消えない証と罪
俺のお気に入りの場所。
図書室の本棚と本棚の間。
俺くらい小柄な小学生にしか入れないようなそんな狭い隙間。
そのお気に入りの場所で今日も最近はまってる本を読もうと体を屈ませた。
“死にたい”
壁に書かれた4文字。
よく聞く言葉だけど見たのは初めてだった。
弱々しく、けれどもしっかりと意志の持った言葉。
死に触れたことのない、ましては描いたことすらない俺にはあまりにも強烈だった。
どこか違和感を覚えたけど、何も見ていないことにしてそのまま帰った。
その6日後、同じクラスの寺島佳子が死んだ。
お葬式にはクラス全員が出た。
もちろん隣の席だった俺も行った。
初めての死は哀しみの空気でいっぱいだった。
寺島の両親をはじめ、沢山の人が寺島の死を嘆いた。
クラスの奴らも泣いていた。
寺島は決してクラスに馴染んでいるわけじゃなかった。
大人しい性格で隣の席の俺すらほとんど喋ったことなかった。
クラスの中心にいるような女子は寺島を虐めていた。
担任の町田は学級委員ということを理由に寺島に雑用を押し付けていた。
寺島は何言われても泣き言も文句も言わなかった。
だから大丈夫だと思っていたのかもしれない。
そんなクラスの女子も町田も泣いていた。
正直、何に泣いてるのかわからなかった。
寺島の死からなのか、哀しみの空気からなのか、それともこれまで自分達のしてきたことへの罪悪感からなのか。
涙は流れているのにそこに哀しみの空気はなかった。
もう3日後には学校が始まった。
何事もなかったように皆、普通だった。
普通に学校に来て授業を受けて、笑っていた。
俺も普通に笑った。
違うのは隣に寺島がいないだけだった。
それすらもいつか普通になる予感がした。
算数の宿題のプリントを返された。
町田が抜き忘れたのであろう、寺島のプリントを返却係が躊躇いながら机に置いた。
“寺島佳子”
丁寧で綺麗な字の横によく出来ましたの判子が押されていた。
寺島は習字教室に通っていた。
綺麗な字と凛とした姿勢はとても印象的で俺が好きな本に出てくる女子と似ていた。
寺島は大人しいじゃなくておしとやかな女子だった。
もう隣を見てもおしとやかな寺島はいない。
凛とした姿勢で真面目に板書する寺島はいない。
あるのは寺島のプリントだけ。
その時、あの時の違和感をまた覚えた。
図書室で寺島と会うことは多かった。
もし仮に寺島の気持ちとあの言葉が関係しているなら。
教室を飛び出した。
町田に止められたが振り払って図書室に向かった。
図書室には誰もいなかった。
何の本も持たずにお気に入りの場所に行く。
いつものように体を屈ませた。
“死にたい”
そこにはやっぱり弱々しく、けれどもしっかりと意志の持った、寺島の言葉があった。
字に触れる手が震えた。
気づいたら涙が流ていた。
もし俺が寺島の気持ちに気づいていれば。
この言葉を受け止めていれば。
いや違う。
俺がいじめを止めていれば。
流れた涙は止まらなくて俺の哀しみの空気が図書室を埋めた。
まだ涙が乾ききってないけど、俺にはしなければいけないことがあった。
図書室の受付から鉛筆を取る。
町田の俺を呼ぶ声が聞こえる。
寺島を呼ぶ声はもうどこにもない。
寺島の声も気持ちも言葉ももうどこにもない。
この壁に書かれた寺島の言葉は最初で最後の助けての言葉だったんだ。
寺島は家族でもない。友達でもない。
誰でもない。
俺に心の叫びと不安とほんの小さな希望を託したんだ。
お気に入りの場所に入り込む。
寺島の言葉の下に震える手に力を込めてしっかりと意志の持った俺の言葉を書いた。
“ごめん”
書いたと同時に呟いた。
しっかりと意志の持った、俺の言葉で。
その後、本棚の本を全部抜いた。
少し軽くなった本棚をお気に入りの場所がなくなるように動かす。
大きな音を立てて隣の本棚にくっついた。
文字は完全に見えなくなった。
本棚に本を戻していると町田が俺を見つけた。
バレないか焦ったけど文字のことはバレなかった。
これでずっと俺のお気に入りの場所がまた姿を見せることはない。
寺島が生きた証を永遠に残せた。
“寺島佳子”
俺はこの名前を永遠に忘れない。