『幸せは親子丼のカタチ』
「ご飯できたよ」と、漫画を読む君に声をかける。
君はソファに寝っ転がっている。制服のまま。うちの制服はシワになりやすいからやめるようにと何度も言っているのに。
洗濯したあと、アイロンをかけよう。それと右袖のボタンがもうすぐで取れそうだったから、それを縫って。
ああ、そうだ。そろそろ制服移行期間だから、冬服を押し入れから出さないと。
君は去年より、ぐんと身長が伸びたから丈が合わないかもしれない。裾下げもしておく必要があるかもな。
「ボタンが取れかかったり、裾が長かったり短かったり、破れたりした服ない?」
立ち上がり、ダイニングに移動しようとしていた君に問う。
「なんでそんなこと聞くの?」
「冬服の裾を直すついでに、他にすることはないかなと思って」
「思考がお母さん」
くすくすと笑いながら、君がぺたぺたとフローリングを歩く。スリッパはあるのに、君はスリッパを履くのが嫌いらしい。
家の中では靴下を履くのも嫌がる。「家でくらい、足を自由にしてあげたい」というのが君の主張だ。
訂正しておくとここは僕の家で、君の家はこの家の隣だ。。
いつもサンダルを引っ掛けて、ピンポンもなしに僕の家に侵入してくる。もはや顔パスである。
うちの両親は君のことを、下手したら僕以上に可愛がっているからなにも問題はないんだけど。
ついでに言うと、さっき君が読んでいた漫画は僕のだし、君が勝手に羽織っている上着も僕のものだ。
僕の家に馴染みまくっている君に、僕が文句を言うことは出来ない。
僕だって君の家へは顔パスだし、ジャージにサンダルを引っ掛けて、前髪をちょまげにして君の家に突撃するから。
僕たちは、2人でひとつなのよと僕と君の母親が言った。
なるほどなと幼いながら納得した記憶がある。君は僕の半身、僕の片羽なのだ。
君が席に座る。目の前に親子丼を置いてあげると、ぱあっと顔が輝いた。
「親子丼!」
「うん。熱いから気をつけてね」
「はーい」
君が木のスプーンを握る。そのスプーンは君専用のものである。
君がそわそわしだす。待ちぼうけを食らっているイヌみたいで、僕はそんな君の姿が好きだ。
僕が向かい側の席に座るのを待っているのだ。変なところで律儀な君は、先に自分だけ食べることをよしとしない。
あえてゆっくりエプロンを脱ぐ。そして丁寧に丁寧にそれを畳む。君の焦れったそうな視線をビシビシ背中に受けながら。
ぐう、と君のお腹が鳴った。どうやら意地悪しすぎたらしい。
僕も急いで席につく。君は待ってましたと言わんばかりに、勢いよく手を合わせる。
「いただきます!」
「どーぞ。急いで食べたら熱いからね」
聞いているのか聞いていないのか。恐らく聞いていないに違いない。
小さい頃から、君は親子丼が好物だ。だから僕の得意料理は親子丼である。
君が好きなものを、僕の手で作ってあげたかったのだ。いじらしいと笑いたければ笑うがいい。
おかげで料理の腕はメキメキ上がった。家庭科の評価は5。クラスでのあだ名は「お母さん」 僕は男だから、このあだ名はどうにかして欲しいと思っている。
時間を割いて料理するのも、取れかけたボタンがあれば縫いつけてあげるのも、全ては君のためだけだ。
他の人にはやるつもりなんてない。君だから、時間も労力も厭わないのだ。
僕が君に尽くすのに反比例するように、君はぐーたらになっていく。君が自分で出来ることを、僕が率先して奪ってやっているからだ。
過保護・・・?いや、ちがう
君があちあち言いながら、いっぱいに頬張る。僕の忠告を聞かなかった君は、涙目だ。だから熱いって言ったのに。
両手で口元を押えて、足をバタバタさせる。僕は慌ててコップを差し出した。
それを君が一気に呷る。君は猫舌だ。自覚はしていないらしいので、いい加減学習してほしい。
自作の親子丼に、スプーンを差し込む。君の好みを詰め込んだ親子丼は、きっと世界で1人、僕しか作ることは出来ないだろう。
君が箸をつける順番や、食べる速さから、君の好きな味付けを研究した。え、ちょっと引く?
誰からどんなことを思われようと、僕は君の「君の料理が世界一!」の言葉を聞ければいいのだ。他人の目なんか知ったことか。
たまごはトロトロ。鶏肉はやや小さめに切り、あとは人参と玉ねぎ。
色々とレシピに秘密はあるけれど、これは誰にも教えられない。僕が十数年をかけてようやく君から貰った「1番美味しい料理を作る人」の称号は誰にも譲れない。
「やっぱ、君が作る料理は美味しいなぁ」
落ち着いたらしい君が、ふーふーしながらふにゃりと笑う。
これだけで、僕の苦労は報われる。
「褒めたってなにも出ないよ。あ、デザートに梨でも切ろうか」
「わ、褒めたら梨でた」
けらけらと笑う。その笑顔がたまらなく好きだと再確認する。
初めて会ったのがいつなのかは覚えてない。少なくとも、僕が思い出せる最古の記憶には君がいる。まあ、つまりそう言うことだ。
当たり前のように隣にいた君を、それが当たり前であるかのように愛した。
息をするように君を好きになっていたので、君を好きになったのがいつかも分からない。僕の記憶の中の僕は、ずっと君に恋心を抱いている。
幼心に植え付けられた種は、長い時をかけて大木に成長した。もはや僕も手をつけられない。
僕は君が好きだ。ずっと前から、誰よりも好きだ。
でも君はそうじゃないことくらい、僕は分かってるんだ。
「やっぱ君の料理は世界一、いや宇宙一だね」
「まだ言ってる。褒めたって何も出ないってば」
「今度は下心なしの純粋な感想!」
「今度、は?」
唇の端を吊り上げて見せる。君はグッと言葉に詰まり、なんとか「・・・いじわる」という一言を捻り出した。
「うそうそ、ごめんね」
君が、僕の言動1つでころころと表情を変えるのを見るのは、とても幸せだ。
僕は君の特別なのだと感じることが出来るから。
「・・・好きだよ」
思わず口から溢れた言葉。それを発してからハッとする。
明らかに、「好き」にのせる温度を、間違えた。
ちらりと君の様子を窺う。
生まれた時から一緒にいた僕ら。だけど、越えてはいけない境界線があった。
それを今、僕は思いっきり踏んだ。
反射的に瞼を閉じた。そして、いや、と思い直す。
踏んだだけなら、まだ戻れる。
ここで笑い飛ばしてしまえ。冗談だと言って、そうすれば君も・・・
口を開こうとした。それを遮るように喋りだしたのは、君だ。
「私もだよ」
え、?
ぱちぱちと瞬きをする。君は平然と、親子丼をかき込んでいた。
口をあんぐり開けていると、君がこちらを見た。そして僕の顔が面白かったのだろう、ぶふっと噴き出した。
「へんな顔ー」
ケラケラと笑う君。僕は何を言い返すことも出来ない。
今、君はなんと言った?
「・・・好き?」
だって?僕のことが?
信じられない思いで聞き返す。君は親子丼に夢中だ。いくらでもおかわりあげるから、頼むから、今だけはこっちを向いて。
もぐもぐと咀嚼し、ごっくんと飲み込む。焦れったいほどにゆっくりと。
「ね、もう1回言って?」
「君がもう1回ちゃんと言ってくれたらいいよ?」
君がニヤニヤと笑う。ああ、この顔も好きだなちきしょう。
すうっと息を吸う。恋愛漫画が好きな君が、キュンとするようなセリフだって言えない。
観覧車の中でも、学校の屋上でも、星空が見えるレストランでもないけれど。
君へ想いを伝える覚悟を決めよう。どうせ、僕と君が一緒になるのは、生まれた時から決まってたことなのだ。
「実は、ずっと君のことが好きでした」
ようやく伝えることが出来た、愛の言葉。
それを聞いて君は、心底おかしそうに笑い声を上げた。
『「実はも何も、君、ずっと私のことしか見てないじゃん」』