【九つの子】
総文字数3748(改行含)
俺は百姓だ。
夕焼けに染まってく俺の都。
まあ、都と言ったってえ
段々になった田んぼ数枚と
小さな畑が俺の世界だった。
小さくったって
夕焼けに染まる田んぼ
水に映る太陽の色
稲に吸収されてく様
これがやけに美しい。
けぇどなあ
俺にゃもったいねえほど
もっと美しいものが側にある。
「お父ちゃんっ」
俺の腰の辺りに体当たりかますガキが1匹。
俺の可愛い息子だ。
「おー、弥助」
「お手伝いしに来た!」
「手伝いだあ?もっと早くに来ねえと手伝いなんかなくならあ、おめえわかってんだろ」
「えー?じゃあ、鍬持つ!」
「足すっぽり持っていかれんなよ」
「大丈夫!」
弥助は五番目の子だ。
弥助の下には他に三人の子がいた。
家族は多い方がいい。
このご時世だ
無事に元服迎えられるガキの方が少ねえのさ。
「母ちゃんは飯の支度か」
「何かお父ちゃんの事怒ってたよ」
「はあ!?また何を怒ってやがんだい」
「なんかお金がないって言ってた」
「あーー、バレやがったか」
「お父ちゃん、お金何に使ったのさ」
「あー……人助けだ、人助け」
妻のカツはよく怒る。
いつもガミガミ文句ばっかり垂れてやがる。
でえも、俺も慣れたもんで
カツのガミガミがねえと
今じゃなんだか落ち着かねえ。
なんだかんだ言ってえさ
俺はカツがこの世のどんな景色より
この世のどんな美人より美しいと思ってた。
まさか、カツには言えねえがな。
「あんた!」
帰るなり飛んでくる罵声に俺はヘラヘラと笑う。
「おーカツ、今帰ったぞ、何怒ってやがる、まあた顔の皺増えるぞ」
「そんなことより、金袋の中のお金…何に使ったんだい」
「…知らあねえなあ」
「嘘言いよ、あんたしかいないだろ」
「あー、うるせえなあ、腹減ったぞ、飯だ飯」
「あんたの分の飯はないよ」
「一日畑で働いてきた亭主に食わせる飯がねえって言うのかよ」
「こっちは一日こどもらの世話して川に洗濯行くだろ、竈に火をおこしてね、飯炊いてね、とにかく色々大変なんだよっ」
帰ってすぐに口喧嘩。
腹も立つけどな。
「お母ちゃんおまんま食べようよ」
「今日はお父ちゃんの好きな大根の雑炊だって言ってたじゃないか」
「お母ちゃん、お父ちゃんが好きだって言ってにこにこしながら作ってたよっ」
まだ年端のいかないガキらが
俺とカツの着物の裾引っ張ってえ
喧嘩の仲裁に入ってくれる
いつものことだ。
その成り行きで知ることになる、
素のカツの俺への愛情が
俺はたまらなく嬉しかった。
「カツ、そうなのか?」
夕刻になって不精になった髭を
擦りながら意地悪く言ってやる。
「そ、そんなわけないだろ、またこどもらのホラに騙されて!あんたは情けない男だよっ」
「へぇえ、そうかい」
「もう、調子が狂っちまったよ、おまんまにしようね」
カツはえらくバツが悪そうに目を逸らして
ガキらに笑顔を向けた。
こどもたちとカツの笑い声が響く。
囲炉裏囲んで、飯のはじまりだ。
俺ァうだつの上がらねえ男だ。
毎日朝から晩まで汗水垂らして
稲についた虫を退治したり
畑を耕しても年貢に追われて
おまんま食うことすら
危ういこともある。
貧乏柿の核沢山たあ
よーく言ったもんで
貧乏人には何故だか
子が増える様に出来てるらしい。
隣の家もそんな調子で
6人目のガキが出来てから
口減らしの為に
9つと7つの長女次女を奉公に出した。
うちのガキらとも仲が良くて
気の利くいい子たちだったが
今、どこの屋敷で小間使いしてんだか。
俺の家は八人。
貧乏だが俺はこいつら一人でも
かけちゃあなんねえと思ってる。
近所のじいさんばあさんが
節介に輪かけて人買いの商人を
連れてきた事もあったが
一喝して帰してやった。
だってよぉ
こいつらがいるから
俺ぁ頑張れるんだ。
「あ、それお父ちゃんの大根だよ!」
「やだい、おらんだい」
「あたいだって食いたいよぅ」
「ほら静かにおしよ!早く食わないとお父ちゃんが全部食っちまうよ」
ガキらの飯の取り合いを
カツがいなす。
俺も部屋へ上がって
どっかりあぐらをかいた。
「さあ、いただきます」
「はい、おあがりなさい」
カツの飯は、世界一だ。
どんなに貧乏に喘ぐ時も
生きていけるほど
腹も心も満たせる女は
世の中くまなく探しても
カツだけだ。
真夜中、子どもたちが
座敷で寝静まる中
俺たちの寝部屋
煎餅布団はひとつ。
夫婦二人で入る幸せ。
「カツ」
「ん?」
「来るか?」
「ん…」
カツが浮かせた頭の隙間に
腕を入れる。
手先を折り込んで
カツの体を引き寄せた。
あんなに威勢のいい事言っても
やっぱり女だ、華奢な体が途方もなく愛しい。
「ねえ、あんた」
「ん?」
「金袋の中身なんだけど…」
「まあたその話かい」
俺は、眉に皺をためて笑う。
カツは申し訳なさそうな顔で息をついた。
「やっぱり…また、うちのお父ちゃんに…無心されたのかい?」
カツの父親はいい人だ。
いい人だが、人に誘われると
嫌とは言えねえ性分らしい。
先見のねえ男が
博打に誘われて打てば
あとは堕ちるだけ。
金に困っては度々金をと
俺のところへせびりに来る。
他人なら足蹴にして帰してやるところだが
妻の父親とあっては断るわけにもいかず
カツを育ててもらった恩返しと思い
金を貸してやることもあった。
カツには気にさせたくねえと
毎度黙っているが
どうも俺は嘘が下手らしい
1度も知られなかったことは無い
早いか遅いか
その違いだけだ。
「おめえが気にするこたねえ、俺が使ったんだ」
俺はカツの頭を撫でた。
「……そんなこと言ったってえねぇ」
「俺の稼ぎが少ねぇからなあ、おめぇには苦労かける」
「あんたは充分やってくれてるさ、苦労かけるのはあのうつけなお父ちゃんさ」
「まあ、おめえの父ちゃんだ。悪く言うない。また1から働くさ。金ってのはな天下の回りものだってえ話だ」
「でもねぇ!」
カツはまた何か言おうと口を開く。
全く口の減らねえ女だ。
「カツ、ちいと黙れ」
「んっ」
俺はあれこれとうるさいカツの唇を塞いだ。
真っ暗な闇の中、温かなカツの存在を感じる。
「今日、いいだろ?」
「……またかい?」
「おめえが欲しい」
「ほんとにあんたは…仕方のない人だよ」
カツは体の力を緩めた。
俺はもう一度カツに口付けると
着物の襟から手を忍ばせる。
カツの体が見たい。
「なあ、行灯に火…入れてもいいか」
「……嫌だよ」
「まだ、気にしてんのか」
「……」
俺は、カツの左手をそっととる。
「や、やめとくれよ」
カツの言うのも聞かずに俺は
左の着物の裾をめくる。
火傷の痕が月明かりに照らされる。
幼い頃に囲炉裏に落ちたらしい。
カツはこれをずっと隠してた。
俺と夫婦になっても
家族が出来てもずっとだ。
両親に隠し続けろと言われて育ってきたカツは
この火傷を俺が知る事になっても、
左腕を見せることを嫌がった。
俺は毎晩、左袖をまくっては口付ける。
こんなもん気にしなくていい。
俺は、カツが好きなんだ。
「ねえ、あんた、毎晩毎晩、そんなことしなくったってぇいいんだよ?」
「俺がしてえから、やってんだ。四の五の言うもんじゃねえよ」
「だけど、ねぇ」
全く、頑固な奴だ。
「この火傷はなぁ、おめえの一部だろ」
「……こんなみっともないもんなくなっちまえばいいのさ」
カツは悲しそうに目を逸らす。
「俺ぁな、この傷ごとおめえが愛しいんだよ」
火傷の痕に、何度も何度も口付ける。
突っ張ったような肌。
痛みの出る時もあるだろう。
か細いうでで毎日
川まで水を汲みに行く。
この火傷の腕を曲げ伸ばしして
家族の為に必死に働いてくれてる
口では俺の駄目出しばかりしやがるが
腹ん中じゃあ、誰より俺の帰りを待ってら。
俺は愛されている、
いいところはもちろん
悪いところまで全部。
その実感で胸がいっぱいだ。
だから
「カツ…」
「ん…?」
「俺ァおめえが心底愛しい」
俺もカツを愛してぇと思う。
「おめえの心も、おめえのこの傷も、おめえのこのべっぴんな顔も、それからなぁ…」
少し照れくさい。けどこの気持ち
伝えずにはいられねえよな。
「おめえの身体もぜぇんぶだ」
俺はカツと見つめ合う。
やがて唇を割って互いの舌を吸い合った。
深く、愛して
優しく、愛されて
俺たちは互いの愛に溺れた。
つまりは、その夜の営みが当たったらしい。
時期に俺は、九つの子のお父ちゃんだ。
ゆうやけこやけの鴉より
子沢山だぞ、参ったか。
俺は鴉の女房も鴉の子も
守れるでっかい雄鴉になってやらあ。