【RealMe 性別のない人~第二十三話 和解】
「先生、さようなら」
「おー、もう課題忘れんなよ」
「はぁい、失礼しまぁす」
土曜日の昼下がり。
俺は提出期限に間に合わなかった、
プリントを提出しにきたのだ。
俺がMTFだと知った両親の計らいで
高校から私服登校が認められた。
今まで、制服が苦痛だった。
毎朝、男子のブレザーに袖を通して
ズボンを履いてネクタイを絞める
姿鏡に映る俺が嫌いだった。
制服の中にぽつんと
私服を着る俺が登校すると
生徒からの好奇な目に
晒されることもあるけれど
制服を着るよりもずっと
気持ちは晴れ晴れしていた。
今日は膝上まである長めの
ドルマンスリーブパーカーに
スパッツみたいに
ぴっちりしたくるぶし丈の
ズボンを履いてきた。
ボーイッシュな女の子って感じの
お気に入りのファッションだ。
本当はスカートが
穿きたかったりもするけれど、
まだホルモン治療が出来ない俺に
まだそこまでの勇気はない。
いつか体が整ったら
はじめてのスカートを
千祐さんの前で穿こう。
そんな事を心に誓う。
俺がMTFだと、
クラスメイトに知られたのも
両親に知られたのも
半ば事故のようなものだけど
知られた今、
もう隠すものは何一つない。
むしろ、前より
堂々と生きられている。
何も気にすることなく
クラスメイトに話しかけ続けたら
だんだんと差別的な目も
なくなってきている事が嬉しかった。
今日は土曜日だ。
両親との時間をとったり
課題が忙しかったり…
行きたくても行けなかった、
ジェンダーレスの会に
ようやく出席できる。
千祐さんが学校の近くまで
迎えに来てくれているはずだ。
「あー、やばっ、時間過ぎてるっ」
スマホで時間を確認すると
ちょうどその時
ピロロンとLINEの通知が鳴った。
“待ちくたびれて死ぬ 早く来い”
“死なないで笑 今行く!”
“いーち、にー、さーん……”
“待って待って笑”
恋人同士の会話にも
だいぶ慣れたけど…
やっぱり彼氏からの
早く来いLINEは
会いたいって
言ってくれてるみたいで
すごく嬉しい。
「へへ…」
俺はそっと、微笑んで
上履きを外靴に換えようと
シューズボックスを開いた。
「あれ……手紙?」
朝には確かになかったはずの
白い封筒が
俺の外靴の上に
乗せられていた。
裏を見て、
目を見開く。
それは
あの日、うやむやなまま
別れてしまった、
奈々からのものだったのだ。
何が書いてあるんだろう…
ドク、ドク、
俺が傷つけた子からの手紙に
心臓は否応なく、脈打った。
悩みあぐねて
結局俺は、封を切れずに
重たい足取りのまま
千祐さんを求めて
待ち合わせ場所へと赴いた。
「おー、きたきた」
俺が来ないことに
業を煮やした千祐さんは
車の外に出て
煙草を吸っていた。
俺が駆け寄ると
当たり前のようにその手は
俺の頭の上へと添え付けられる。
「課題ちゃんと出してきたか?」
「うん」
「お疲れさん」
大袈裟に労う千祐さんの笑顔に
思わず、涙が溜まった。
「想……?おい、どうした?」
千祐さんは
ただならぬ雰囲気を察したのか
慌てて咥えていた煙草を
ポケット灰皿へ放り込み
俺の顔を覗き込んだ。
「元カノからの手紙が……シューズボックスに入ってて」
「んで?」
「何が書いてあるか恐くて……封切れなくて」
しとしとと、涙の雨が
アスファルトを濡らす。
あの時の奈々の
泣き出しそうな顔が
今も頭から離れない。
あれだけ傷付けた…。
恨み言でも綴ってあったなら
どうしよう…
そんな想いに駆られた。
千祐さんは
眉を下げて言う。
「読んでみりゃいいじゃん」
「でも…」
「でも?」
「……恐い」
俺が呟くと、
くしゃくしゃと頭を
無造作に撫でた千祐さんは
「想が一度は、この子ならって思った子なんだろ?」
「それは……そうだけど」
煮え切らない俺の頬を両手で挟んで
ぐにぃーっと潰した千祐さんは
吹き出して笑った。
「なら、大丈夫だよ」
千祐さんはそう言うと
震える俺の手の中から
奈々の手紙をひょいと取り上げた。
「あ…っ」
「開けるぞ、いいか?」
「……うん」
千祐さんは
糊付けされてあった封筒を
丁寧にあけ、中の便箋を
俺の手のひらの上に
乗せてくれた。
「便箋開いて中読むのは、お前がやんなきゃな」
千祐さんの強い眼差しが
勇気をくれた。
「うん、そうだよね…」
俺はそう言い、
便箋を開いた。
そこには懐かしい、
奈々の丸文字が連なっている。
想くんへ
あの時は本当にごめんなさい。
私はみちるに相談してるつもりで
でもきっとあれは
相談してはいけない事だったと思う。
私が自分で想くんと
向き合わなきゃ
いけなかった事なんだよね
大事なことをあんな形で
みんなにバラすことになってしまって
本当にごめんなさい。
想くんと付き合ってる時ね
ずっと不安だった。
ラブラブしてても
想くんの心がどこか
遠くにあるような気がして
いつか
別れようって言われるんじゃないかって
いつも怖かった気がする。
ジェンダーレスの会に行った時
全部、わかった気がした。
想くんは女の子だったんだって
私、あの時、ほんとはわかってたの。
でも、認めたくなくて
たとえ関わりがなくても
想くんの彼女でいたくて
結局こじれて…。
想くんは何度も何度も
私と向き合おうとしてくれたのに
私は最後の気持ちも伝えずに
終わらせたことがずっと
気になっててこの手紙を
書いています。
待たせてごめんね。
想くんはありのままの
想くんが1番だと思う。
私は心から笑える、
そんな想くんが好きだよ。
頑張れ、想ちゃん。
奈々
「……っ、奈々っ」
涙が、零れて止まらない。
言葉にならない想い。
やっと、俺は……やっと
許された気がした。
「想……?」
心配そうに見つめる千祐さんに
思わず抱きついた。
「おっ…と、想、どうした?」
「な、奈々がっ、奈々が、想ちゃん、って。頑張れって」
千祐さんは安堵したように
大きく息をつき
俺の頭を優しく撫でる。
「よかったな…想」
千祐さんのその声は、笑んでいた。
「うん」
「あー…でもさ」
「え…?」
「もう、彼女んとこには戻るなよ」
変なところで
千祐さんのやきもちが
顔を出す。
男という性を
手放した俺にはもう
千祐さんしか見えないのに。
可愛い人。
「私には、千祐さんだけだよ」
「ふーん?」
俺の頭の上で千祐さんが
ニヤついたのがわかった。
俺は、幸せ者だ。
こんな素敵な人が
側にいてくれるんだから。