(-_-)・2024-08-29
夢の語り屋*
昨日の夢は色々と疲れた。
まず僕がアルバイトしている夢を見た。
そこでオムライスを従食として自分で作って食べていた。
突然君が目の前に現れ僕のオムライスを盗み食いした。
すると君は呼吸困難になり倒れてしまった。
救急搬送され、原因を調べるとオムライスアレルギーだと分かった。(卵アレルギーとかではなくオムライスアレルギーだったけど夢だから深くは気にしない)
そんなこんなで時間は過ぎ、君の目の前でオムライスを食べ続ける日々を過ごした。
しかしそんな日々が続くこともなかった。
突然緊急地震速報が鳴り響き家具やガラスなどが倒れたり割れていった。そして家も倒壊してしまった。
南海トラフ地震が起こってしまったのだ。
幸いなことに僕も君も無事だった。
しかし財布もスマホも何もかも津波に流され全てを失ってしまった。
それでもみんなの助けで無事に生きていくことはできた。
色々と復興していく中で新たに免許やマイナンバーカード、キャッシュカードにクレジットカード等再発行してもらった。
ここからさらに時間は進み、ある程度復興が終わった頃に大事件が起こった。
君が亡くなったのだ。
前を歩く君が突然ゆらりゆらりと歩き始め、バタンと倒れてしまった。
そのまま救急搬送されたが搬送先の病院で死亡が確認された。原因は不明だった。
死亡宣告をされた瞬間に目が覚めた。
起きてすぐ君に『生きてる?』とメッセージを送ってしまった。
生きているのは当たり前と思う人が多いと思うが、改めて行きていることが奇跡なんだと気づくことができた。
僕も10年後まで生きている可能性は限りなく少ないからこそ今を楽しもう。身体を酷使してやろう。そう思った。
ふと夢を見た。
その人は僕の親戚である。
その人は職場(特養介護主任大ベテラン)で、地域で、友人で、家族でとても信頼されていて、尊敬されていた。
とある日の職場で息ができないぐらいの腹痛に襲われ、救急搬送。子宮がん(ステージⅣ末期)だった。
その人は病院が大嫌いで予防接種をする注射を見るだけで子どものように泣きわめき、看護師と職員4人で取り押さえながら注射されるほど医療が嫌いだった。
医師が言うには1ヶ月前には絶えられない痛みがあったはずなのによくここまで絶えたと言っていた。
転移しまくりどうすることもできず、入院1週間後に大空へ旅立った。
病院のこと、入院のこと、そして亡くなったことは誰にも伝えないでと家族に伝えていたらしい。
葬儀も家族葬で。
亡くなったのを知ったのは葬儀から5日後のこと。
家族の意向で初七日法要は親戚、友人、職場の人、地域の人にやることを伝え、来れる方は来ていいとなった。
うちの通っていた専門学校は、親戚が働いていた法人の専門学校で、僕の担任が友達だったこと、同じ職場だったことを知っていたので、担任に伝えることにした。
そして伝えた。すると、担任は人の目も気にせずに泣き崩れてしまった。それほど人望が良かったんだなと実感する。
職場は特養、職員を0にすることもできないし、何よりも突然言われ、2日後にやりますと言われたのにもかかわらず、とんでもない程の人が来た。
まずはその日休みの人たちが喪服で、開始時間が近づくにつれて、職場からそのまま来た人(制服のまま)が法人のバスで合計100人以上来た。多分職場の職員ほぼ全員きたであろう。職場を0にすることはできないので、時間制で何人もの人が入れ替わりに来ていた。
僕も元々は親戚が居た施設で介助員アルバイトをしていたので、職員の顔はほぼ全員見たことあった。(今は体力の関係上辞めている)
久しぶりに会う職員たちに順番に来てくれてありがとうと御礼を伝えると、みんな顔を合わせて涙を流す、そして凄く素敵な笑顔で微笑むように撮られた遺影でさらに涙を流す、中には泣き崩れる人も何人かいた。
ちなみにその施設の法人は県内各地に点々とあり、遠い地区の主任や施設長まで来ていた。
そして法人の理事長・理事会の方々も。他の法人の理事長や施設長、役所の職員、社協等の連携機関の人も来た。そして、市議会議員、市長まで。
遅れて登場した担任にこんな事を言われた。
『ね。わかったでしょ。あの子がどれだけ凄い人なのか。』
その言葉以上のことを全て感じたような気がした。
その人に出会ってみないと分からないと思うが、その人は本当にすごい方だった。
怒らしたら地獄に叩き落されるし、ちょっとのミスも許さない鬼介護福祉士だったけども。利用者が大好きすぎるぐらい大好きで、こんなにも介護職員が似合う人は見当たらないぐらい似合っていた。
専門学校の留学生の母的な位置に立ち、全ての留学生を気にかけており、留学生から絶大な人気もあった。
そのため授業が終わると留学生達も続々と集まった。
というか、授業が無くなった。
うちの専門学校の職員も全員参加するためである。
とても厳しいがその熱意は本物で、間違いは必ず正しい方へ正してくれるし、なによりも根は優しいから喋りやすい。
しかし亡くなる少し前は激務になり、休みも休みじゃなくなっているほど身を削っていた。
担任はこう言った。
『やっぱり介護とか福祉業界って未だに休みを取りづらく、上の立場になればなるほど身を削り、自分の体のことさえ考える時間も無くなる。これが国の課題。』と。
その施設が問題だが、国の課題であることに間違いはない。人手不足や激務を未だに野放しにした結果、病気が見つかるのが遅くなったとも言える。例え病院嫌いでも動けなくなる前にはあの人も行くはずだ。根拠はないがきっとそうするに違いない。
施設のイベントでは一番楽しそうにしているし、利用者と何気ない会話をする姿は本当に生きがいそのものなんだと感じた。
そんな人の初七日法要は、本当にびっくりだらけ。
実習でお世話になった同じ法人の違う施設の指導者に肩を叩かれ、凄い慰めの言葉をもらった。
遺影を見るたびに涙が出てくるし、その人の人生を形にしたブースまであった。
その人の大好きな曲、その人の大好きな食べ物(食べるのめっちゃ大好きだった)、思い出の写真、着ていた服までたくさんの物で溢れかえっていたそのブースは容易に人を泣かせることができた。
担任は友達でもあるため、他の職員よりも長くおり、最後までいた。
初七日法要が終わると近づいてきて業務に戻ることを伝えてきた。絶対身にならないとは思うが、仕事だからしょうがない。
そして別れ際に、
『あの人みたいになれる自信はある?』
『絶対ありません。』
『そうだよね。私も君にはあの人みたいにはなってほしくはない。だって身を削り擦り切れるまで働いてはほしくないから。でもね、あの人みたいに慕われる人間にはなりなさい。それではまた明日。気をつけて帰ってね。』
と言われて学校に戻っていった。
その言葉を聞いて涙が止まらなかった。
今でも思い出すたびに目に水が滲む。
多分この言葉に今後の人生押されて生きていくんだろうなと思った。
絶対に忘れない言葉。
そんな初七日法要の夢を見た。
僕が亡くなった時はあれだけの人が悲しんで、あれだけの人が泣き崩れる程の人間になれる自信なんて1ミリもないし、なによりも泣いてくれる人がいるのかも分からない。
どれだけ医療が進もうともいつか人はこの世を去る。
しかし、去るタイミングは誰にもわからない。
しかし僕は平均寿命まで生きることは限りなく0に近い。
それでも出会ってきた仲間たちが泣いて、そして笑って送り出してくれたら嬉しいなと思った。
あの人みたいな背中になりたいな。
そんなお話。