M・2025-04-09
気づき
後悔
失恋
別れてからわかった
自分が思っていた何倍も好きだったってこと
全て終わってから気付くのね
夢のような現実だった、と
時の 流れ方が
もっと 緩やかで あれば いいのに……
疲れ切った あなたの 心を 癒してあげたい と
弱り果てた あなたの 体を 温めてあげたい と
いつも いつも 願っているのに
焦っては 空回りして
慌てては つまずいて でも
気づいたのよ わたし
あなたを 抱きしめる その前に
まず わたし自身が 穏やかさに 満ちていないと
あなたを 癒すことなど 出来ないんだ…… って
さらさらと 過ぎてゆく
この 時の なかで
時計の 針を
逆回転 させたいほどの 後悔や
通り過ぎてきた 時代を
さかのぼりたい 思いに かられる……
そんなとき
砂時計が わたしに 語りかける
人生 気づくのに 遅すぎることは ない
今からでも 始めれば いい
気持ちさえ あれば いつでも
砂時計を ひっくり返すことは 出来るでしょう
与えられた 時間は まだまだ これから
登録して、気がついたんやけど
ここでやっている事って、
ジャーナリングと同じなんや(今更;)。。。
本来は、ノートに手書きした方が
もっと良いんやろうけど
私は今はここで、綴っていく方が良いかな。
*ジャーナリング(journaling)
ジャーナリング(journaling)とは、
頭に思い浮かんだことを
ありのままに「書く」ことで
自分を知り、ストレスを軽減し、
メンタルヘルスを高める方法。
いま仕事が無くてお金も無くて困っている
じゃあ転職とか起業をすれば
お金に困らなくなるかって
それはちがう
じつのところ職業名とお金の多寡は
じつはそれほど関係はないのだ
思考が現実になるわけでしょう?
お金が無いのは
『金欠の想念』を抱えているからで
そこから回復するには
『金欠の想念』を手放すこと
『金欠の想念』ってのは
お金が無い!っていう思考のカタマリのことね
で、金欠の想念を手放すために必要なのは
いままでの人生ぜんぶを通じて演じてきた
『金欠物語』を供養して成仏させることなのです笑
金欠物語?
そう!
お金が無い、お金が無い。
お金が無いせいで、わたしはこんなに苦労してきた
という“物語”を“成仏させる”のですよ?
え?だって、
思考を変えれば現実は変わるわけ!
言い換えれば
思考を変えようとしないから
現実も変わらないわけ!
なので
『お金が無い』という現実が変わらないのなら
問題は現実じゃなく
『思考を変えられない』
ことのほうにあって。
じゃぁなんで思考を変えられないのかと言ったら
過去に演じてきた『金欠物語』の思い出を
後生大事に持ち歩いているからですね
あたし自身の過去を振り返って
『お金で苦労させられた』のはまぁ事実、
1日の食事が板チョコ2枚だった事もある
(明治ホワイトチョコレート×2でした)
でもさ、
それはお金が無いからというよりは
『次の(新しい)お金が入ってこないから』
食料も買えないほどの
金欠になるんだよね?
そうして、
なぜ新しいお金が入って来ないのかというと
『金欠の想念』を抱きかかえていて、
『金欠物語』を演じているからです。
だからまぁ
『金欠の想念』を手放して
『金欠物語』を演じるのをやめられれば
それで解決、一件落着なのですよ?
つまり
『事実として』お金が無かった、
という以上に
ほんとうのほんとうは
『思考パターンとして』金欠の想念を保持していて
『行動パターンとして』金欠物語を演じていた
ことが問題だったわけです
そーゆーわけで“書き換え”発動💥💥💥
(使用前)
お金が無くてさんざん苦労させられた
↓↓↓
(使用後)
金欠の想念を大事に抱え込み
金欠物語を死ぬほどたくさん演じさせられた
えっ??
お金が無いんじゃなくて
『お金が無い状態』をわざわざ創り出して
『金欠物語』をわざわざ演じてたわけ!!!
トイレ入って中から鍵かけて
ずっとそこに閉じこもって
『家が狭すぎる!!!』
って言っていたようなものです。
ムダな努力、ごくろうさま💥💥💥
どぅしてそんなことになったのかと言えば
あたしの場合は
『宗教に洗脳されてたから』
というエクスキューズが付けられるので
まぁまぁラクですね✨✨✨
金欠物語を演じようとしても
次から次からどんどんお金が入ってきてしまえば
そんなことはもぅ不可能になります
『あの苦労は何だったんだ??』
──────ムダな苦労💥💥💥
人生は辛いことの方が多いよ
でもね
それがあるから、人の優しさを知れる
命の儚さを知れるんだ
それがあるから、あなたの色を出せる、作れる
止まぬ雨など無いように
辛い事があったら必ず良い事も訪れる
それはものすごく小さな事かも知れないし
ものすごく大きな事かも知れない
ただ、それに気づき、それをどう捉えるか
によって価値は変わってくると思う
何に幸せを感じ、何に感謝して生きるのか
それが、辛いと思うことを乗り越えられる力に
なるのだと思う
幸せは、いっぱいあなたの周りに溢れているよ
それに気づくこと、それが大切なことのひとつ
チェロの音は
人の声に近い、と言う。
だからかな。。。
私にとってチェロの音は
こころに響いて
届きやすく感じる。
チェロ奏者の
パブロ・カザルスの言葉に
「音楽は、
愛のない人びとから
憎しみを追い払う。
音楽は
休息のない人びとに
平和をあたえる。
音楽は
泣いている人びとを
なぐさめる。」
と、いうのがあるそうで
この想いと
祈りをこめて
演奏していたらしい。
好きなチェロの曲の
「鳥の歌」を聴きながら
改めて
・・・なるほどなあ
と、思った。
(写真はバイオリンやと思いますが
無理矢理で失礼しました~;。)
「翠雨」
少し前に知った言葉。
新緑の頃
草木の若葉に降る雨の事だそう。
この言葉の感性と優しさ
・・・いいなあ。
自分のことをまじでブスだ
って思って生きるよりまじで可愛い
って思って生きる方が楽だ
って気が付いてそうするようにしてから
ものの見方が変わった
心の底からそう思える日はまだ遠くとも
言葉で言ってみるだけでも随分と
生きている事自体が
最上級なのだと
気づく事ができれば
幸せが何なのかに
気づけるのでは
ないだろうか。
MiCo.
塩対応の意味を初めて知った。
自分が塩対応だと思っていたものは
砂糖対応なんだと気づいた。
私が、母になった時
「子育ては、人を育てること。」
と、ある日
ラジオから流れてきた。
その言葉を大事にしながら
模索しつつ
私自身が
両親から受け継いだものを
息子に伝えたり
時には伴走したり
考えをぶつけたあったり
と、お互いで
時間を過ごしてきた。
私は
母親、という事に対して
がむしゃらになりながら
走ってきた気がする。
それが
良かったか
良くなかったか
判らへんけど
息子の成長していく姿に
少しずつ安心が見えてきた。
親子の縁は
完全に切れるものではないけど
不完全な母だけど
人としての、
大人側である私の
やれることは
いくらかやってきたかな、と
思える様になってきて。
学生生活と、
大人になるまであと少し。
もう、ちょっとなのかな
と、感じた
昨日(2025年)の母の日。
他者に伝えた言葉が
まんま自分への言葉
人間関係、疲れることも
あるよね…
だけどさ、辛い時は
頼りたい時もあるし、
人の感情って
色々なんだろうなって、
気づいたよ.