琥々愛🧸🎀𓈒𓏸・2024-08-10
恋愛とは
哲学
恋愛は時と場合によって
私たちの人生を大きく変えるものである。
扉の向こうに
続く書庫 此処には
数え切れない物語が
存在して今も尚 語り継がれて行く
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」
楽しいという感情が先にあって、その結果、私たちは笑う。そう考えるのが自然だが、意外なことに、実際は逆なのだそうだ。
そうだとすると、ねるねるねるねを練るプロセスについても疑問が生じてくる。
練り始める前に色が変わることが決まっているのだとしたら、私たちは何のために練るのだろう。
その答えは、あなただけが知っている。
たとえ善悪の彼岸で揺れていたとしても
きょうは2ヶ月に一度の
藤原直哉先生の授業の日、
久しぶりに東京に行ってきました✨✨✨
あたしは不登校出身だけどさ
だから学校なんて大嫌いなんだけどさ、
つくづく思う、
勉強ってのは
『なにを』学ぶか、じゃなくて
『誰から』学ぶか、なんだよ!
藤原直哉先生はガチの大本教信者で
大本教ってのは昭和時代(戦前)に出来た、
昭和史に残る有名な宗教なんだけど
大本教の教祖:出口王仁三郎は
ものすごい分量の著作を遺した思想家でもあり
遺された著作物を
そのままテキストとして使って
(※昭和初期=いまから約100年前の文章はかなり読みにくいですが、意味は掴めます)
ガチの信者である藤原直哉先生が
出口王仁三郎の思想を読み解くのだから
それはそれは愉しいお勉強会
あたしは好きなアーティストのライブさえも
素直に楽しめない性格なので
(※人混みが苦手、盛り上がるのがキライ)
哲学・思想に関するお勉強会なんかが
あたしにとっての最高の娯楽、
ということになるのかもしれない
もしかして、あたしも将来は
教える側になるのでは??
性善説と性悪説
どちらか片方だけでは
ダメなんだ
両方あって初めて私たちは
ヒトとなる
歩む
いつの日か、
いつの日か、
と、
言い続けて
待ち続けても
その日は来ない
分かっていても
動けない日々の中で味わった
悔しさは忘れないだろう
今度は、
こちらから
明るい未来を
迎えに行くために
いつか掴む日を
目指して進む。
戸惑いと混乱
今まで積み上げてきた経験が
何ひとつ使えないモノになった時
初めて試される
創意工夫と思考力
そして不屈の心
私が本当に好きなことは
私が本当に嫌いなことは
私が本当に望んでいることは
私が本当に思っていることは
なんだろう
わからない
成果とは?
何かを成し遂げたから
素晴らしい、とは限らない
反対に何も成し遂げていないから
駄目だ、という事もない
いま、自分ができることをする
休養であったり
仕事であったり
学業だったり
人それぞれ、
それで案外良かったりする
それでも足りないなら
日々の生活の中で
自分の手柄ではなく
人として内面を磨くこともまた
出来ることであり
実はこれが一番難しい
何故なら
誰からも評価されにくいことだから
大事なものは、いつも目の前にある。
大切なものは、いつも心の中にある。
目には見えないものほど、大切なもの。
当たり前のものは、いつもそばにある。
そうでないものは、いつも遠くにある。
冒険は世界を広げ、日常を変えていく。
時間の流れは、誰しも平等である。
時間の質量は、人それぞれである。
今日を生きた者にのみ、明日は訪れる。
人の命は、空前の灯火である。
人の名は、歴史に残り続ける。
名前の数だけ、壮大な物語がある。
人口の
自然減…
つまり僕が
結婚できないのは
自然の摂理…
ニーチェが言うところの
力への意思…
それならば僕は
いっそのこと
自分の意志で
ねるねるねるねを
練ってみせよう。
ねるねるねるねでさえも
いずれ
色が変わらなくなるのだから。
私人の本質は本来狂気だと
思うんだよね、だけど決して
皮の下など見えないように
好きという言葉は使うのが難しい。
言われ慣れてない人は勘違いしてしまうし、
言われ慣れてる人に言うと流される。
そもそも「好き」の種類が多すぎて
すごくめんどくさい。
友達として好きとか
恋愛的な意味で好きとか
美味しいから好きとか
ゲーム上手いから好きとか
英語はlikeとlove で分かれてて
わかりやすい。
私と貴方が日本じゃなくて
アメリカとかに産まれてたら
勘違いしなくてよかったのかもね。
凍りついた心を解かす
そんな魔法があれば