたのはそっちなのに。

 じゃあ、会うのも終わり? 一緒に煙草を吸うことも無くなる? そんなの嫌だ。

 そんな考えをきっかけに、頭に血がのぼっていくのが分かった。

 アサカワはいつの間にか、私が着ている制服の胸ポケットに、煙草の箱とライターを入れていた。お前が持っておけ、と言わんばかりに。


「これやるよ」

「なんでだよ」


 自分でもびっくりするほどの低い声がアサカワの言葉を裂く。そしてアサカワを睨みつけた。でもやらなければよかったかも。雨の雫が目に入る、から。


「愛未? どうした?」

「辞めるなんて。私にとっての煙草は、二人で吸って、たわいも無い話をして……。アサカワさんは、年上の友達みたいな、兄貴みたいな存在なのに」

「……すまん」


 謝るのは私の方だ。


「アサカワさんがいなくなったら、また私はひとりぼっちです! 私は……」

「そんなこと言うなよ。な?」

「うるさいです。アサカワさんなんて……どっか、行ってください」


 もっと酷いことを言おうとした自分が信じられない。悲しい色をしたアサカワさんの目が、私の目とがっちり合う。思わず逸らして、そのまましゃがみこむ。

 じゃりじゃりと足音がして、それが遠ざかっていく。やがて聞こえなくなって、叩きつけるような雨の音だけが私の耳に残った。

 水を吸い込んだ制服が重りのようになっている。立ち上がって空を見上げた。晴天が広がっているわけでもないのに。


「私は何がしたい?」


 変に冷静になって、自分に問う。


「何がしたかったんだろう」


 アサカワと出会って、いい経験だったということには間違いない。でも、私はそこから何かを学んだか? 自分から行動を起こしたか?

 アサカワさんには、もう二度と会えないのかな。

 胸ポケットの膨らみに、目をやる。一箱のハイライトとライターだ。取り出して、ハイライトの箱を覗くと、残り半分くらいしか無かった。そのうちの一本を取り出して咥え、ライターをカチッと鳴らす。

 もちろん、どしゃ降りの雨の中なので火はつかない。何度もつけようとするけれど、状況は変わらない。


「つかないよね」


 私は自嘲するように笑った。




続き㊦→三谷



















愛未/主人公。津島家の次女。
継美/愛未の姉。

内海舞花/愛美を無視し続けた小学校の同級生。

アサカワ/本名、浅川慧太。
田所奈緒/アサカワの会社員時代の後輩。故人。

父、母/仲の悪い愛未の両親,愛未は特に過干渉気味な母が嫌い。

筧 沙織@小説「15のドラマ」続投稿・山田 #小説・2021-12-09
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