きっと僕は、出会った時から
君の音に恋をしていたんだ。
〈君の音〉
二十二時。
閑静な住宅街。
音なんてほとんど聞こえない道を
白い息を他揺らせながら歩く。
時々ジジ…と音がして
道路を照らしている照明が瞬きをした。
中学三年の冬。
中学校生活の中で1番忙しい時期。
学年の半分が塾に行かされ
目標に向かって勉強する。
僕も例外ではなく
今日も塾の帰りだった。
寒い。と呟いても、
聞いているのは月だけ。
お前は寒いとか感じるのかよ。
と、半場やけになって愚痴った。
ふと、足を止めた。
何かが聞こえた。
話し声とか悲鳴とか
そういうのじゃなくて。
歌の、ような。
すぐ近くに神社があり
そこから聞こえたようだった。
鳥居を潜り、奥へと進む。
段々と近付くにつれ
それが歌だと分かった。
神社の本堂の裏へと周り
そっと顔を出した。
一人の女の子が、歌を歌っていた。
境内に腰掛けて、ギターを弾いて。
とても綺麗な声で。
こんな時間に神社で。
どう考えても普通ではないのに
何も違和感を感じなかったのは
彼女の声がとても綺麗だったからだろうか。
綺麗で、儚くて。
でもどこか優しい。
そんな声だった。
覗き見をしていることも忘れて、
僕はその場で聴き入っていた。
『覗き見なんて良くないよ』
急に声をかけられる。
いつの間にか
彼女の演奏は終わっていたようだ。
彼女はくるりとこちらを向いて
『こっち来て』
自分の隣をポンポンと叩いた。
いつから気付いていたの。
とか、
なんでこんな所で。
とか。
聞きたいことは色々あったけど
とりあえず言われるがままに腰を下ろした。
『どうだった?』
何が。
と聞かなくても分かる。
「良かったよ」
『そっか』
『じゃあ、もう一曲聴いてよ』
二つ返事で了承すると
彼女の指はまた弦の上で踊り始めた。
曲が流れ、音楽を紡いでいく。
彼女の声も加わる。
今まで聴いたどんな曲よりも、
綺麗だと思った。
「凄いね」
『ありがとう』
在り来りな感想しか言えない僕に
彼女は嬉しそうに笑った。
その笑顔は
歌に負けないくらい綺麗だった。
それから僕は毎日彼女の元へ通った。
塾終わりに神社に寄り、
彼女の歌を聴く。
それが日課と化していた。
彼女の歌は
勉強疲れの僕の心を癒した。
専ら僕は聴く専門で、
歌ったりはしなかった。
彼女の歌の邪魔をしたくなかった。
彼女の歌に僕が入ってはいけない気がした。
『今日はね、こないだCMで聞いたやつ。
きっと君も気に入ると思うよ』
『これ友達のおすすめなんだって。
私は聴いたことないんだけどね』
彼女が歌う歌は
ほとんどがCMか何かで聴いたことがある曲か、
おすすめされたものだった。
聞くと一回聴いたことがある曲は弾くことが出来るらしい。
才能と言うやつか。
テレビでそんな人を見た事はあるが
実際会うのは初めてで感動した。
そんな彼女がたまに
CMでも聴いたことがないものを歌うことがあった。
「この曲、聴いたことないけど、なに?」
『これね。私が作ったんだ』
内緒だよ。
そう言い照れくさそうに人差し指を唇に当てた彼女は
とても可愛らしかった。
お互いに名前など教えていない。
約束もせずに会い
歌を歌い、聴く。
それだけの関係。
それだけなのに
彼女は僕の中でとても大きな存在となった。
『今日はこれを聴いて欲しいの』
珍しく雨の降る日だった。
いつも通り彼女の言葉から始まった
二人だけの演奏会。
いつもは一曲終えると次の曲を弾くのに
今日の彼女は違った。
同じ曲をずっと弾いた。
「ねぇ、またこれなの?」
『今日はこれを聴いて』
何回も。
何回も。
その曲を聴いた。
その歌声はいつもより
哀愁に満ちているような気がした。
『覚えた?』
何回目か数えるのも忘れた頃
彼女はそう言った。
「何を?」
『歌詞』
「覚えたよ」
何回も聴かされたその曲は、
もう僕の耳に住み着いていた。
一人でも口ずさめるほどに。
『そっか』
僕の返事を聞いた彼女は
『じゃあ、今日はもう終わり。帰ろう』
そう言った。
「なんで?」
『雨強くなってきたから』
「まだ大丈夫だよ」
『だめ。帰ろう。風邪引いたら困るよ』
「…わかった」
きっと聞き入れて貰えない。
そう思い、神社を後にした。
彼女の様子がおかしかったと感じたのは
家に帰ってからだった。
次の日神社に行くと、
彼女はいなかった。
一時間待っても
彼女が来ることは無かった。
次の日も
その次の日も。
それから
彼女が来ることは二度となかった。
彼女が来なくなってから
僕は彼女が最後に歌っていた歌を紙に書き出すことにした。
忘れることは恐らくない。
でも、不安だった。
だから、忘れないように。
彼女の歌を。
彼女と僕の思い出を。
軽くその歌を口ずさみながら
紙の上でペンを走らせていく。
全ての歌詞を書き出し
あの時のように歌った。
今は彼女はいなくて、僕だけの演奏会。
なんだか酷く虚しかった。
ふと、紙の上の歌詞を眺めて
何か違和感を感じた。
考えて、その違和感に気づいた時。
僕の目から涙が止まらなくなった。
拭っても拭っても溢れてくる。
口の中から嗚咽が漏れる。
あの時
彼女がこの歌しか歌わなかった理由。
僕を早く帰した理由。
歌う時にいつも
何処か悲しそうだった理由。
全てが繋がった。
綺麗でかっこよくて。
でも何処か儚い君らしい。
なぁ、聴こえてる。
僕は今でも君の歌を歌ってる。
恐らく君が僕に宛てた
最初で最期の歌を。
今更だけど。
言葉足らずかもしれないけど。
きっと僕は、出会った時から
君の音に恋をしていたんだ。
彼女の歌の冒頭の頭文字を繋げて
震える声で読み上げた。
「びょうきだけどしあわせだった」
「ありがとう」