見 返 り
『引き寄せの法則』シリーズ:番外編。
(つづき物です。バックナンバーはタグ検索でどうぞ。)
見返りを求めるのは
ほんとうは、
いかなる場合でも有害だ。
見返り、という概念を一切認めないなら
単純な商取引さえも成立せず、
だから、現代社会に暮らしていて
見返り、という概念と無関係に生きるのは
ほとんど不可能だろう。
よくある話として。
いわゆるセレブや、成功者や、大金持ちが、表向きのしあわせそうな暮らしとは裏腹に、内面では救いのない不幸に堕ちていたりするのも、見返りが原因だ。
見返り、言い換えればギブアンドテイクの概念を上手に使いこなすことで富を築き、見た目は人間関係だって上手くいく。
しかし、それはしあわせとは関係ない。
そのようなことに熟達すればするほど
見た目とは裏腹に、
実際には不幸になってゆく。
見返りを求めるのは、やめなさい、という説話は、よくあるね。でも、見返りを求めずに与えまくれば、しあわせになれるとでもいうのだろうか??
(宗教団体が寄付を求める根拠はたいていこれです。わたしはまったく賛同しません。)
見返りを求めなくなれば
しあわせになれる。
たしかに、そのとおりだ。だが、
それは、損した得したとかの話ではなく
(だから損して得とれという格言では足りず)
ほんとうは、与えたものと得られたものを比較している時点で誤りなのだ。
まずは、与えることが大切です、
などというよくある道徳論は、言い換えれば、そうすることでたくさん得られます、という見返り論でもある。
他人の物を強奪するのが良いわけではないが
見返りほしさに他人に与える(押しつける)のは
金利ほしさにムリヤリお金を貸し付けるようなもので、じつのところ、強奪とあまり変わらない。
他人から奪い取る。
他人から見返りを受け取る。
どちらもある意味、同じことなのだ。
なんとかして、
何かを得なくてはならない
と思い込んでいるぶんだけ
避けがたく不幸はやってくる─────。
意外に思えるかもしれないが。
なにかを得る必要性が無くなれば
そのぶんだけしあわせは増える。
これは、善人であれ、という道徳論とは関係ない、
ただの事実である。
何がが欲しくて、そのことに対して情熱を燃やすことができるならば、それは歓びの種にもなりうる。
甲子園に行きたい、とか。
好きなひとと結ばれたい、とかね。
それは、とても、良いことだ。
あなたがもし、そのような立場にいるなら、ぜひとも全力で情熱を燃やしてください。
だが、そのような特殊な場合を例外とすれば、
なにかを『得なくてはならない』
という思考パターンこそが
じつは、不幸を産み出しているのだ。
『思考は現実化する』というならば。
ひとの幸不幸も思考の賜物だ。
そうして、一見、ポジティブそうでありながら、実際には多くの場合、不幸をもたらしてしまう思考パターンのひとつが、
この
『もっとたくさん得なくてはならない』
というものなのだ。
とくに、もっとたくさん得るための行動パターンが身についてしまった人の場合など、
(行動パターンというのは思考パターンが結晶化したものなので、なおさらのこと)
実際に望みどおりにたくさんのものを得れば得るほど不幸になる、というジレンマに、すぐにでも陥ってしまう。
そうして、そこから抜け出すのは、容易ではない──。
なにかを得なくてはならない。
だからそのためには
いつも見返りのタネを撒いておかなくてはならない。
これが、ときに巨万の富を連れてくることもある、社会的には(ギブアンドテイク的には)正しい考えかたなのだが。
しかし
『得なくてはならない』
という思考パターンを保持することは、かなりの重荷であり。あろうことか、この思考パターンが持つ重さだけでも、ひとは不幸になれる。
しかも
『得なくてはならない』もののレベルが上がれば上がるほど負担も増える。大金持ちほど、ひどい不幸に陥るゆえんである。
善人たれ、とか。
貧乏を称賛するような
意味には取らないでほしい。
そうではなくて。
ひとはみずからの思考の重さによって不幸になること。
なかでも
『なにかを得なくてはならない』という思考パターンは、そのとてつもない重さで、自覚なくあなたを不幸にしてくれること。
そのことを理解できれば、
見返りなど、求めれば求めるほど
不幸になってしまうことも理解できるはずだ。
なにかを
実際に『得る』ことが悪いわけではない。
そうではなくて。
『得られるかもしれない』状態にいて
『得られるようにと』最善を尽くそうとするときの
思考パターンは、じつに予想外の重さを持っており、
その重さで、文字通り、首が回らないほどの束縛を受けるということ。そうなると、あなたが本来、生まれつき持っていたはずの自由は、どこかに消えてしまうのだ。
本来、無条件に与えられていたはずの自由を
いつの間にか放棄させられていること。
しかも、それを取り返す方法も、わからないこと。
これが、不幸のはじまりである。
逆に言って。
なにかを手に入れなくてはならない、という
ニーズ/プレッシャーから
解放されれば
そのぶんだけ思考に空白ができ
自由が戻ってくる。
そのぶんだけあなたにはエネルギーが余る。
見返りを求めて何かを差し出すのをやめれば、
そのぶんだけ(差し出したそのものではなく)
それについて考える思考パターンの重さから、
解放される。もちろん、そのぶんだけエネルギーも余る。
ありあまるエネルギーをその身に纏っていれば
どうあれ、不幸には、ならない。
単純に言って、その状態こそが、しあわせだ。
無意味な思考の重さがなくなり、
不幸が存在していないことこそが、しあわせなのだ。