僕のアンソロジー
後編
それからたくさんの場所でたくさんの彼女を撮った。
誰もいない放課後の教室で勉強している君を
帰り道の公園でコンビニのアイスを食べる君を
雨の日の帰り道で傘を振り回しながら歩く君を
僕の部屋でご飯を作ってくれた君を
ネモフィラ畑で舞うようにはしゃぐ君を
"ネモフィラの花言葉知ってる?"
彼女は白いスカートを蝶のようにふわっと舞わせた。
"「可憐」"
僕はシャッターを切りながら彼女のことを言うように答えた。
"ふーん。知ってるんだー。"
彼女は少し不服そうに口を膨らませた。
僕はそんな彼女を写真に撮る。
"取り憑かれてるみたい。"
彼女は呆れながらそう言った。
僕はシャッター音で答えた。
"ねぇ、今まで撮った写真みたい!"
彼女はおねだりするように言った。
"まだ現像してないよ。"
僕は1つの被写体に満足するまで撮って、全て撮り終わったものの中から現像するスタイルでやっている。
父と同じやり方、というか父の真似をしたやり方だった。
"…おんなじなのね。"
"なにか言った?"
ファインダー越しの彼女の口元が動いたように見えた。
"んーん。独りごとー。"
日が暮れ、2人で電車に揺られながら帰った。
テスト前期間に入り、お互い勉強に集中ということで一時解散になった。
僕はまたモノクロの世界になった。
僕は彼女以外、親しい間柄の人間はいない。
ほしいとも思っていなかったし、苦ではなかった。
しかし、色付いた世界を思い出してからは少し息苦しい。
結局、彼女を撮りたい気持ちが強すぎてテストは散々だった。
そして、僕の色を奪った張本人が帰ってきた。
僕がいつも通り親戚が借りてくれたアパートに帰ると、僕の部屋の前に大柄髭面の汚い男がいた。
大っ嫌いなそいつは僕を見るなり不敵な笑みを浮かべた。
"よ、久しぶりだなぁ。"
何年かぶりに再会したそいつは相変わらずヘラヘラとしていた。
"何の用だよ。"
"そろそろ息子に会っとくかと思ってな。"
父さんは悪びれもなくヘラヘラと言った。
僕は鼻で笑った。
"はっ、今更だな。もう来んなよ。"
この空間が気持ち悪すぎてさっさと自分の部屋の玄関を開けようとした時、落ち着く声がした。
"島田君、忘れ物!って、お取り込み中…?"
彼女は僕がに初めて会った時と同じようなセリフを言いながら駆け寄り、僕の学生手帳を渡した。
"明日でもよかったのに。"
"何言ってるの!今晩学割使えないよ?"
"使う用ないよ。でも、ありがとう。"
そんな他愛もない話をしているといつもヘラヘラしている父さんが気味悪がるようにこっちを見た。
彼女もなぜか悲しそうに父さんを見つめていた。
しばらく沈黙の時間が流れた。
"じゃあ、また明日ね。"
沈黙を破ったのは彼女だった。
そのまま消えるように去った。
父さんは僕の肩を掴んだ。
"今のは誰だ!?"
大柄の迫力は凄まじく僕が怯むと父さんは力を抜いて僕の肩から離れた。
"僕のモデルになってもらってる人。
僕、父さんの母校に行くから。"
父さんは少し考えたあといつもの調子に戻り、無理だと鼻で笑った。
そしてひらひらと手を振りながら去っていった。
テストも終わり夏休みに入った。
あと1週間もすると夏の写真甲子園の応募締切がある。
僕は全てをそこに賭けた。
写真甲子園は部門に分かれていて、僕が出すのはポートフォリオ部門。
何枚かの写真を写真集のようにまとめたものだ。
今日は彼女とポートフォリオに使う写真を選ぶ日だった。
学校のパソコンにデータが入ったUSBを繋ぐ。
すると何百何千枚もの写真データが出てきた。
僕は目を疑った。
彼女はそんな僕を気にせず、ゆうゆうといろんな写真を吟味している。
"この写真好き!"
そう言って1枚の写真を開いた。
雨上がりの青空と空を仰ぐ彼女が水たまりに写っている写真。
のはずなのに…
それは雨上がりの青空が水たまりに写っている写真だった。
他の写真にも彼女は写っていなかった。
確かに写してきたはずの彼女はどこにも見当たらなかった。
絶句している僕を見て彼女は笑った。
"驚いた?"
彼女を見ると儚い顔で微笑んでいた。
なぜか母さんを彷彿させた。
"真はやっぱりあの人の子どもね。"
突然、名字から名前への呼び方変換。
キャピキャピした話し方から落ち着きのある声色。
表情を崩さない美しい微笑み。
そんなわけないのに、聞かずにはいられなかった。
"…母さん、?"
僕は消え入りそうな声で聞いた。
母さんはふわっと優しく抱きしめた。
僕は母さんの胸の中でわんわんと泣いた。
涙でぼやけた視界越しの母さんも美しかった。
泣いていると知らぬ間にパパが僕たちの隣に座っていた。
僕が大げさに驚くとパパは声を出して笑った。
"渡辺、久しぶりだな。"
"最近、行ってないもんねー。"
"忙しそうにしてるの見てたよ。"
混乱している僕をよそに世間話していた。
そんな僕を見かねてパパは言った。
"渡辺は俺がこの学校に赴任して一番初めに担任を受け持った生徒の1人だよ。"
驚いて母さんを見た。
"ふふ、パパってあだ名をつけたのは私なのよ?"
母さんはおちゃめに言った。
"そして、島田和樹、彼も俺の生徒だった。"
"かっくんもカメラバカだったよねー。"
母さんはあの人から2人の呼び名だったのであろうかっくんに変えた。
"かっくんも真に負けないくらいカメラばっかり!美しい君を撮りたいんだ!って。"
母さんは懐かしむように言った。
幸せそうな顔をする母さんが信じられなくて顔を背けるとパパがあいも変わらず優しく言った。
"渡辺が再び現れたのは1年前くらいだったかな。
数学準備室が突然開いて、パパ久しぶりーって声が入ってきた。
すぐに渡辺だと思ったよ。
声の感じや空気が明るくなった感じが渡辺を決定づけるものだった…姿は見えなかったけどね。"
パパはそう言うと僕に彼女の様子を聞いた。
"学校の制服を着ていて、スカートは短くて、茶色の髪が長くて、爪まで美しい。"
"真は語彙力を身に着けなくちゃだめね。"
母さんが呆れるように言った。
パパは静かにそうか。と呟き立ち上がった。
"島田、ちゃんと話なさい。向き合いなさい。
それがこれから君が生きる力になる。"
パパは言った。
"渡辺、後悔しないようにね。
息子泣かせちゃいけないよ。"
パパは母さんにさようならと挨拶をした。
母さんは涙ぐみながらバイバイ!と言って手を振った。
パパがいなくなった教室はまた2人になった。
母さんは静かに懺悔し始めた。
"真、ごめんね…。
お母さん真をいっぱい苦しめたね。
真を残して勝手に死んでしまったこと、ずっと後悔してたの。
ずっと後悔して泣いてたら神様がチャンスをくれたのかな。
気づいたらこの姿で、でも誰にも見えてなくて、真を探してたのだけど全然見つけられなくて。
だめな母親ね…。
真が高校生だって気づいたのが1年前くらい前で、母校だったここに来たら、パパが数学準備室に入っていくのが見えてね。
ついつい追いかけちゃった。
入ったらパパが受け入れてくれるんだもん。
びっくりしちゃった。
目が合わなかったから見えてないんだなぁとは思ったけど、会話が成り立ってたから声は聞こえてるんだって思って。
思い切ってパパに真のこと、話したらここの生徒だって事がわかって。
嬉しくて嬉しくて、やっと会えること。
真の教室にこっそり行ったんだけど…私、当たり前に真はカメラを続けてると思ってて、カメラを持ってない真になんて声かけたらいいか分かんなくて、まず声が届くかもわかんないし…"
母さんは俯いて涙を溢した。
"それでも真が元気で生きてるだけで涙が止まんなくて、それからもこっそり真を見てたのよ。
そこであの人が真を置いて行ったこととか、真が1人で暮らしてることとか、苦しんでることとかわかってきて、一か八か真がいるって知ってて、数学準備室に入ったの。
私と目があって嬉しかった。
話せてとても嬉しかったの…。"
またかっくんからあの人に呼び方が変わっていた。
"何も出来なかった分、少しでも取り戻したかった。
どうにかして真と仲良くなりたいと思ってたら真から声かけてくれて、ありがとう。
嬉しかった…。"
"真と過ごせたのが1番楽しかった。
何も出来ないお母さんでごめんね…。
苦しい思いばっかりさせてごめんね…。
深い傷を負わせてしまって本当にごめんなさい…。"
"真っ直ぐに優しく育ってくれてありがとう。
幸せにしてくれて、ありがとう。"
母さんはごめんとありがとうを繰り返した。
僕は終わってしまうことを悟り、母さんの言葉が何も入らなくなった。
僕の様子に気がついた母さんは背中をぽんぽんと優しくさすった。
幼い頃、母さんにやってもらっていたものだった。
僕は母さんにずっと聞きたかったことを聞いた。
"母さん、母さんは父さんのこと、死んでしまうくらい好き?"
残酷な質問だと聞いてから思う。
それでも僕は家族をほってばかりの父さんより僕が愛されていたかった。
1番そばにいた僕を置いて行った真実を知りたかった。
母さんから返ってきた答えは僕の質問より残酷だった。
"好きだった。
好きで好きでたまらなくて、お父さんが家にいなくて寂しくて、かっくんがそばにいるだけで幸せだった。"
母さんは遠い目をしていた。
"きっとあの頃が楽しくて幸せで悲しかった。
結婚して、真が産まれてからは幸せばっかりで、
あの人がまた私達を撮って、3人の時間が穏やかに流れていたから。
でも真が歩けるようになるとまた、さっさと旅に出て、私だけでなく真までほっとくようになった。
それが許せなかった。
あの人に向けるものが愛かわからなくてなって、憎いと思うたび、あの人の写真を見て落ち着けて。
そんなことを繰り返して、私の愛はあの人に向けられたものじゃなく、あの人の写真に向けられたものだと気づいたの。
そして、あの人の愛もまた、私に向けられたものじゃなく、写真越しの私に向けたものだった。"
僕が言葉を失っていると母さんはごめんねと言った。
僕から聞いたのに現実は重かった。
"でもね、勘違いしないでほしいのは、真、あなたを世界で1番愛していたの。
だからこそ、こんな壊れた私達が育てちゃだめだと思ったのよ。
私が死んだらあの人は子育てなんて絶対しないから、信頼できる親戚にお願いしておいたの。
あの人との繋がりが完全に消えないのは誤算だったけど、疎まれても、嫌われても、真にとって私達の存在が害になると思ったの。
…でも結局、こんなにも真を傷つけてるのだから同じよね…ごめんなさい。"
次は僕が母さんを優しく抱きしめた。
母さんはこんなに大きくなったのねと涙を流した。
"真、ごめんね…"
母さんが謝るのと被せるように僕は言った。
"僕は、父さんに育てられるなんて御免だし、母さんが会いに来てくれて嬉しかった。
母さんの気持ちもわかって前より晴れやかだし、カメラの世界をまた教えてくれた。
父さんは良い反面教師だ。
それじゃあだめかな。"
母さんは笑って最高ね。と言った。
"真って名前はね、あの人がカメラにまつわる名前が良いなんていうから、写真からとって真になったの。
でもね、お母さんは本当はこっちが理由でこの名前にしたの。"
母さんは耳打ちで言った。
"自分の目でみた真実を大事にしてほしい。
たくさんのものを見て感じてそれをたくさんの人と共有できる人になって欲しい。
…真はその名前通り素敵な写真を紡ぐ子になったね。
真の想いが詰まった素敵な写真だ。"
そう言って母さんはまた僕の撮った写真を見つめた。
僕はネモフィラ畑で撮った写真を開いた。
やっぱり、母さんは写っていない。
それでも僕はひらひらと舞う母さんが見えた。
"ネモフィラの花言葉は他にもあるんだよ。"
僕が言うと母さんはキョトンとした。
"「どこでも成功」、「すがすがしい心」、そして、「あなたを許す」"
そう言うと母さんは目を見開いて大粒の涙を流した。
"母さん、僕を産んでくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
僕は僕のやり方でカメラをするよ。"
母さんは最後にもう一度強く僕を抱きしめて大好きよと呟き、消えていった。
光の粒になる美しい母さんを心のカメラに写した。
"この度、夏の写真甲子園ポートフォリオ部門で大賞に輝きました、島田真さんに1言頂きましょう。"
司会の人がそう言うと僕は壇上に招かれた。
多くの人が僕に注目している。
"この度はこのような素敵な賞に選んで頂きありがとうございます。
この「僕のアンソロジー」は普段の日常を切り取ったどこにでもある写真です。
でも、僕には見えます。
とても大切な人が、全ての写真に写っています。
ありきたりな、見逃してしまうような日常でも、大切な人となら価値のある世界に色づく。
それを皆さんにも感じ取ってもらえると光栄です。"
"ありがとうございました!
島田さんにもう一度大きな拍手を!"
会場は大きな拍手に包まれた。